artscapeレビュー

2016年06月15日号のレビュー/プレビュー

九段会館

[東京都]

九段会館の建替え検討をどう思うかについて、NHKから取材を受ける。必ずしも好きな建築ではないが、残り少ない1930年代の時代精神を表わす気合を入れた東京の近代建築であるし、屋根がキャラをもった帝冠様式の重要な事例だから、負の記憶も含めて、なるべく保存する道を探してほしい。流行りのガラス張り商業施設+外壁一部保存を九段でやっても仕方ないだろう。保守は「伝統」が大事なのではと思うのだが、どうもそう考えられてはいないらしい。

2016/05/25(水)(五十嵐太郎)

グレート・ザ・歌舞伎町「OUTSTANDING」

会期:2016/04/29~2016/05/29

STÜSSY SHINJUKU CHAPTER 2F[東京都]

昨年(2015年)、Bギャラリーとトーキョーカルチャート by ビームスの2会場で個展を開催し、写真集『Great The Kabukicho』(Doumori Publishing)を刊行したグレート・ザ・歌舞伎町。その時も感じたのだが、写真を中心に扱う雑誌メディアがほぼ壊滅状態の現在、時代と社会とに真っ向から対峙し続けようとする彼の姿勢は、稀有で貴重なものになりつつある。今回、新宿・歌舞伎町からも近いヒップホップ系のアパレル店で開催された新作展「OUTSTANDING」も、志の高さを感じさせるいい展示だった。
中心は、ヒップホップやブレイクダンスのレジェンドたちのスナップ的なポートレートだが、それだけに収束させることなく、より広がりのある被写体を撮影している。クエンティン・タランティーノや立木義浩などのポートレートもあり、大相撲の白鵬は最近集中して撮影しているのだそうだ。どの写真も技術的なベースがしっかりしているので安定感がある。被写体への向き合い方ものびやかで無理がない。現代社会の本質を、むしろ表層的な事象を通じて探り当てようとする姿勢が見事に一貫しており、写真にはすでに風格さえ漂っている。「ドキュメント」としてのクオリティの高さと、エンターテインメント性を両立させることで、見応えのある写真展になっていた。
むずかしいのはむしろこれから先で、大量かつ効果的に視覚的な情報を伝達していた雑誌メディアが機能不全に陥っている現在、どのようなかたちで写真を発表していくべきなのかが問われている。写真集やギャラリーでの展示もむろんそのひとつだが、ほかにも何か抜け道がありそうな気がする。写真のパワーを保持しつつ拡張していく、よい手段はないだろうか。

2016/05/26(木)(飯沢耕太郎)

あの時代(とき)のホリゾント 植田正治のファッション写真

会期:2016/04/16~2016/05/29

アツコバルー[東京都]

植田正治の人気の高さは、本来は5月22日までだった本展の会期が29日まで延長されたことでもわかるだろう。今年の秋には、各時代の代表作を網羅した大冊の写真集が河出書房新社から出る予定であり、今後も出版や展覧会企画が途切れることなく続いていくのではないかと予想される。
今回の展示は、植田の1980年代以降のファッション・広告写真にスポットを当てたもので、こういう切り口はかなり珍しい。だが、『TAKEO KIKUCHI AUTUMN AND WINTER COLLECTION '83-'84』を皮切りにはじまったこの種の写真においても、植田の研ぎ澄まされた美意識と天性の造形感覚は見事に発揮されており、通常の写真とほとんど地続きであるように見える。それはやはり「砂丘」という舞台装置の設定によるところが大きいのではないだろうか。戦前から愛用してきた、広がりのある天然のホリゾントに人物を配置し、シルクハットやステッキや蝙蝠傘などの小道具を巧みに用いることで、のびのびと自分の写真の世界を構築している。ファション・広告写真という新たな領域に踏み込んだことで、持ち前の実験精神を心ゆくまで発揮することができるようになった、その歓びが写真にあふれ出てきているようだ。
もうひとつ、これまでと違って、デザイナー、編集者、スタイリスト、モデルたちとの共同作業という側面が強まっているのも大きかったのではないかと思う。植田は山陰の地にあって、ほとんど独力であの「植田調」のスタイルをつくり上げてきたのだが、クライアントのいる仕事を手がけることで、自分にはない発想を取り入れていくことができるようになった。縛られることで自由を手に入れるという逆説が、これらの写真から見えてくる。なお、展覧会に合わせて『砂丘 LA MODE』(朝日新聞出版)が刊行された。小ぶりだが、しっかりと編集された写真集だ。

