artscapeレビュー

2015年10月01日号のレビュー/プレビュー

EAT & ART TARO『「上郷クローブ座」レストラン』

会期:2015/07/26~2015/09/13

上郷クローブ座[新潟県]

8月の末、6度目となる大地の芸術祭のために、3日間越後妻有に滞在した。3日では全貌を知るのに足りず、見逃した展示・上演のほうがはるかに多いのだが、わずかに体験したなかでもっともよかったのが「上郷クローブ座」だった。筆者にとって4度目の大地の芸術祭。今回強く印象に残ったのが、新潟の土をテーマにした「もぐらの館」のような、いわゆる現代美術とは直接関係ない展示の魅力だった。よく言われることだろうが、北川フラムの手による地域フェスティバルでは、一応「アート」目当てで足を運んだはずが、アートという「図」に隠れていたはずの「地」のほうに観客の目は奪われてしまう。自然の景色や地元の人の佇まいに触れ、そこが人口減少の進む過疎地であること、ゆえにここでの人の営みは永続するものではないこと、そしてそうした問題はここだけではなく日本全土を覆っていることなどに心は引き寄せられる。10年ほど前の大地の芸術祭では、「地方」に「アート」を置いた驚きと違和感のなか、その「とってつけた」印象が拭えなかった。都市でも、どこかでも見られる「アート」がなぜここにあるのか、その因果性が乏しいと感じてしまったからだろう。また泥だらけの「大地」の世界に、ホワイトキューブをつくろうとすれば、無理があるものだ。しかし、上郷クローブ座のレストラン・パフォーマンスのような上演は、ここでしか見られない。それは運搬すればどこでも見られる「アート」の遍在可能性(というモダニズム)とは一線を画すものだった。旧上郷中学校を改装した建物の1階で、それは行なわれた。いったん暗幕で窓が覆われると、地元の女性が一人、ゆっくりとロウソクの火を灯して、観客たちが座る食卓の周囲を巡る。信濃川流れる土地の紹介が音声で流される。方言の抑揚が土地を感じさせる。これからはじまる饗宴に捧げられたささやかな儀式。この「フレーム」が置かれることで、その後の女性たちのもてなしぶりが「演劇」に映る。今朝採れたとうもろこし、焼いた糸瓜、グループ名の由来でもあるクローブで味付けされた豚肉などに、地元の女性たちのていねいな説明が施されると、ただおいしいだけではなく、この土地を胃袋を通して鑑賞しているかのような気持ちにさせられる。食事は、地元の料理を元に、EAT & ART TAROがアレンジしたもの。洗練されている。「うぶすなの家」もそうだった。都市型の感性とのコラボで地元の良さを引き出すのも、大地の芸術祭が得意とするところだ。クローブ座に出演した地元の女性たちは会期後、どんな日常に戻っていくのだろうと思いを馳せる。この土地の未来を想像しつつ、日本の未来への想像力をたくましくさせる、それこそが6回目の大地の芸術祭が観客に与える最大の土産なのだ。遍在可能であるがゆえに抽象的なモダニズムのアートでは到達不可能なところに観客を導く「別種のアート」の可能性が、そうしたところに示唆されていた。

2015/08/31(月)(木村覚)

トーベ・ヤンソン──ムーミンと生きる

会期:2015/07/25~2015/09/27

あべのハルカス美術館[大阪府]

「ムーミン」シリーズで知られるフィンランドの児童文学作家、トーベ・ヤンソン(1914-2001)の生誕百年を記念して行なわれた回顧展。本展では、挿絵とマンガ原画のほか、これまで紹介されることの少なかった彼女の油彩画作品を見ることができる。事実、芸術家の両親のもとで育ったヤンソンは「画家」としての自負があった。出展作の「自画像」数枚に表わされた印象的な本人の姿を見ると、その様子がうかがい知れる。1930年代のシュルレアリスムの影響を受けた絵画から60年代の抽象表現への取り組み、そして75年に描かれた、本質を抉り出すような強烈な筆致の自画像までが展観されるが、なにより際立つ特徴はその色彩の豊かさ。ムーミン物語における線描・白黒の挿絵のイメージからは、予想できない。他方、油彩画とグラフィックアートに共通するのは、「物語」を内包するかのような作品世界。日本では、ヤンソンの文学とは異なるアニメキャラクター・デザインによるムーミンのほうが有名だろう。それに代わるイメージ、つまり北欧の豊かな自然を背景に、夢幻的な世界観をもつヤンソンの創作活動の全貌が提示された展覧会だった。[竹内有子]

