artscapeレビュー

2015年08月15日号のレビュー/プレビュー

没後20年 具体の画家──正延正俊

会期:2015/06/13~2015/08/02

西宮市大谷記念美術館[兵庫県]

正延正俊(1911~95)は、1954年の具体美術協会の結成に参加し、1972年の解散まで全展に出品した数少ないメンバーの一人。1948~49年頃に吉原治良(1905~72)の指導を仰ぐようになり、世代としては、元永定正(1922~2011)や白髪一雄(1924~2008)より一回り年長だった。没後20年を記念して、後年に自宅とアトリエを構えていた西宮で回顧展が開催された。
とりわけ圧巻なのが、大画面の代表作を一堂に集めた第一展示室。茶褐色や白・黒を基調とした色彩を用いて、夥しい線描や斑点、殴り書きの文字のような形象がオールオーヴァーに画面を覆い尽くしていく。色彩はいたって地味だが、近づいて目を凝らすと、濃淡のある茶褐色の下地の上に、白、黒、灰色、深緑、黄土色といった様々な色彩で細い線が何層にも描き重ねられ、多層構造がもたらす密度と多方向へ流れる線の運動性が視覚をスクラッチする。また、油絵具とともにエナメル塗料も用いられ、綿布への滲みやエナメルの光沢感、絵具の厚塗りや削り取りといった操作によって、絵具の物質性が前景化し、筆線の増殖性との相乗効果をもたらす。近づいたり離れたりしながら一枚一枚の絵画と向き合ううちに、その豊穣な奥行きをたたえた画面に惹き込まれ、大気の流れや微細な空気の震え、散らばる星雲、緻密に織られた織物のように見えてくるのだ。
本展では、こうした主に60年代の代表作の他に、「具体」参加以前に描いていた構成的な風景画や静物画、生涯にわたって日常的に制作していた実験的な小作品も展示された。これらの小作品は0号ほどの大きさだが、色彩や画面構成、厚塗りや削り取りなどの技法、エナメル塗料という新素材の探究など、様々な実験を日々繰り返していたことが分かる。
近年、国内外で脚光を浴びる具体美術協会だが、初期のアクションや既存の表現領域の境界を打ち破る「前衛性」に評価の主軸が傾くならば、「アンフォルメル旋風」以降の「具体」の活動は「絵画」への後退と判断されてしまい、正延のように一貫して絵画に取り組んだ作家は評価から取りこぼされてしまうだろう。今回の回顧展が、正延の再評価、ひいては「具体」の評価の再考につながるものになればと思う。

2015/07/19(日)(高嶋慈)

SEKAI NO OWARI「Twilight City」 in 日産スタジアム

[神奈川県]

巨大なツリーハウス、テーマパーク仕様の舞台装置が印象的だった。何曲か披露された最新作も攻めの姿勢である。西側スタンドは客席に使ってなかったが、アリーナを活用していたので、新国立競技場と近い、7万人級のスケール感がイメージできる。日産スタジアムは、プレキャストコンクリートで建設しているが、結局、新国立競技場もこうした早く、経済的な方法でしか建設できなくなるだろう。もっとも、東日本大震災の復興事業とオリンピックに合わせた首都圏の再開発ブームで、異常に建設費が高騰しているなか、白紙撤回によってさらに工期が圧縮されるから、高いお金を払って安普請するしかない。つまり、あまり建設費は下がらないのに、わざわざ凡庸な競技場をつくるわけだが、税金を投入する「国立」の施設が、本当にそれでよいのだろうか。

2015/07/19(日)(五十嵐太郎)

黒田菜月「ファンシー・フライト」

会期:2015/07/13~2015/08/08

東塔堂[東京都]

