artscapeレビュー

2016年06月15日号のレビュー/プレビュー

今井祝雄「クレジオ、耕衣、九条」

会期:2016/05/12~2016/06/19

+1art[大阪府]

今井祝雄は、「具体美術協会」に1972年の解散時まで参加し、制作初期の1960年代には白いレリーフ状の造形作品、1970年代~80年代半ばにかけては写真や映像を用いたコンセプチュアルな作品、80年代以降は主にパブリックアートを手がけるなど、多岐にわたる制作を行なっている。本展では、ル・クレジオの著作、永田耕衣の俳句、憲法第九条の条文をそれぞれ用いた、文字による作品群が紹介された。
改行のない文章がページ全体を埋め尽くすル・クレジオの『物質的恍惚』から、3ページを刷り重ねた作品と、永田耕衣の俳句を五・七・五の3分節に分解し、一文字ずつずらして三原色で刷り重ねた版画作品。ここでは、文字は、意味を伝達する透明な媒体と、物質的な抵抗との間で明滅している。「読めない文字の集積」のなかに、紙に印刷された文字の視覚的構造や、詩句の音律的構造が浮かび上がる。
一方、憲法第九条を用いた作品では、活版印刷で刷られた約120字の条文が、重ね刷り、ずらし、反転、エンボスによる凸凹、フロッタージュなど、さまざまな解体の操作を施されて提示される。ここで文字は、意味伝達の透明な媒体ではなく、視覚性へと解体されながら、紙の表面の凸凹という触覚的な出来事として経験される。それらは、コンクリート・ポエトリーへの接近とともに、条文を美的なものへと変質させる脱政治性を帯びながらも、黒く刷られた条文の上から黒く塗り潰した表面は、墨塗りの機密文書や存在の抹殺を思わせる。また、活版印刷で型押しされた条文のうち、漢字部分の地を黒くこすって浮かび上がらせた作品では、「国際平和」「誠実」「希求」、「戦争」「武力」「行使」「永久」「放棄」といった漢字が浮かび上がる前半の第一項と、「陸海空軍」「戦力」「保持」、「交戦権」「認」といった漢字が浮かび上がる後半の第二項とでは、正反対の意味に分裂したようにも見えてくる。また、鏡に左右反転して記された条文は、読もうとする観客自身の姿をも映し出し、見ること/読むことの主体性について改めて問う。
それらは、活版印刷という廃れ行く技術を用いて印刷されることで、紙に凹凸とともに印刷された文字が持つ手触りを感じさせるとともに、近代の成立基盤のひとつである印刷技術と情報の大量伝達、国民国家の成立、憲法と政治主体などについても想起させるスケールを備えていた。

2016/05/28(土)(高嶋慈)

Screening 'Melting Point' + TEGAMI Project from Hamburg

会期:2016/05/24~2016/05/28

The Third Gallery Aya[大阪府]