2015/09/01(火)(SYNK)

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「うらめしや~、冥土のみやげ」展──全生庵・三遊亭圓朝 幽霊画コレクションを中心に

会期:2015/07/22~2015/09/13

東京藝術大学大学美術館[東京都]

幽霊画を見せる展覧会。落語家の三遊亭圓朝が蒐集していた幽霊画を中心に、およそ150点が展示された。円山応挙をはじめ、曾我蕭白、河鍋暁斎、葛飾北斎、歌川国芳らによる恨み辛みの表現がなんとも凄まじい。会場の随所に灯籠を模した照明を設置したほか、客席の上の天井から蚊帳を吊り下げるなど、展示上のさまざまな工夫が幽霊画の迫力をよりいっそう倍増させていた。
とりわけ来場者の視線を集めていたのが、上村松園の《焔》である。長身の女の幽霊が髪の毛を噛みながら肩越しにこちらを見返している。膝下まで届かんばかりの長髪は、それ自体で怨念の深さを物語っているが、それが幽霊の足元とともに背景に溶け込んで消えているところが、見えないはずのものが見えてしまった幽霊の恐ろしさを効果的に表わしている。着物の柄に描かれた蜘蛛の巣ですら、この女の底知れぬ執着心を象徴しているようだ。
本展によれば、足のない幽霊という定型的なイメージをつくり出したのは、応挙である。実際松園の《焔》をはじめ、足が消えた幽霊のイメージは数多い。だが幽霊たちを次々と目撃していくなかで注目したのは、むしろ彼らの手。足がないことが、逆説的に手を饒舌にさせているのだろうか、幽霊の手はさまざまなメッセージを伝える豊かなメデイアであることを知った。
例えば谷文一の《燈台と幽霊》。描かれているのは、燈台の灯りに浮かび上がる年老いた女の幽霊。か細い右手は燈台の土台に触れているようだが、左手はちょうど画面の右端をつかんでいるように見えるのだ。肉体的には弱々しくとも、まさしく怨念の力で画面の向こうからこちらに身を乗り出して来るかのような迫力が感じられるのである。
一方、嶋村成観の《子抱き幽女図》は恐ろしい形相で赤ん坊を抱きかかえている幽霊の女を描いたもの。顔面は正視に耐えないほど醜いが、不思議と嫌悪感を催さないのは、赤ん坊を抱く彼女の手がじつにやさしいからだ。その手は明らかに包容力と慈愛に満ちており、手に限って言えば、幽霊というよりむしろ観音様に近い。幽霊であるにもかかわらず、いや、だからこそと言うべきか、赤ん坊を慈しむ情愛が痛いほど伝わってくるのである。怨念には恐ろしさだけでなく、ある種の切なさも含まれている。だからこそ「うらめしや」という言葉に、私たちはとても他人事とは思えない響きを聴き分けるのではないか。

2015/09/03(木)(福住廉)

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ペコちゃん展

会期:2015/07/11~2015/09/13

平塚市美術館[神奈川県]

