2018年10月15日号
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artscapeレビュー

2016年08月15日号のレビュー/プレビュー

木原悠介「DUST FOCUS」

会期:2016/06/29~2016/08/06

POETIC SCAPE[東京都]

何を撮るのかというのはやはり大事だと思う。1977年、広島県出身の木原悠介が、ここ10年あまり撮影し続けているのは、商業施設や飲食店の天井裏にある排気用の「ダクト」である。なぜ、そんな写真を撮るようになったかといえば、アルバイトで「ダクト」の清掃の仕事を続けてきたからだ。その作業をしているうちに、木原は縦横25×35センチほどの狭い空間の眺めに惹きつけられるようになり、それらをレンズ付きフィルム(使いきりカメラ)で撮影し始めた。今回、東京・中目黒のPOETIC SCAPEで開催された写真展では、そのなかから17点が展示されていた。
「ダクト」の形状に微妙な違いはあるが、中央奥に四角い平面が見える遠近法的なスペースである事は共通している。どこか杉本博司の「劇場」シリーズを思わせる同じ構図の写真が淡々と並ぶのだが、見ているうちにじわじわとその面白さが伝わってくる。何といっても圧倒的なのは、写真展のタイトルにもなっている「DUST」の、多様かつ魅力的な存在感だろう。「ダクト」にこびりついた塵芥が、さまざまな形状、フォーカシングで目に飛び込んでくるのだが、それはそのまま、われわれの現実世界のめくるめく多様さに見合っているようでもある。狭い空間に体を捻じ込んで、フラッシュを焚いて撮影している木原の身体感覚が、息苦しいほどのリアリティで伝わってくるのもいい。ユニークな写真作家の登場だ。
なお、展覧会に合わせて、SUPER BOOKSから同名の写真集が刊行された。表紙は顔を布で覆って、目だけを出して「ダクト」に潜り込んで作業中の木原のセルフポートレート。それがとても効いている。

2016/07/13(水)(飯沢耕太郎)

吉野英理香「NEROLI」

会期:2016/07/09~2016/08/06

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]

タイトルの「NEROLI」というのは、「ビターオレンジの花から抽出されたオイル」のこと。「花の蜜に、木の皮や、葉の香りが入り混ざった複雑な香りがする」のだという。吉野が自分の写真を「複雑な香り」に喩えるのは、とても的を射ていると思う。彼女の写真は、身近な日常にシャッターを切っているにもかかわらず、さまざまな視覚的、触覚的、そして嗅覚的な要素が絡み合い、じつに複雑なハーモニーを奏でているからだ。その志向は、やはりタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムで展示された前作の「Digitalis」(2012)から一貫しているが、「2011年から2014年に撮影された作品群」から成る今回の展示では、より洗練の度を増してきた。
鏡、水面、植物、自動車のボディ、あるいは写真や文字といった被写体は、ほぼストレートに撮影されている。にもかかわらず、そのたたずまいがどこか非現実的に見えるのは、画面の中に小さな罠が仕掛けられているからだろう。特に効果的なのは光の反射とボケで、それらの視覚的な操作を的確に使いこなすことで、見慣れた場面が神秘的で謎めいた舞台装置に見えてくる。一枚一枚の写真が映し出している情景に小さな物語が含み込まれていて、それらを繋いでいくと「パッションや偶然性、そして、掴むことのできない大切な、かけがえのない瞬間」が連なる、神話的と言っていいような構造が浮かび上がってくるのだ。
なお展覧会にあわせて、赤々舎から同名の写真集が刊行された。今回の展示作品だけでなく、「Digitalis」のシリーズも含む構成だ。端正な造本のページをめくると、いい匂いが立ち上ってくるように感じる。

2016/07/13(水)(飯沢耕太郎)

