artscapeレビュー

2016年02月01日号のレビュー/プレビュー

世界のブックデザイン2014-15

会期:2015/12/05~2016/02/28

印刷博物館P&Pギャラリー[東京都]

毎年ドイツで開催されている「世界で最も美しい本コンクール2015」に入選した図書と、そのほか8カ国で行なわれているブックデザインコンクールの入賞作品約200点を紹介する展覧会。日本、ドイツ、オランダ、スイス、オーストリア、カナダ、中国のブックデザインに加えて、今年はデンマークのコンクールに入賞した書籍が初めて紹介されている。例年通り、展示されている本はすべて手に取ってみることができる。会期が始まって1カ月半。多くの人びとの手に触れて痛んだり、ページが外れたりしている本も見られるが、そうした造本上の問題を見ることができるのも本展ならでは。もっとも、アーティストブックのように不特定多数の読者を想定していない書籍もあるので、単純には評価できないのであるが。
 コンクール入賞作に、昨年までとの傾向の違いはあるのだろうか。書籍に限らず、印刷メディアにとっての課題は、電子メディアの台頭にどのようにアプローチしていくかという点にある。そのひとつは、紙やインク、造本など、印刷メディアの技術、書籍の物質的側面の強調。もうひとつのアプローチは、電子メディアの特性、機能性を紙のメディアにも取り込む工夫である。本年の出展作を見る限り、昨年と比較すると前者のアプローチを試みた受賞作が多いように思われる。例えば「世界で最も美しい本コンクール」で銅賞を取った写真集『New Horizons』は、二つ折りにした厚い紙を互いに糊付けしてあり、本のようにめくることもできれば、ページを放射状円形に開いて自立させることもできる。厚さは7cm、重さは3.5kgもある。同コンクールで金の活字賞をとった写真集Paul Elliman『Untitled(September Magazine)』は、テキストをまったく含まない600ページの「ファッショングラビア雑誌」。ページをめくるうちに紙はすぐにくしゃくしゃになってゆくことだろう(評価されたのは造本よりも編集の部分らしい)。同コンクールで銅賞をとった日本の『Motion Silhouette』は、見開きページのあいだに厚紙による切り絵が挟まれており、懐中電灯などで照らすことによって本の上に影をつくることができる。明かりや本の角度を変えると、影が大きくなったり小さくなったり、動的に物語をつくることができる絵本だ。
 日本の「造本装幀コンクール」で東京都知事賞となった『王 伝峰 作品 魚』の表紙カバーは、厚紙に四角い窓が抜かれていて裏にフィルムが貼ってある。そのためにカバーをめくるとフィルムがキラキラと水のような音を出す。「スイスの最も美しい本コンクール」受賞作Andy Guhl『Ear Lights, Eye Sounds』は、カーボン紙のように圧力に反応して跡が残る素材が表紙・本文に用いられており、人々がこの本を手に取るたびにその痕跡が本の上に記録されていく。「オランダのもっともすばらしい本」入選作のHerman Koch『Het diner』は、構造的には普通のハードカバーなのだが、朱色に染められた小口にタイトルが白抜きにされており、本自体が函のように見える。作品を挙げていくとキリがないのだが、いずれの国の受賞作も紙、タイポグラフィ、印刷、造本の技術と工夫に印象づけられるものだった。
 このほかに本年の特徴として、寺本美奈子・印刷博物館学芸員は中国におけるブックデザインが、これまでの荒削りでストレートなデザインから、洗練されたブックデザインへと変化したことを指摘している。グラフィックデザインに限らず、近年の中国は欧米のデザイン手法を貪欲に吸収してきているが、それが物真似ではないレベルにまでこなれてきているということになろうか。[新川徳彦]


会場風景

2016/01/22(金)(SYNK)

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サカツ コレクション 日本のポスター芸術──明治・大正・昭和 お酒の広告グラフィティ

会期:2015/12/05~2016/01/24

八王子市夢美術館[東京都]

