artscapeレビュー

2016年02月15日号のレビュー/プレビュー

フォスター+パートナーズ展:都市と建築のイノベーション

会期:2016/01/01~2016/02/14

森美術館 東京シティビュー内スカイギャラリー[東京都]

森ビルのフォスター展は、半世紀の活動を包括的に振り返る充実した内容と模型群だった。巨大な事務所ゆえに可能だが、彼の仕事はいまなお建築デザインが表層の操作に止まらず、構築的なレベルで未来を開く可能性を感じさせる。しかも、過去の歴史建築ともつきあいながら、一定の成果を出す。ただ、展望フロアの余白に作品が置かれているのは、かわいそうだった。

2016/01/23(土)(五十嵐太郎)

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THE COPY TRAVELERS exhibition「ストーブリーグ2016」

会期:2016/01/15~2016/02/01

Division、VOU[京都府]

京都を拠点に活動する若手作家、上田良、迫鉄平、加納俊輔によるユニット「THE COPY TRAVELERS」。ユニット名に「COPY」と冠されているように、カメラやコピー機、スキャナーといった複製装置を用いて、既成のイメージを再利用したコラージュを「複製」する行為を作品化している。
彼らの活動は、「コピー」、「コラージュ」、「共同作業(コレクティブ)」という、三つの軸から考えることができる。風景写真やグラビアアイドルの写真、布やベニヤ板の一部など、種々雑多な素材が切り抜かれてコラージュされ、コピー機にかけられて、一枚の平面として提示される。暴力的で視認不可能なほど切り刻まれ、接合された画像の群れに、記号化されたマンガのようなドローイング(上田)が描き重ねられる。また、切り抜かれていない一枚の写真や立て看板が画面内にしばしば写され、撮影されたものの再撮影という反復性とともに、画中画のような入れ子構造を形づくる。この入れ子構造は、平面作品の画面中央に、写真の額装マットのような矩形のフレームが切り抜かれ、その「窓」の中に別のイメージがはめ込まれていることと対応している。この「窓」は、カメラのフレームやPCモニター上のウィンドウといった視覚の制度を示唆する。
切り刻み、接合し、穴や切れ目にねじ込み、重ね合わせ、押し付ける。可塑性のあるものとしてイメージを扱う手つきは、フォトショップなど画像加工ソフトによって画像の編集が容易になった時代的感性だ。ではなぜ、コピー機というアナログな装置が用いられているのか。それは、コラージュされた素材の重なり合いが、表面のみ機械的にスキャンされることで、瞬時にして一枚の平らな画面に変換されるからだろう(この平面への「圧縮」という性質は、例えば、シールやテープの貼られたベニヤ板の写真を、実物のベニヤ板の表面に貼り、物理的な表面とレイヤーの乖離によって認識を混乱させる加納作品と通底している)。加えてコピー機の場合、完全にはコントロール不可能なノイズの混入という即興性がある。影の写り込み、押し付けた布や紙の皺、ビニールの反射、手を動かしたときのブレや歪み……。いわば彼らは、DJが次々とレコードを取り替えながら、スクラッチによってノイズ混じりの新たな音を即興的に生成させていくように、不鮮明化、皺、反射光や影といった情報の変形を加えながら、コピー台の上で次々とイメージを編集していくのだ。

2016/01/24(日)(高嶋慈)

森山大道「DAIDO IN COLOR」

会期:2015/12/15~2016/01/30

AM[東京都]