映像インスタレーション作家、稲垣智子の企画による、5名の映像作家の上映会。経緯はやや複雑だが、2011年の東日本大震災を受けて、ドイツのハンブルク在住のアーティスト、綿引展子が発案した「TEGAMI」展(日本のアーティストが何を考え、どう行動しているのかをハガキに託してドイツに送り、現地で展示する企画)に稲垣は参加しており、本年度の「TEGAMI」展では「TEGAMI 日本人アーティストの視点 稲垣智子」を個展として開催した。合わせて、会期中のイベントとして上映会「Melting Point」を企画し、稲垣が選出した他5名の作家(伊東宣明、大崎のぶゆき、小泉明郎、松井智惠、山城知佳子)の映像作品が上映された。帰国後、大阪で開催された上映会が本展である(山城作品が上映されない代わりに、稲垣の作品が加えられたラインナップとなった)。いずれも、震災を直接反映したものではないが、2011年以降に制作された作品の中から選出されている。
伊東宣明、大崎のぶゆき、小泉明郎、松井智惠、稲垣智子という顔ぶれは、もしこれが美術館の学芸員やキュレーターなど、第三者の視点からであれば成立しなかったのではないかという印象を受ける。実際、個々の上映作品を通覧しても、全体を一言でまとめるのは難しい。逆に言えば、稲垣の作品をハブにすることで、全体の均質なまとまりではなく、「稲垣と伊東作品」「稲垣と小泉作品」「稲垣と松井作品」という個々の作品同士の関係性から、稲垣智子という作家の視点が浮かび上がってくるように感じた。
稲垣の出品作《間─あいだ》は、ある女性のモノローグに見えた語りが、カメラアングルの仕掛けによって、よく似た二人の女性が向き合う対話と分かり、分岐した会話は次第に齟齬をきたして口論へと発展していく。ビンタの応酬を境に会話は再び1本の線に収束するかに見えるものの、カメラが映し出すのは「二人」に分裂したままであり、自他や真偽の区別が曖昧に融解した、歪んだ鏡像世界をつくり出す。ここに見られる、同一人物(?)の語りが、向き合った二人の(擬似的な)対話へと分裂し、自己/他者、真/偽が曖昧に重なり合った多重世界の出現は、小泉明郎の《ダブル・プロジェクション #1 ─沈黙では語れぬこと》においても顕著である。小泉の作品では、かつて特攻隊に志願するも飛行機事故の不時着のために生き残った老人が登場し、1)特攻隊の記憶を語る、2)戦死した友人に思いを語りかける、3)それに応える「友人」の架空の会話を本人に演じさせ、2)と3)の映像が対面して重なり合う、という構造である。だがそこに、指示を出したり、演出をつける小泉の声がフレーム外から聞こえてくることで、「戦死した友人」の語る内容(「お前が生きていてくれて嬉しいよ」と肯定する言葉)は、この男性が本心から望んでいることなのか、小泉による脚本なのか、そもそもこの男性は本物の元特攻隊員なのか俳優なのかが曖昧になり、感動的なドラマはメタレベルで解体していく。
また、《間─あいだ》に限らず、稲垣作品にしばしば見られる「反復と差異」の構造は、自身の心臓の鼓動を聴診器で聞きながら生肉の塊を叩き続け、生のリズムを死肉に移植して蘇らせようとするかのような、伊東宣明の《生きている/生きていない》における執拗な反復とも共通する。そこで得られる、境界の溶け合いや崩壊の感覚は、風景やポートレイトの鮮やかな描画が水に溶け出し、おぞましいものへと変質していく大崎のぶゆきの映像作品と通底する。さらに、身体的なパフォーマンスの強度によって、周囲の風景やオブジェと身体的な交感を交わす中から、詩的な磁場を立ち上げる力は、稲垣と松井智惠、両者の作品に見てとることができるだろう。
これは本展のひとつの見方に過ぎないが、一人の作家の作品をハブに介することで、ミクロな場所から立ち上がる思考や感性のつながりが見えてくる。作家がキュレーターを兼ねるということについて、実験的であれ、ひとつの可能性を示しているのではないだろうか。

2016/05/28(土)(高嶋慈)

生誕130年記念 藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画

会期:2016/04/29~2016/07/03

名古屋市美術館[愛知県]

ちょっと遠いけど、名古屋と神戸へ日帰りの旅。まず、名古屋市美術館で開かれている生誕130年記念の「藤田嗣治展」。東近美の藤田展が生誕120年記念だったから、もう10年たったのか。この間の藤田の、とりわけ戦争画に対する関心の高まりと評価の変化には目を見張るものがある。つい20-30年前までは、藤田といえばちょっと軽蔑のこもった視線で見ていたのに(ぼく自身がそうだった)、戦争画について知れば知るほど藤田自身に興味が湧いてくるようになった。最近の若い人もおそらく戦争画から入って、その前にエコール・ド・パリの一員だったことを知る人が大半で、戦争画を知る前に乳白色の裸婦に魅せられた人はいないんじゃないか。だとすれば、没後半世紀近くたってようやく藤田にとって戦争画は致命的な汚点ではなくなり、むしろ歴史に名を刻むための名作群に祭り上げられたのかもしれない。その戦争画は今回、《アッツ島玉砕》《ソロモン海域に於ける米兵の末路》《サイパン島同胞臣節を全うす》という、ほぼ望みうる最高の出品。不思議なのは、戦争画と同じころに描かれたミレー風の《仏印風景》と、童話風の《孫娘とおばあさん》という西洋憧憬的な小品。いったい藤田はこれらも戦争画も本気で描いていたのか、と疑いたくなる。この戦争画を挟んだ前と後でリアリズムの度合いが変化するのも見どころ。戦前はプリミティヴィズムといってもいいような画風だったのに、戦後の例えば《X夫人の肖像》《庭園の子供達》《静物(夏の果物)》などは、これまでになく立体的で細密だ。そして60年代の宗教画になると、もはやリアリズムを通り越してあっちのほうに行ってしまう印象だ。藤田の展覧会は、作品を順にながめていくだけで大きな時代の流れに身を任せることができる。実に希有な存在だと思う。今回はランス美術館をはじめ海外からの出品も多く、初めてお目にかかる作品も少なくない。