飲料・食品商社のサカツコーポレーションが収集した明治末期から大正、昭和初期のポスターコレクションから85点が、「ビール」「日本酒」「ワイン・調味料」「清涼飲料水」の4章に分けて紹介されている。印象的なのは、いずれの商品ジャンルでもいわゆる美人画が大部分を占めていること。調味料や清涼飲料水で、そのターゲットである女性や子どもたちがモチーフとなることは当然と思われるが、男性が主要なターゲットと思われるビールや日本酒などでも女性、とりわけ芸者の姿が多く見られる。これは男性の目線を集めるための美人画なのか、それとも当時のポスターデザインにおける文法なのだろうか。筆者の管見の限りでしかないが、昭和初期の新聞におけるビールの広告には男性像が多いという印象がある。このあたり、媒体の違いによるモチーフの相違を考察してみるのも面白いかも知れない。もうひとつ、美人画ばかりの各種メーカーのポスターに、はたして販促効果があったのかどうかも知りたいところ。ポスターの背景や女性の着物、小道具にそれぞれのメーカーのイメージや名称が判じ絵のように埋め込まれていたりはするのだが、それらはどれほど消費者に特定のメーカーの酒を手に取らせる役に立っていたのだろうか。[新川徳彦]

2016/01/24(日)(SYNK)

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1920~2010年代 所蔵工芸品に見る 未来へつづく美生活展

会期:2015/12/23~2016/02/21

東京国立近代美術館工芸館[東京都]

「美生活」とはなんだろう。工芸館のニュースリリースを読むと「美生活」とはこの展覧会のために創作した言葉とある。展示されている作品は、所蔵作品を中心とした約100点。時代は1920年代から2010年代までの約100年。タイトルには「未来へつづく」とあるので、その射程はまだ見ぬ時代をも包含していることになる。作品のほとんどは名をなした近現代の工芸家のもので、伝統工芸における職人仕事ではない。つまり、近現代の工芸家たちがものづくりにおいて思い描いていた(同時代より少し先の)未来の生活が「美生活」における主題と考えていいだろうか。展示前半ではとりわけて素材や技術の点で丁寧な仕事をしている近現代の工芸家の作品が紹介され、後半では1920年代のモダンなスタイル(アール・デコ様式といってもよい)の工芸品が並ぶ。その先には中原慎一郎氏(インテリア・デザイナー)によるモダニズムをテーマとして所蔵品を用いたインスタレーション。そして、皆川明氏(ファッション・デザイナー)による現代のテキスタイルと工芸館の所蔵作品とのコラボレーション展示へと続く。技術と表現、そして表現の根底にあるモダンな暮らしのイメージは、スタイルの引用ではなくものづくりに対する姿勢の継承というかたちで、現在そして未来へとつながっていることを感じさせる。言葉にするのは難しいのだが、会場の空気、展示から伝わる印象はとても好ましい。[新川徳彦]

2016/01/26(火)(SYNK)

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ようこそ日本へ──1920-30年代のツーリズムとデザイン

会期:2016/01/09~2016/02/28

東京国立近代美術館[東京都]