森山大道といえば、モノクロームのコントラストを強調したストリート・スナップというイメージが強いが、じつは初期からカラー写真もかなりたくさん撮影している。1960年代~70年代に「朝日ジャーナル」や「週刊プレイボーイ」(篠山紀信と交互にヌード作品を掲載していた)に発表された写真はほとんどがカラーだし、それらをまとめて蒼穹舎から『COLOR』(1993)、『COLOR2』(1999)という2冊の写真集も刊行している。2000年代以降、デジタルカメラを主に使うようになってからは、むしろカラー写真の比率のほうが大きくなりつつあるように見える。
今回、東京・明治神宮前のアートスペース、AMでまとめて展示された、150点あまりの作品を見ると、森山にとってのカラー写真はモノクロームとはやや異なった意識で撮影されているようだ。森山自身は「モノクロームには、印象性、象徴性、抽象性があるけれど、カラーには、ポップでクリアーでジャンク、いい意味でペラペラな感じがある」と語っているが、たしかにカラー写真のほうが、被写体の色や「ペラペラな」質感にヴィヴィッドに反応しているように感じる。特に目につくのは、飲食店街などに氾濫する紫がかったピンク色や、丸みを帯びたエロチックなフォルムに対するエキサイトぶりで、モノクロームと比較すると、森山のフェティッシュな嗜好が剥き出しで表出しているのが興味深い。1960年代から70年代を中心に80年代の作品まで、バラバラな順序で並んでいたが、年代ごとに彼のカラー写真の変遷を追う展示も見てみたいものだ。


© Daido Moriyama / courtesy art space AM

2016/01/24(日)(飯沢耕太郎)

森山大道写真展

会期:2016/01/23~2016/02/20

東京芸術劇場5階ギャラリー1[東京都]

AMでの「DAIDO IN COLOR」展の余韻がまだ冷めないうちに、東京・池袋の東京芸術劇場5階ギャラリー1で「森山大道写真展」が始まった。2月6日~6月5日にはパリのカルティエ現代美術財団で、近作による「DAIDO TOKYO 」展が開催予定で、このところの森山の展示活動には加速がついてきたようだ。
本展は「光と影」、「網目の世界」、「通過者の視線」の3部構成で、それぞれ特徴がある三つのシリーズを組み合わせて森山の作品世界を再構築している。1982年の写真集『光と影』(冬樹社)の掲載作30点を並べた「光と影」は、オーソドックスな回顧展の趣だが、「網目の世界」のパートでは初期の「ニューヨーク」や「アクシデント」などのシリーズからピックアップした作品18点を、シルクスクリーンで大きく引き伸してプリントし、壁紙状に反覆された目のイメージの上に重ねて展示している。「通過者の視線」のパートは2009~2015年に池袋や新宿の路上で撮影された新作をインクジェット・プリントで出力して、グリッド状に構成しており、森山のカラー写真の表現の、現時点での到達点を見ることができた。
以前の森山は、どちらかというと写真集の刊行を目標、あるいは区切りとして作品を発表していたのだが、このような展示を見ると、その意識が展覧会のほうにややシフトしてきているように思える。会場のレイアウトにあわせて、写真の数や並べ方を自在にコントロールすることで、観客を巻き込んでいくようなヴィヴィッドな展示空間を実現している。ただ、これだけ展覧会が続くと、作品を前にして新鮮な衝撃を感じるのはむずかしくなってくるだろう。写真集と写真展を両輪としつつ、新たな発表の形式を模索していく時期に来ているのかもしれない。

2016/01/25(月)(飯沢耕太郎)

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メンヘラ展 Dream

会期:2016/01/20~2016/02/03

TAVギャラリー[東京都]

初めて訪れる阿佐ヶ谷のギャラリー。1階の店舗を利用したものだが、ガラス窓もそのままで、あまりギャラリーっぽく改装してないため作品展示は難しそう。逆に開放的なので入りやすいという利点もある。今回は2014年から継続的に開いてきた「メンヘラ展」の6回目。メンヘラってメンタルヘルスの略語に「er」をつけた造語だそうで、精神的に病んでる人のことらしい。知らなかった。中心になってるのは自身もメンヘラで東京藝大生の、あおいうに。彼女によれば「メンヘラに『夢を与える』、メンヘラが『夢を与える』という意味付けで、『メンヘラ展Dream』と名付けました」。出品はあおいのほか、あさか、あろ沢、廃寺ゆう子ら、名前からしてフツーじゃない。いずれも双極性障害や抑鬱、強迫性障害などを抱えているという。作品はいわゆるアウトサイダー・アート的な逸脱が見受けられるが、一方で作品としてしっかり見せようとしている人が多く、アートとしての意識は高い。

2016/01/25(月)(村田真)

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