artscapeレビュー

2016年05月15日号のレビュー/プレビュー

足柄サービスエリア

[静岡県]

甲府へ。途中の足柄のサービスエリアがエヴァンゲリオンに埋め尽くされ、すごいことになっていた。初号機の大型立像、レイやカヲルの等身大の人形、エヴァのカラーに塗られたプリウス、ロンギヌスの槍の展示のほか、エヴァ風のサービス・インフォメーション、グッズ販売、飲食店の特別メニューなど、アニメ世界が現実を侵食している。

2016/04/22(金)(五十嵐太郎)

山梨県笛吹川フルーツ公園/《竜王駅》

[山梨県]

山梨県笛吹川フルーツ公園にて、長谷川逸子が設計した建物群を見学する。遠目に見える果物をかたどったようなシルエットはかわいらしくて面白いのだが、近づいても特別な空間の体験が少なかったのは残念だった。続いて安藤忠雄による竜王駅を訪問する。駅の規模のわりには両サイドの幾何学的な大屋根と大階段によって、場所のアイデンティティを与えていた。

写真:上4枚=《山梨県笛吹川フルーツ公園》 下4枚=《竜王駅》

2016/04/22(金)(五十嵐太郎)

「ルネサンスの巨匠 ミケランジェロ」展

会期:2016/04/23~2016/06/12

山梨県立美術館[山梨県]

山梨県立美術館の「ルネサンスの巨匠 ミケランジェロ」展のオープニングに出席する。日本語のタイトルでは外されているが、英語のタイトルには「architecture」と入っているように、天才の建築家の側面にも焦点を当てた企画である。会場では、ミケランジェロのオリジナルのスケッチや関連ドローイングも多数展示されており、ヨーロッパではこういう企画を見ることはできるが、日本ではこれまでも、そしてこれからもなかなか遭遇できない貴重な内容だろう。今回、東北大の五十嵐研の本間脩平が担当し、ラウレンツィアーナ図書館の全体模型を1/100スケールで制作した。また圧巻は野口直人が横浜国立大学のCNCルーターを駆使して実現した、図書館の玄関室の1/20模型である。複雑な古典主義のディテールも見事に再現されている。彼によると、既存の図書館図面がどれもバラバラで、多くの写真を手がかりに模型を制作した過程が興味深い。それは歴史家ではなく、建築家ならではの視点でミケランジェロの形態を読みとく作業でもある。

写真:上から、オープニングの様子、《ラウレンツィアーナ図書館》の全体模型、玄関室の模型

2016/04/22(金)(五十嵐太郎)

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ひらいゆう写真展「休眠メモリー」

会期:2016/04/19~2016/05/01

アートスペース虹[京都府]

フランス在住の写真家、ひらいゆうの個展。鮮烈にして夢幻的な色彩のなかに、悪夢と現実の輪郭が溶解したような光景が出現する。「マダムアクション」のシリーズは、男児向けのマッチョな男性フィギュア(アクションマン)に化粧を施して「女装」させ、フォーカスをぼかして接写することで、生きた人間のポートレートのように写し取った写真作品である。カーニバルの仮装やドラァグ・クイーンのように見える彼ら/彼女らは、儚くも妖しい美しさをたたえている。一方、風景写真のシリーズ「BLUEs」では、夜明けとも黄昏ともつかない、薄明のブルーが浸透した世界を、ライトの人工的な灯が照らし出す。ブルー/赤やオレンジという色彩の対比のなかに、夜/昼、夢や記憶のなかの光景/現実の風景、人形/人間、男/女、といういくつもの境界が揺らぎ合う。とりわけ、印象的な「赤」という色は、血や内臓など生々しい生理的感覚を呼び起こすとともに、網膜内の残像として感じる光のように、非実体的な浮遊感を帯びている。
また、ベルギーのモンスという、第一次世界大戦の戦禍を受けた街で撮影した映像作品も出品されている。暮れゆく、あるいは明けていく空。記憶のなかの闇を照らす象徴のようなロウソクに、顔の見えない兵士の写真がオーバーラップする。墓石の立ち並ぶ墓地の光景。威嚇するような表情の、サルの剥製の頭部。その両目のイメージは、車のヘッドライトと思しき二つの円と重なり、地面に散った無数の花びらへと連鎖していく。圧縮され重なり合った時間と、反復され引き伸ばされた時間。不可解な夢やフラッシュバックのような映像の連なりのなか、覚醒したいくつもの「目」が、闇や夢のなかからこちらを眼差していた。

2016/04/23(土)(高嶋慈)

TWS-Emerging 2016

会期:2016/04/09~2016/05/08

トーキョーワンダーサイト渋谷[東京都]

今年度第1期は田中秀介、大杉好弘、田中里奈の3人の展示。3人とも共通するものがあり、またレベルも拮抗していて見ごたえがあった。田中秀介のモチーフは家や風景や日用品といった身近なものだが、その日常性をくつがえすような視野や荒い筆触によって、もうひとつの現実を垣間見せてくれる。カセットテープをそのまま小さなパネルに描いた《夕刻巻》など、オッと思わせる。大杉は机上の文具、本、コップ、フィギュアなどを薄めた絵具でサラリと描いているが、レイヤーをかけたようなちょっと現実離れした空気感が漂う。別の部屋には絵のモチーフとなった自作の陶製の置物が展示されている。田中里奈は京都嵐山にあるお寺の庭を換骨奪胎して再構成したもの。木の幹や草などは筆で勢いよく描かれ、絵具のかすれも生かしている。色彩は日本的ともいえるシブイ中間色で、薄塗りと厚塗りの強弱をつけたり絵具に砂を混ぜたり、いろいろ試みている。田中秀介が哲学的、大杉が現象学的だとしたら、田中里奈がもっとも美学的といえるかもしれない。アプローチは異なるけれど、いずれも筆触を生かして「絵画らしさ」を強調しているのが興味深い。

2016/04/23(土)(村田真)

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2016年05月15日号の
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