artscapeレビュー

2016年01月15日号のレビュー/プレビュー

金銅仏きらきらし──いにしえの技にせまる

会期:2015/10/24~2015/12/22

大阪大学総合学術博物館 待兼山修学館[大阪府]

仏像の外観にみられる造形美を愛でる展覧会は数あれども、そのつくられ方を見て考える機会はなかなかない。本展は、5~9世紀における東アジアの金銅仏(青銅でつくり金メッキした仏像)の組成成分をX線で分析することで得られた成果を披露し、仏像の制作工程・技法を紹介するもの。序章では、東京国立博物館と東京藝術大学によって制作された興福寺仏頭の模型を例に、その鋳造プロセスを探る。原型(土型・蝋型)の種類、鋳型の固定方法、溶銅の注ぎ口・出口の作成法などは現在でも謎だそうだ。第1章では、東京藝術大学大学美術館、大阪市立美術館、逸翁美術館、白鶴美術館が所蔵する日本・韓国・中国・チベットのさまざまな金剛仏42体を展示し、蛍光X線分析などの詳細な調査結果が踏まえられている。最後の第2章では、如意輪観音半跏像が展観される。仏像の様式と技法に加え、組成比率から制作地域や年代を探求する手がかりとなる。飛鳥・奈良時代には金できらきらしていたであろう金銅仏の姿に思いを馳せつつ、その表現だけでなく、物質性・素地の色・金属の固さにも目が引き付けられた。[竹内有子]

2015/12/15(火)(SYNK)

菱沼勇夫「Kage」

会期:2015/12/08~2016/12/20

TOTEM POLE PHOTO GALLERY[東京都]

2015年に菱沼勇夫が開催した個展は、今回で4回目になるという。この数の多さはやや異常事態というべきだろう。これだけの頻度だと、普通ならボルテージが落ちてくるものだが、菱沼の場合はそうならないどころか、逆に展示の密度が上がってきているように感じる。今年、最も飛躍を遂げた写真家の一人といえるのではないだろうか。
今回のTOTEM POLE PHOTO GALLERYでの展示は、前回の同ギャラリーでの個展「Kage」(2015年4月14日~26日)の続編にあたる作品で、文字通り、さまざまな事物の「Kage」の領域に目を凝らそうとしている。とはいえ9点(そのうち8点は100×100センチの大判カラープリント)の作品の内容にはかなりばらつきがあり、沼の風景、裸身のセルフポートレート、鳥の死骸、狼の剥製、ネックレスを握りしめる手、妊娠中の女性のヌードなど多岐にわたる。中には菱沼自身の排泄物を捏ね上げて象ったという髑髏の写真まである。それらがどのように結びついて「Kage」の世界を作り上げているのかは、まだ判然とはしない。だが、彼が何か強い衝動に突き動かされて被写体を選択し、シャッターを切っていることは伝わってくる。いまはその手応えを信じて撮り続けていく時期なのだろう。このテンションを維持するのは大変だろうが、とりあえずは撮影と発表のペースを維持していってほしい。観念と身体性とが独特の形で結びついた、面白い作品世界が見え始めているのではないかと思う。

2015/12/16(水)(飯沢耕太郎)

西野壮平「Action Drawing: Diorama Maps and New Work」

会期:2015/11/26~2016/01/17

IMA gallery[東京都]

西野は世界中の都市を歩き回って何千、何万枚ものモノクロ写真を撮り、それを切り貼りして地図のような巨大なコラージュ「Diorama Map」をつくる写真家。今回は2004年と2014年に制作した2点の「東京」と、新作の「ヨハネスブルグ」を展示し、会場では「ハバナ」も公開制作している。ほかに、自分が1日に移動した軌跡を白い線(点の連続)で表わした「Day Drawing」というシリーズも初公開しているが、こちらはプライベートな行動の記録にとどまり、「Diorama Map」ほどの視覚的インパクトもイマジネーションの広がりもない。「Diorama Map」のほうは、元になった写真がほとんどが高いビルから俯瞰する角度で撮られているので、つなげると斜め上から見下ろした鳥瞰風の地図となる。かつてデイヴィッド・ホックニーがハマっていた写真コラージュの拡大版と考えてもいいが、ホックニーのコラージュが1枚の画面のなかに異なる時間を組み込むことをもくろんでいたのに対し、こちらは10年を隔てた2点の東京のコラージュに時代の差が見てとれる。たとえば04年の東京駅は昔風だったのに、14年にはリニューアルされたとか(実は新しくなったのではなく、04年よりもっと昔の姿を復現した)、04年にはなかったスカイツリーが14年には建ってるとか。さらに実際に風景の変化もさることながら、04年には無機的だった都市風景が、14年には人の姿や看板の文字など微視的・地上的モチーフが組み込まれ、生活感すら感じさせている。これは作者の都市観の変化の表われかもしれない。