19世紀からはじまった鉄道・船舶の発達は、遠距離移動の時間を短縮し、その費用を低下させ、人々にとってレジャーとしての旅行を身近なものにしてきた。依然として費用が掛かったとはいえ、外国旅行は冒険ではなくなった。鉄道会社や船会社ばかりではなく、トーマス・クックのような旅行業者の登場で、旅行はパッケージ化されていく。他方で業者間の競争が激しくなってくると、鉄道会社も船会社も自社の路線を人々に知らしめてより多くのサービスを利用してもらうために、さまざまな手段を試みた。サービスの改良はそのひとつだが、視覚的アイデンティティ形成の努力も不断に行なわれた。名所旧跡を描き込んだ路線図やポスター、パンフレットなどの制作はその現われだろう。企業によるこうした努力は世界的な現象で、19世紀後半から登場するイギリス鉄道やロンドン地下鉄の観光ポスター、20世紀初頭のスイスの観光キャンペーンポスター、カッサンドルの有名な《ノルマンディー号》ポスター、吉田初三郎による日本各地の観光鳥瞰図等々はそうした流れのなかで登場してきたグラフィックデザインである。ではそうしたグラフィックにはどのようなイメージが用いられたのか。需要が国内に限定される鉄道の場合は比較的わかりやすいと思う。当時の日本人が抱いていた観光イメージを日本人のデザイナーがデザインするからだ。対してシベリア鉄道によってヨーロッパとつながった南満州鉄道や、外国航路を運行する船会社の場合、海外から日本に来る人々も広告のターゲットになる。東西両洋のまなざしに晒されるポスターにおいて、日本はどのようなイメージを発信していたのだろうか。
展示を見る限りでは、具体的な傾向を見ることはなかなか難しい。満鉄をとってみても、エキゾチックな満州美人を描いた伊藤順三によるポスターもあれば、春田太治平によるアール・デコ風のポスターもある。船会社のポスターも同様にモチーフや様式は多様で、もう少し詳細な分類と分析が必要と思われる。それに対して、展示後半の国際観光局のポスターのイメージは比較的はっきりしている。1930年4月に設置された同局の目的は、観光産業の振興、観光を通じた国際親善、外貨獲得にあった。伊東深水、川瀬巴水、上村松園、中村岳陵、堂本印象らを起用したポスターが、欧米人にとっての日本イメージを目指したものであることは明白である。そこには日本人がイメージするこれからの日本とは異なる世界がある。これは杉浦非水が日本向けのものとして描いたモダン都市としての日本のイメージと、川瀬巴水が輸出向けの新版画に描いた古き日本の風景との対比で考えるとわかりやすいかも知れない。自分たちがどのようにありたいのかということと、他者にどのように見られているかとのあいだには常にギャップがある。本展を企画した木田卓也・東京国立近代美術館工芸課主任学芸員は、日本の観光イメージを「帝国の内と外、自己と他者の両方に向けて発信された『自画像』」であると述べる。観光ポスターに描かれたモチーフやデザインの様式のありかたには、自身を見つめるまなざしの揺らぎ、自身を映し出す鏡としての国際関係の変化が反映していると考えられようか。[新川徳彦]

2016/01/26(火)(SYNK)

『サウルの息子』

新宿シネマカリテほか[東京都]

アウシュヴィッツにもユーモアがあったと、ヴィクトール・フランクルは『夜と霧』であの日々を振り返る。彼によれば「ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒間でも、周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっているなにものか」だ。
絶滅収容所では、千人単位で運ばれてきたユダヤ人を、次々とガス室に押し込め、死体を焼かねばならない。その仕事を遂行したのはゾンダーコマンドと呼ばれた同じユダヤ人だった。数カ月間その「絶滅」の任務を負うことで生きながらえた後、ゾンダーコマンドの一人であるサウルには証拠隠滅のため皆と同じ運命が待っている。サウルはあるとき、死体となった息子を見つける。息子をユダヤ教の祈りのもとで埋葬したい。そう思った瞬間、いったん失われていた「人間という存在にそなわったなにものか」をサウルは回復し、過酷で過密な労働をかいくぐって、運命が定めたのとは別の生を生き始める。
「アウシュヴィッツ」をテーマにした映画に向けてこんなことをいうのは不適切かもしれない。だが、絶望的な状況に無表情で挑むサウルは、まるで『ミッション:インポッシブル』の主人公のようだと思ってしまった。さもなければ処刑台の前で「この髭だけは大逆罪を犯していないからね」とユーモアを飛ばす、トーマス・モアのようなユーモリストのようだ。フロイトはユーモリストのなかに「自己愛の勝利、自我の不可侵性の貫徹」を見た。心を苦しめてくるものに対する徹底的な抵抗は、死の瀬戸際でも、いや、死の瀬戸際であるからこそ求められるのだ。ただし、一点、サウルの行動を「自己愛」と解釈するのでは片がつかない点がある。それは息子への愛が彼をそう変容させたというところだ。
ところで、サウルの息子は本当にサウルの子なのだろうか。あれはお前の子ではないと彼の仲間は言う。そうしたセリフは、サウルが誤解しているとか、サウルを不憫に思ってということより、サウルの行動がより普遍的な未来へ向けられていることを示唆してはいないか。幽霊のように少年がサウルの前に現われるラストシーン。その少年がたんにサウルの息子ではないことは重要だ。少年が森のなかを走り逃げるところで映画は終わる。この少年は変容したサウルが救い出した未来の子ども(=私たち)であり、あるいはその子どもが生きているあいだに示すべき「人間という存在に備わっているなにものか」だろう。


映画『サウルの息子』予告編

2016/01/27(水)(木村覚)

2016年02月01日号の
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