「ペコちゃん」とは、言わずとしれた不二家の公式キャラクター。あの前髪を切りそろえ、舌を出した女の子といえば、誰もが思い浮かべることができるだろう。1950年、同社の製品「ミルキー」の発売とともに生誕して以来、60年以上にわたって親しまれてきた、大衆的なアイコンである。
本展は、ペコちゃんというイメージの変遷を追うもの。店頭人形をはじめ卓上人形、文具、新聞広告、テレフォンカード、書籍、マッチラベルなど、さまざまな形態によって表わされたペコちゃんを一堂に集めた。さらに、ハローキティや水森亜土、初音ミクなどとペコちゃんのコラボレーション、レイモンド・ローウィやアントニン・レーモンドが不二家で行なった仕事なども併せて紹介された。まるで不二家の企業博物館のような展観である。
しかし、それだけではない。会場の後半には、現代美術のアーティストたちがペコちゃんを主題にした作品が展示されていた。参加したのは、小林孝亘や西尾康之、町田久美、三沢厚彦ら17名。それぞれペコちゃんというアイコンを主題として作品に取り入れたわけだが、興味深いのは、表現は異なるにもかかわらず、いずれもペコちゃんのかわいい一面より、恐ろしい一面を強調しているように見えた点である。
例えば西尾康之は、例によって陰刻という手法でペコちゃんの立体像を造形化したが、バロック的な細密表現に加えて、ペコちゃんの眼球を過剰に見開かせ、リボンで結った髪の毛の先を手の指にするなど、ペコちゃんの異形性を極端に誇張している。ペコちゃんとポコちゃんの肖像を描いた三沢厚彦のペインティングにしても、瞳孔が全開で、しかも眼球は黄色いため、恐ろしさしか感じない。町田久美の平面作品ですら、口元だけを赤く塗り重ねることで、舌なめずりするペコちゃんの猟奇的な要素が際立っていた。
だからといって、現代美術のアーティストたちはペコちゃんというアイコンを冒涜しているわけでは決してない。それが証拠に、改めて展示の前半に陳列されたさまざまな形態のペコちゃんを見なおしてみれば、ペコちゃんの原型のなかに、誰もがそのような異形を見出すにちがいないからだ。ペコちゃんは、たんにかわいいキャラクターにすぎないわけではない。それは、本来的におどろおどろしい一面を内包しているのであり、本展に参加した現代美術のアーティストたちは、いずれもその一面に着目し、さまざまな手法でそれを巧みに引き出して表現したのである。
その意味で、ペコちゃんの二重性をもっとも巧みに表現していたのは、川井徳寛による《相利共生(お菓子の国~守護者の勝利~)》だろう。これは、ペコちゃんと同じように赤いリボンをつけた女の子のまわりを、たくさんの天使たちが飛び回っている絵画作品。宗教画のような神聖性を帯びているが、よく見ると天使たちはみなそれぞれペコちゃんとポコちゃんの仮面をつけている。だが、その下の天使たちの顔を注意深く見てみると、彼らは一様に無表情なのだ。「天使」という属性にふさわしからぬ、一切の感情を欠いた冷たい顔。仮面が本性を隠蔽する表皮だとすれば、天使の素性は冷酷無比な非人間性ということになる。川井は、愛らしさと恐ろしさが同居するペコちゃんの二重性のみならず、それを天使の仮面として相対化することで、人間と非人間の二重性にまで敷衍させたのである。

2015/09/04(金)(福住廉)

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ヴォルフガング・ティルマンス Your Body is Yours

会期:2015/07/25~2015/09/23

国立国際美術館[大阪府]

ドイツ出身の写真家ヴォルフガング・ティルマンスの大規模な展覧会が行なわれた。作家自身がデザインした展示空間の中に200点近い作品が展覧された。1980年創刊のカルト的人気を誇る英国ファッション&カルチャー誌『i-D』に寄稿し、若者文化を代表するアイコン的存在なだけに、作家のいまの生な感覚にひっかかるものとはどのようなものか期待大であった。本展では、スナップ風に撮られたポートレイト、旅先での風景や日常のモノから、大阪でのデモの様子、拡大されたブラウン管の画面、天文学への関心を思わせる星空、セクシュアルなヌード、抽象的な絵画にも見えるものまで、作家独特のエッセンスが満載。作品はインクジェットプリンタによるもので、多様なジャンルとサイズの写真が空間にちりばめられ、展示スタイルもテープやクリップで留めただけ。旧来のアート概念を覆す方法を用いた斬新な作品群である。建築デザインをする人なら、2台のプロジェクターを用いて一度に複数の建築や街の写真を投影する《Book for Architects》に興味を惹かれるはず。昨年のヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展で話題となった作品だ。[竹内有子]

2015/09/04(金)(SYNK)

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2015年10月01日号の
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