2013年に第8回写真「1_WALL」展でグランプリを受賞し、翌年個展「けはいをひめてる」を開催した黒田菜月。2014年には吉開菜央監督の映画『ほったまるびより』の撮影現場の写真をおさめた写真集『その家のはなし』を刊行するなど、順調にキャリアを伸ばしている。今回の東京・渋谷の東塔堂での展示では、彼女の日常の場面に眼差しの触手を伸ばしていく感覚が、繊細に研ぎ澄まされ、より深く対象の奥へと届いてきていることがしっかりと伝わってきた。
黒田は、展覧会にあわせて刊行された同名の写真集にこんなことを書いている。
「からだを通りこころで受け止めるものや、こころで感じていることの身体への現れには、飛躍がある。それは、夢のチェンジのような無差別なものではなく、どこかにその人自身の因果が隠れ潜んでいる。」
このような「飛躍」の感触は、写真を撮り続ける中で少しずつ育っていったのだろう。「からだ」と「こころ」のズレは、うっとうしさや居心地の悪さにもつながるが、ほのかな、だが心ときめくエロスを呼び起こす元にもなっていきそうな気がする。今回展示されたシリーズでは、ウサギやヤギなどの動物、若い女性を撮影したポートレートなどにそれをはっきりと感じることができた。今はむしろ、その「飛躍」をより積極的に拡大していくべきではないだろうか。写真家としても、一皮むけて、新たな方向に一歩踏み出していく時期に来ているように思える。

2015/07/20(月)(飯沢耕太郎)

瀬戸正人「瀬戸家1941-2015──バンコク ハノイ 福島」

会期:2015/07/14~2015/07/27

新宿ニコンサロン[東京都]

家庭アルバムは写真家の自己表現をめざすものではないゆえに、逆に撮ることの原点を指し示し、写真本来の輝きを刻みつけることがある。ただ、今回瀬戸正人が新宿ニコンサロンで開催した「瀬戸家」展は、その中でもやや特異なありようを呈していると思う。というのは、「瀬戸家」の来歴そのものが、普通の日本人の家庭アルバムにはおさまりきれないものだからだ。
瀬戸正人の父、武治は1941年に会津若松の写真館で撮影した記念写真を残して出征し、上海、ベトナム、ラオス、タイと転戦して終戦を迎える。ところが、引揚げの機会を失って、タイ国ウドンターニ市に留まり、当地でハノイから来たベトナム人の女性、ジンと結婚して写真館を経営するようになる。1953年、トオイ(日本名、正人)が誕生。1962年になって、ようやく故郷の福島県梁川町(現伊達市)に帰郷することができた。
つまり、日本の戦前から戦後にかけての歴史と社会状況を、あまり例のない角度から照らし出しているのが「瀬戸家」に残された写真群であり、それらのスナップ写真、記念写真には、その断面図が重層的に畳み込まれているのだ。今回の展示では、小さい写真をスキャニングして大きく引き伸ばし、実物と一緒に並べていた。写真の表面の傷や染み、印画紙の凹凸までくっきりと浮かび上がることで、実物以上の物質感を体験できるのが興味深い。そのことによって、タイ、ベトナム、日本の時空が入り混じり、行き交うような、カオス的といえる展示空間が成立していた。
会場には、福島やハノイで撮影した瀬戸自身の「作品」も展示されていたのだが、今回はむしろ「瀬戸家」のアルバムだけで構成した方がよかったような気もする。「作品」はまた別の物語を呼び起こしてしまうからだ。

2015/07/20(月)(飯沢耕太郎)

声が聴かれる場をつくる──クリストフ・シュリンゲンジーフ作品/記録映画鑑賞会+パブリック・カンバセーション

会期:2015/07/20~2015/09/27

アートエリアB1[大阪府]

