artscapeレビュー

2016年04月15日号のレビュー/プレビュー

生誕150年 黒田清輝 日本近代絵画の巨匠

会期:2016/03/23~2016/05/15

東京国立博物館[東京都]

20年ほど前まではしばしば黒田清輝展が巡回していたように記憶するが、今回は久々の、そして過去最大規模の回顧展。パリ留学時代の自画像から人体デッサン、グレーの風景画、サロンに初入選した《読書》、帰国後「日本の油絵」を模索した《舞妓》や《湖畔》、日清戦争に従軍したときのスケッチ、桜島の噴火図、日本に根づかせようと苦戦した裸体画や構想画、そして晩年の寂しげな風景画まで約200件が展示されている。まあこれだけなら過去にもあったかもしれないが、今回はこれに加え、パリ時代の黒田の師ラファエル・コランほか、カバネル、ミレー、シャヴァンヌ、モネ、浅井忠、久米桂一郎、青木繁ら同時代の画家たちの作品約40件もあって、黒田がパリでなにを学び、日本でなにをやろうとしたのか、なにが実現できて、なにができなかったのかがわかるような構成になっている。年代で見ると、パリ時代末期から帰国後7、8年の約10年間(ほぼ1890年代)がもっとも多産で問題作を連発していた時代で、20世紀以降になると多忙のせいもあってか、要人の肖像画や花の絵や風景画の小品が多くなり、構想画や裸体画などの大作は激減していく。年齢でいえば30代前半までに代表作は出し尽くしているのだ。じゃあ残りの4半世紀近く(58歳で没)はカスのような人生だったかというとまったく逆で、サラリーマンでいえば現場から離れて管理職・取締役に就いたってわけ。画家としてはどうかと思うけど、薩摩藩士の子としてはまっとうな後半生だったかも。作品はほぼ時代順に並んでいるが、そのまま並べると尻すぼみになってしまうので、最後は順序を変えて「そうきたか!」という展開。これを見れば、主催者がこの展覧会でなにを伝えたかったのか、日本近代美術史のなかで黒田をどのように位置づけようとしているのかがなんとなくわかって、うなずける。

2016/03/22(火)(村田真)

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アート・アーカイヴ資料展XⅢ。「東京ビエンナーレ'70再び」

会期:2016/02/22~2016/03/25

慶應義塾大学アート・センター[東京都]

1970年、中原佑介をコミッショナーに、内外のアーティスト40人を招いて東京都美術館で開かれた第10回日本国際美術展、通称「東京ビエンナーレ'70」。枕言葉に「伝説の」がつくこの国際展については多くが語られてきたが、展示の実体に関してはあまり知られていない。というのも、いわゆる絵画や彫刻は少なく、当時まだ珍しかったその場限りのサイト・スペシフィックなインスタレーションが大半を占めたため、現地制作が多くて展示場所がなかなか決まらず、会期中に場所を変更した作品もあったからだ。今回は残された記録写真を精査して、誰のどんな作品がどの展示室にどのように配置されていたかを同定する試み。作品写真の片隅にたまたま写っていた出入口の大きさや、その向こうの展示室にわずかに写る作品の一部、床板の張られている方向や照明の配列などを手がかりに、一つひとつ図面に落とし込んでいったという。これは大変な作業だけど、ハマったらやめられないだろうな。この資料展には作品の記録写真に加え、その写真から読み取れる情報を記した解説、各作品の配置を示した旧都美術館の平面図やマケットなどが展示されている。作品が「どうだったか」を検証するのではなく、作品が「どこにあったか」を検証する珍しい展覧会。おもしろかった。

2016/03/24(木)(村田真)

第9回展覧会企画公募

会期:2016/02/27~2016/03/27

トーキョーワンダーサイト本郷[東京都]

作品公募ではなく、展覧会の企画を公募し、3点の入選プランを展覧会として実現させるもの。見た順に記すと、まず、門馬美喜企画の「Route/59ヶ月」。大震災の混乱のさなかに生まれた5歳になる子供に、福島県相馬市と東京との移動中の風景をカメラで撮ってもらい、それを元に描いた絵を大小合わせて30点ほど展示している。どれも人物がほとんど出てこない殺風景な絵ばかりで、小品は壁にランダムに並べ、100号前後の大作は壁に立て掛け、片隅には角材やスチロールの木っ端を置き、全体に投げやりな空気を漂わせている。次はエ☆ミリー吉元企画の「バロン吉元の脈脈脈」。これは企画者の父である漫画家バロン吉元の作品展だが、原画だけでなく80年代から手がけるようになったイラストやタブローも紹介している。展示は時系列ではなく、正面に100号3枚を横につないだ白黒の巨大タブローを据え、両側に原画やイラストなどを交互に配列。最後は高川和也企画の「ASK THE SELF」で、「いかにして今を生きることが可能か」を問うための試みとして映像を上映。母親らしき女性が登場し、対話ならぬ対話が重ねられる(途中で出たのでどういう展開か知らないが)。図らずも3本とも親子のコラボレーションであり、図らずも3本とも展覧会企画というより、展覧会そのものであった。

2016/03/24(木)(村田真)

/in/visible_GABOMI. 展

会期:2016/03/02~2016/03/25

資生堂ギャラリー[東京都]

自ら開発した「TELENS」「NOLENS」といった手法で撮られた写真。「テレンズ」って望遠レンズかなにかかと思ったら、手をレンズ代わりにして撮影する「手レンズ」のこと。「ノーレンズ」はそのままレンズを使わずに撮ることだそうだ。テレンズはぼんやりボケるけど被写体がなにかわかるが、ノーレンズはかたちがなくなり色しか写らない。またテレンズは一様にオレンジがかっているが、それは血液が透けて写っているからだという。圧巻は壁一面に貼られた洋上に昇る朝日のテレンズ写真。でも見てすごいとかおもしろいとかいうもんでもない。

2016/03/24(木)(村田真)

高橋宗正「石をつむ」

会期:2016/03/10~2016/04/28

PGI[東京都]

高橋宗正が本展のプレスリリースに、作品制作の動機について書いている。それによれば、ある洞窟の中で積み石を見て、自死した友人のことを思い出し、「彼が最後の場所に選んだ森」に入って「ぼくの石を積もう」と考えたのだという。むろん、実際に石を積むのではなく「いつか写真にとろうと思っていたものを撮影して一つずつ手放して」いくということだ。そんな時にスペインに行く機会があり、巡礼の最終地点である「世界の終わり」と呼ばれる場所に、やはり積み石を見つけた。それを見て「終わりというよりは始まりという言葉が似合う」と思ったのだという。終わりがないように思えた撮影の作業に、ひとつの区切りがついたということだろう。
たしかに、写真を撮るという行為はどこか石を積むことと似ている。そのことで何かが生まれるとか変わるとかということは抜きにして、とりあえず石を拾い上げ、積み上げていくように、指先に全神経を集中してシャッターを切る。結果的に、それが鎮魂の意味を持つこともあるのだろう。今回の高橋の仕事は、動機の切実さが、すべて縦位置の端正なモノクローム・プリントの質感によく見合っているように感じた。とはいえ、34点の展示作品を見ていると、「森」で撮影されたと思しき植物、昆虫などに加えて、ヌードなどを含んだシリーズ全体のあり方に、隅々まで神経が行き届いているようには見えない。写真の選択、構成が、やや場当たり的、表層的に見えてしまうのだ。これで一区切りというにはまだ物足りない。もう少し、じっくりと時間をかけて熟成させていくべきテーマのようにも思える。

2016/03/24(木)(飯沢耕太郎)

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