2015/12/16(水)(村田真)

三角みづ紀と14人の流動書簡 封をあける,風をやぶる、そらんじる

会期:2015/12/16~2015/12/27

iTohen[大阪府]

現代詩手帖賞、中原中也賞、萩原朔太郎賞など多数の受賞歴を持ち、音楽活動も行うなど、若手詩人のなかでも抜きん出た評価を得ている三角みづ紀。彼女を軸に、詩と美術と音楽が往復書簡のようにコラボレートした。展覧会の構造は以下のような具合。まず三角が7篇の詩を創作し、画家や写真家が詩を元に美術作品を制作、その作品から三角が新たに詩を書き起こし、今度は音楽家へとリレーしていく。詩と美術と音楽の共演は必ずしも珍しくないが、詩を軸に反響を繰り返す本展のような形式はユニークだ。また、音楽作品は7作品中4作品を展覧会初日に公開し、残る3作品は会期中のライブイベントで発表したが、この仕掛けも効果的だった。なお、三角以外の参加作家は、美術が、いぬ、sakana、植田志保、川瀬知代、塩川いづみ、ミロコマチコ、ookamigocco、音楽が、森ゆに、YTAMO、木太聡、織原良次、青木隼人、坂東美佳、小島ケイタニーラブである。

2015/12/17(木)(小吹隆文)

東松照明「太陽の鉛筆」

会期:2015/12/11~2016/01/24

AKIO NAGASAWA Gallery/ Publishing[東京都]

東松照明の『太陽の鉛筆』(毎日新聞社、1975)は、いうまでもなく日本の戦後写真を代表する写真集の一つである。1971年の沖縄の「本土復帰」を挟んで、那覇と宮古島に7カ月滞在した東松は、南島の光と風に触発された、のびやかなカメラワークで沖縄の風景や人々の姿を捉えていった。さらにその後の東南アジアへの旅の途上で撮影されたカラー作品を加えて編集・出版されたのが『太陽の鉛筆』である。東松が2012年に亡くなってから3年あまりを経て、その名作が復刊されることになった。赤々舎から刊行された『新編 太陽の鉛筆』は2冊組で、旧版の写真構成をほぼそのまま活かした『太陽の鉛筆1975』(2点のみ未掲載、理由は非公表)と、伊藤俊治と今福竜太が編集した『太陽の鉛筆2015』から成る。後者は、5回にわたって訪れたというバリ島の写真群など、旧版刊行以降の1980~90年代に撮影された沖縄や東南アジアの写真を含む。その刊行にあわせて、東京・銀座のAKIO NAGASAWA Gallery/ Publishingで写真展が開催された。
カラー18点、モノクローム30点は、予想に反してすべて『太陽の鉛筆1975』から選ばれていた。むろん、このシリーズは東松自身のキャリアにおいても、ちょうど折り返しの位置にある重要な作品であり、沖縄を舞台に日本人と日本文化のルーツを探ろうとしたスケールの大きな問題作である。だが、旧版の刊行から40年を経て、それがどのような意味を持つ作品だったのか、あらためて問い直さなければならない時期にきていることは間違いない。伊藤と今福の再編集は、その意味で新たな問いかけとなるものであり、2冊の写真集の作品を対照させてみたかったのだ。今回ははぐらかされてしまったが、ぜひそういう機会を作っていただきたい。
どうしても気になるのはデジタルプリントの色調と諧調である。銀塩印画紙を見慣れた目で見ると、かなり希薄な印象を受けてしまう。東松は晩年、デジタルプリントによる表現を模索しており、今回の展示もその延長上のものなのだが、やはり違和感を覚えてしまった。またオリジナル版の『太陽の鉛筆』と今回の『太陽の鉛筆2015』では、プリントのコントラスト、質感がまったく違う。そのあたりをどう捉えていけばいいのか、僕自身にもまだ答えは出ていないが、考え続けていかなければならない課題といえる。

2015/12/17(木)(飯沢耕太郎)

2016年01月15日号の
artscapeレビュー