2016/05/27(土)(飯沢耕太郎)

宮本隆司「九龍城砦」

会期:2016/05/20~2016/07/04

キヤノンギャラリーS[東京都]

「九龍城砦」が取り壊されて姿を消してから20年になるという。かつて「魔窟」と称され、数々の都市伝説に彩られた香港・啓徳空港近くの巨大高層スラムの記憶も、日々薄れつつあるのだろう。若い世代にとっては、まさに幻の建築物になってしまった。そうなると、宮本隆司が1980年台後半~90年代に撮影した写真群が、貴重なものになってくる。単純に資料的な価値だけでなく、宮本が本展のリーフレットに寄せた文章に書いているように、それが「困難な歴史を背負った無数の人々がたどり着いた極限の住居集合体」であり「中国人の集合的無意識の結晶体」であったことが、まざまざと浮かび上がってくるからだ。
同時に、「九龍城砦」のシリーズは、写真家・宮本隆司にとっても原点というべき作品である。1988年に大阪のINAXギャラリーで展示され、ペヨトル工房から写真集として刊行された同シリーズは、やはり同年に展示、出版された「建築の黙示録」とともに、第14回木村伊兵衛写真賞の受賞対象となった。今ふり返ると、宮本の都市環境と建築物に対するアプローチの原型が、まさにこの時期にできあがっていたことがよくわかる。展示を見て、最初にこのシリーズを見た時の衝撃が甦ってくるようで、感慨深いものがあった。かつては建築物の特異な外観や、まるで血管のように増殖するパイプやホースの群れに目を奪われていたのだが、あらためて見直すと、そこに住みついている人々の姿が生々しく定着されていることに気がつく。宮本に限らず、建築写真にヒトの居住空間という視点が明確に打ち出されてきたのも、このシリーズのあたりからだったのではないだろうか。

2016/05/27(金)(飯沢耕太郎)

武田陽介「Arise」

会期:2016/05/14~2016/06/11

タカ・イシイギャラリー東京[東京都]

武田陽介が2014年に開催した個展「Stay Gold」と同名の写真集は、確信を持って撮影された決定性の強い写真と、非決定的な揺らぎを含みこんだ写真とを対比的に共存させ、写真というメディウムを通して見えてくる世界像を再構築しようとする意欲的な試みだった。武田は1982年生まれで、同世代の写真家たちの旗手として、次の展開を期待していたのだが、タカ・イシイギャラリー東京の新作展を見て、ややはぐらかされたような思いを味わった。「悪くはない」のだが、表現意欲が停滞しているように感じられたからだ。
今回の展示作品は、3点の大判プリントを含めて8点。ほかにモニターで映像作品を上映している。前回の個展との大きな違いは、全作品が「Digital Flare」のシリーズに統一されていることである。「デジタルカメラを強い逆光に向けた際に生じるフレア、あるいはゴーストと呼ばれる現象を被写体として捉える」このシリーズでは、武田は植物にカメラを向けながら、それを媒介として生じてくる光の揺らぎを「レンズのテクスチュア」として定着する。その意図は明確であり、プリント自体も官能的な美しさに満ちあふれている。だが、このシリーズだけに世界の見え方を特化させることで、前作の多次元的な構造が解体し、どこか予定調和な枠組みのなかに収まってしまっているのではないかと思う。写真家としての申し分のない才能に恵まれ、表現力と技術とを兼ね備えた武田には、さらなる未知の世界の探求を期待したいものだ。

© Yosuke Takeda / Courtesy of Taka Ishii Gallery, Tokyo

2016/05/27(金)(飯沢耕太郎)

2016年06月15日号の
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