2016/05/28(土)(村田真)

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木村充伯展 We Mammals

会期:2016/05/07~2016/06/11

ケンジタキギャラリー[愛知県]

名古屋市美からほど近いケンジタキギャラリーへ。木の板の表面をガシガシ削って人か動物のかたちに毛羽立たせ、色を塗り込む。地は白。動物のかたちは猫、犬、クマなどで、プリミティブなつくりなのに、毛羽立ちが体毛のようで妙なリアリティもある。おもしろいのは、鳥やリスなど小動物を彫った小さめの板を止まり木にのせた作品もあれば、板ではなく固まりから丸ごと彫って表面を毛羽立たせた彫刻もあること。バルケンホールを思い出させる作品もあるが、彼の興味はぜんぜん別のところにありそうだ。木村は以前、油絵具をパネルの上で固めた絵画とも彫刻ともいいがたい作品をつくっていたが、その固まりが動物の姿になり、今回はレリーフ状と立体に分かれた。動物は単なるモチーフでしかなく、絵画と彫刻の「あいだ」こそ彼の目指すところかもしれない。

2016/05/28(土)(村田真)

1945年±5年

会期:2016/05/21~2016/07/03

兵庫県立美術館[兵庫県]

名古屋から神戸へ。「1945年±5年」は展覧会のタイトルとしては出色、もうそれだけでイメージが湧いてくる。蛇足だが、「1945年±5年」ていうと1945年を挟んだ10年間だと思われるだろうけど、ここでは1940年から50年までの11年間を指す。一瞬あれ?って思うでしょ。ともあれ、イメージが湧いてくるのはいいんだけれど、そのイメージというのは-5年(1940-45)が戦争画で、+5年(1945-50)が敗戦画という固定観念に由来するものだ。いや実際、前半はいわゆる作戦記録画だけでなく、広い意味で戦争画と呼ぶべき作品が大半を占めるし、後半は逆に焼け跡や打ちひしがれた人たちの像がたくさん選ばれている。例えば、和田三造《興亜曼荼羅》、藤田嗣治《シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)》、女流美術家奉公隊《大東亜戦皇国婦女皆働之図(春夏の部)》、戦後では福井芳郎《ヒロシマ原爆》、鶴岡政男《重い手》、丸木位里・赤松俊子(丸木俊)《原爆の図 第1部 幽霊》などだ。これらの作品によって1945という特異点がより強く浮かび上がってくるわけだが、たまにそれに当てはまらないアノマリーな作品が散見できるのが美術のおもしろいところ。前半では、息子をモデルに横たわる日本兵の遺体を描いた小早川秋聲の《國之楯》とか、悲しげに目をそらす婦人の顔が印象的な向井久万の《銃後を守る国防婦人会》などは、見方次第では反戦画ともいえるし、時流とはなんら関係なさそうなのに不穏な空気を醸し出す靉光、吉原治良、北脇昇らの作品は、抵抗なのか妥協なのか、グレーゾーンだ。後半では、斬新な戦争画を数多く手がけた向井良吉が明るい海辺の漁を描いた《まひる》、敗戦後とは思えない健康的なヌードを見せつける赤松俊子(丸木俊)の《裸婦(解放されゆく人間性)》、待ってましたとばかりに抽象画に手を染めた吉原治良の《群像》などが時代を超えている。出品は計210点。気になるのは、そのうち前半だけで150点、実に7割強を占めること。これは単に戦中期に見せるべき作品が多かったのでたくさん選ばれたということかもしれないが、別の見方をすれば、戦争中は反戦や抵抗(あるとすればだが)も含めて、美術への期待値(需要)が増大するのではないか。これは希望と不安を抱かせる。

2016/05/28(土)(村田真)

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2016年06月15日号の
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