美術館や劇場といった既存の制度の枠内から路上に出て、多様な社会層の参加と議論の喚起を引き起こすクリストフ・シュリンゲンジーフのアクション/パフォーマンス作品の記録映画の上映会。ここでは、特に『外国人よ、出ていけ!』に焦点を絞ってレビューする。
『外国人よ、出ていけ!』は、オーストリアで2000年に、外国人排斥を掲げる極右政党が政権入りしたことを背景に、同国最大の演劇祭「ウィーン芸術祭週間」で制作されたパフォーマンス作品(『お願い、オーストリアを愛して!』)の記録映画。12人の「難民申請者」を1週間コンテナハウスに居住させ、内部の様子をネット中継し、「観客」の投票によって国外追放する外国人が毎日2人ずつ選ばれていくという、過激な仕立てのパフォーマンス作品である。広場に設置されたコンテナは、極右政党のスローガンやヘイト発言を掲げる人気大衆紙で飾られ、道行く人々はピープショーのように壁の隙間から覗くことができる。
記録映画を見ているうちに感じるのは、真/偽の境界が融解していくに伴って、「パフォーマー/観客・観察者」の関係に生じる、奇妙な反転である。移動の自由を奪われ、監視され、強制送還を待つ身の「難民申請者」たちには、不思議なことに緊張感が感じられない。コンテナ内部の映像を見る限り、彼らはリラックスした様子で、コンテナから「強制退去」される場面でも、顔こそ隠しているものの、理不尽な「投票」結果に抗議したり、人権侵害を訴えたりすることなく、無抵抗で歩いていく。彼らが「本物の」不法滞在者かどうかは、映画内では(おそらく故意に)曖昧化されている(常識的・倫理的には「本物」とは考えにくいが、サンチャゴ・シエラのように、不法就労者に賃金を払ってギャラリー内で「労働」させる作品の例もある。ただしここでは、「本物かどうか」が重要なのではなく、「投票による外国人追放劇が公共空間で実際にパフォームされること」、つまり将来的な可能性が社会実験として「上演」されることで、市民の中に賛否両論の嵐のような反応を引き起こすことが企図されていたと言える)。
コンテナ内の「難民申請者」たちの切迫感のなさや正体の不透明さとは対照的に、「観客」たちの方が、右翼・保守/左翼・リベラルの双方の立場から抗議の声を上げ、シュリンゲンジーフに詰め寄り、身振り手振りも豊かに語り出す。「観客」「観察者」「窃視者」であったはずの者たちの方が、むしろ俳優のように雄弁に振る舞い、現実社会の諸相を鏡のように映し出すのだ。差別意識、ナショナリズム、監視社会、投票というシステムの「正しさ」とそれに則った不寛容さ……。とりわけ傑作なのは、「我々は文化的な国家だ、オーストリアに対する侮辱だ」と抗議する人が、「ドイツへ帰れ!」とシュリンゲンジーフを罵倒し、はからずも差別意識をさらけ出してしまうシーンだ。
シュリンゲンジーフの戦略の巧みさは、自身の立場を左か右か表明せず、「政治的主張」として行なうのではない点にある。コンテナに掲げられた「外国人よ、出ていけ!」というショッキングなスローガンもまた、予想される極右政党の批判をかわす戦略である。「これはあなたたちの掲げているスローガンですよ」というわけだ。ただしこの文句を観客に向かって直接言うのではなく、文字で表示することで、主張の明確さとは裏腹に、メッセージは匿名性を帯びていく。誰が誰に向かって発した言葉なのか、主体と対象が曖昧なまま、メッセージだけが浮遊し、人々の感情的な反応を引き起こす。
では、単なる社会批判や政治的主張ではないのなら、シュリンゲンジーフの挑発的な試みのより深い意図はどこにあるのか? 路上で人々と向き合うシュリンゲンジーフは、スローガンに賛同する右翼や保守主義者/批判する左翼やリベラリストにかかわらず、相手の意見を否定せず、むしろ拡声器を渡して彼らに積極的にしゃべらせる。たとえそれが何語であろうとも、「あなたはあなたの言葉で話してよい」のだ。一時的であれ、感情を逆撫でする不快感を伴うものであれ、誰もが自由に発言できる、多層的な声を響かせることのできる空間を、公共の場に開いたこと。それによって社会の矛盾や歪みが露わになり、「発言者」自身や周囲が気づけば、なぜそうした社会構造や心理構造になっているのか? 変えるにはどうすれば良いのか? と考え始めるだろう。その先に、一人一人が政治参加者として主体的に考え始めることが、真に民主的な社会への第一歩ではないか。おそらくここに、彼が根源的に目指す地点がある。
アートには、「現実を直接変える」有効性はないが、意識を変える媒介としての可能性はある。本作は、「観客」であった存在が、舞台に上がった「俳優」として声を発し、しかしその「台詞」はメディアなど他の誰かによって用意されたものではないか? という自問を経て、「主体的発言者」へと至ることが賭けられた演劇作品であると言える。だから劇場の幕が下りて終わるのではなく、「幕が上がった」というシュリンゲンジーフの言葉で締めくくられるのだ。

開催日:2015/07/20、08/08、9/27

2015/07/20(月)(高嶋慈)

2015年08月15日号の
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