artscapeレビュー

2016年08月15日号のレビュー/プレビュー

ライアン・ガンダー「In practice simplicity has never been a problem」

会期:2016/07/01~2016/07/30

TARO NASU gallery[東京都]

隣のタロウナスへ。壁を一周するように高さ1メートルくらいの位置に棚を設け、その上にカラフルなフィギュアを並べている。その数500個。このフィギュアはレゴと並んで世界的に人気のあるプレイモビルで、頭、顔、上半身、手、足など各パーツが異なる色彩とデザインになっていて、おそらく500個すべて異なる組み合わせだろう。人類の多様性を示しているともいえるし、逆に均質性を表わしているのかもしれない。解説を読むと、5体だけプレイモビルを模した銅像が混じってるそうだ。それは気がつかなかった。

2016/07/23(土)(村田真)

ミロスラフ・クベシュ「人間よ 汝は誰ぞ」

会期:2016/06/22~2016/07/30

gallery bauhaus[東京都]

1927年にチェコ南部のボシレツに生まれたミロスラフ・クベシュは、プラハ経済大学で哲学を教えていたが、68年のソ連軍のプラハ侵攻後に職を追われる。以後、年金生活に入るまで、煉瓦職人や工事現場の監督をして過ごした。1960年代以降、アマチュア写真家としても活動したが、2008年に亡くなるまで、あまり積極的に自分の作品を発表することはなかったという。その後、ネガとプリントを委託したプラハ在住の写真家、ダニエル・シュペルルの手で写真が公表され、2010年には写真集(KANT)も刊行された。今回のgallery bauhausでの個展は、むろん日本では最初の展示であり、代表作57点が出品されている。
生前はほとんど作品を発表することなく、死後に再評価された写真家としては、アメリカ・シカゴでベビーシッターをしながら大量の写真を撮影したヴィヴィアン・マイヤーが思い浮かぶ。クベシュもマイヤーも、6×6判の二眼レフカメラを常用していたことも共通している(クベシュが使用したのはチェコ製のフレクサレット)。だがその作風の違いは明らかで、クベシュの写真には、マイヤーのような、獲物に飛びかかるような凄みやあくの強さはない。広場や公園や水辺で、所在なげに佇む人物に注がれる視線は、どちらかといえば穏やかであり、屈託がない。クベシュは生前に発表した写真評論で「自分の中に稀有なものをもち得ない人間はいない。その何かのために僕たちは彼を好きにならずにはいられない」と書いているが、その誠実で肯定的な人間観は、彼の写真に一貫している。とはいえ、チェコにとっては苦難の時代であった1960~70年代の暗い影は、明らかに彼の写真にも浸透していて、人々の表情や仕草に複雑な陰影を与えている。チェコ人だけでなく、この時代を知る誰もが、彼の写真を見て、懐かしさと同時に微かな痛みを感じるのではないだろうか。チェコには彼のほかにも「埋もれている」写真家がいそうだ。ぜひ、別の写真家たちの作品を見る機会もつくっていただきたい。

2016/07/23(土)(飯沢耕太郎)

馬場磨貴「We are here」

会期:2016/07/23~2016/08/07

OGU MAG[東京都]

1996年に「ふたり」で第33回太陽賞の準太陽賞を受賞し、朝日新聞社写真部勤務やフランス・アルル留学の経験もある馬場磨貴(うまばまき)は、現在フリーランスの「マタニティーフォトグラファー」として活動している。妊婦をヌードで撮影し始めたのは2010年からだが、東京・東尾久のギャラリーOGU MAGUで開催された個展「We are here」を見ると、撮り方、見せ方が大きく変化してきたことがわかる。
当初は撮影した妊婦の画像を、街の日常的な光景にはめ込んでいた。駐車場や横断歩道や歩道橋にヌードを配する写真群もかなり面白い。だが、それらはまだ、画面に異質な要素を対置する異化効果のレベルに留まっていた。ところが、東日本大震災をひとつの契機として、作品の発想がまったく変わってくる。妊婦は怪獣並みに巨大化し、風景に覆いかぶさるようにコラージュされるようになる。しかも、彼女たちの背景になっているのは、ビル街や東京ドームだけではなく、福島原発事故現場近くの立ち入り禁止地域のゲート周辺、福井県の高浜原子力発電所、広島の原爆ドームなどである。
馬場の意図は明らかだろう。妊婦という生命力の根源のような存在を「社会的風景」に組み込むことで、単純なヴィジュアル・ショックを超えた政治性、批評性の強いメッセージを発するということだ。その狙いはとてもうまくいっていると思う。堂々とした妊婦たちの存在感が、風景に潜む危機的な状況を見事にあぶり出している。残念なことに、会場が狭いのと作品数がやや少ないので、このシリーズの面白さを充分に堪能するまでには至らなかった。どこか、もう一回り大きな会場(野外でもいいかもしれない)での展示を、ぜひ考えていただきたい。なお、赤々舎から同名のハードカバー写真集(表紙のデザインは3種類)が刊行されている。

2016/07/23(土)(飯沢耕太郎)

《Gの別宅》

[京都府]

竣工:2015年

銀閣寺近くのGの別宅を見学する。木村松本+田所克庸+加藤正基の設計、伊藤智寿らの施工による連棟長屋住宅のリノベーションである。路地奥の長屋の一部、細長い小空間に常滑の水野製陶園の煉瓦を積んだ段々の壁が挿入され、圧倒的な存在感をもつ。煉瓦の壁は、隣との遮音のほか、段差や隙間のある積み方によって、小物置きとしても機能する。床は三和土。合板の二階は別世界だが、小さな吹抜けで上下をつなぐ。そして奥は減築によってテラスを生む。

2016/07/23(土)(五十嵐太郎)

森田一弥リノベーション

[京都府]

《Gの別宅》近くの山崎泰寛、井口夏実の家を訪問する。これは森田一弥による古い家のリノベーションである。一階は玄関からいきなりベッドが見えて驚くのだが、寝室や書斎とする。次に2階のリビングとキッチンを体験し、この構成を納得する。周辺家屋が近接するなかで、2階ならば開放的な見通しを確保できるからだ。斜面になった背後は、天皇陵が目の前である。必要な強度は確保しつつも、屋根や壁などはフル補修ではなく、今度も続くリノベーションの過程としての住まいだった。

写真:左列・左上=山崎泰寛・井口夏実の家、天皇陵

2016/07/23(土)(五十嵐太郎)

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