有元伸也「TOKYO CIRCULATION」

会期:2016/07/03~2016/08/03

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

有元伸也が2006年から撮り続けている、新宿を中心とする6×6判の路上スナップのシリーズも今年で10年目を迎えた。2010年からは、自ら運営するTOTEM POLE PHOTO GALLERYで「ariphoto」と題する連続展を開催し、その度に写真集『ariphoto selection』(vol.1~vol.6)を出してきたのだが、今回のZEN FOTO GALLERYでの個展を契機として、それらをまとめた大判ハードカバー写真集『TOKYO CIRCULATION』(ZEN FOTO GALLERY)が刊行された。
印刷、造本に隅々まで気を配った写真集は素晴らしい出来栄えだが、62点の作品をピックアップした展示もなかなかよかった。普段TOTEM POLE PHOTO GALLERYで見慣れた写真群が、六本木のギャラリーの空間では、また違った雰囲気で見えてくる。一点一点の作品の個別性だけでなく、それらの相互のつながりが浮かび上がってくるのだ。特に途中からレンズを広角系に変えたことで、写真の奥行き感が違ってきているのが興味深い。路上の群衆から「浮いてくる」ような人物を画面の中心に据えてシャッターを切っていることに変わりはないのだが、その人物のアクションが周囲の環境に及ぼす影響が、写真に写り込んできているのだ。しかもそれらの写真群は、5枚×5枚、3枚×8枚という具合にグリッド状に並んでいた。そのことで、新宿の路上を一繋がりの大きな空間として捉える視点が、より強調されているようにも感じた。
有元のこのシリーズは、もはやライフワーク的な意味合いを持ち始めている。だが、ひとつのスタイルに固執するのではなく、これから先も大胆に変化していってほしい。そろそろ、カラーバージョンも考えられるのではないだろうか。

2016/07/13(水)(飯沢耕太郎)

インデペンデンス・デイ:リサージェンス

20年後の「インデペンデンス・デイ」を見る。想定どおりに物語はバカで、ダサいデザインのエイリアンも、中枢の一撃で全隊が敗北する虫モデルの組織も相変わらずだ。しかしながら、3DのIMAXで映像の迫力を体験できることには十分な価値がある。重力の操作によって上げて落とすという単純な攻撃だが、なるほど破壊力は凄まじい。ハリケーンが通過した後のような破壊は見所である。最近のハリウッド映画のさまざまな作品の続編において、中国の存在感が目立つのは、本作も例外ではなかった。

2016/07/13(水)(五十嵐太郎)

湯川洋康・中安恵一「豊饒史のための考察 2016」

会期:2016/07/06~2016/07/17

Gallery PARC[京都府]

石、植物の種、貝殻、鳥の羽根、鈴、五円硬貨、陶片、アクセサリーの一部。それらがブリコラージュ的に組み合わされ、繊細で魅力的なオブジェを形づくっている。用途は不明だが、祭壇に捧げられた供物、呪具、装身具を思わせる、呪術性を帯びたそれら。何か聖なるものを「降ろす」依り代のように環状に配置され、天秤が示唆するように平衡を保ち、見えない秩序によって支配された祭祀的空間の磁場が立ち上がっている。一つひとつは謎めいた形だが、どこか記憶の古層を刺激するそれらは、《豊饒史のための考察》と名付けられている。
湯川洋康は服飾業界で活動し、中安恵一は歴史家であるという、異色ユニット。物質的な豊かさにおいて飽和した現在、「物質/精神の均衡についてより意識的になる必要」から、「我々の暮らしにおける『豊かさ』を再構築するための概念」と説明される「豊饒史」の定義はやや曖昧だが、「豊饒」と「史(歴史、物語ること)に分けて本展を考えてみたい。
民間信仰において、無病息災や豊作祈願といった祈念が託されたモノや、死者の魂や神を降ろし、交信するための依り代。廃れゆく民間信仰や風習を民俗史的なリサーチによって掘り起こし、審美的なオブジェとして再構成する彼らは、あえて「彫刻」という美術の制度的な文脈における言葉を用いている。それは、目に見えない祈念や精神性との仲立ちをとりもつ物質をメディウム(霊媒)と見なし、近代的な美術の制度から捨象されてきた文化的慣習や習俗における形象を、史的資料ではなく美的な側面から光を当て、集合的な想念の力や豊かな水脈を再び呼びこもうとしていると考えられる。
そして、彼らの関心の対象が民間信仰や習俗であるように、「史」は、書かれた歴史にとどまらず、口承の語りや個人的な記録物も含み、断片の再編成によって新たな形を生み出す行為である。更地で拾った瓦や陶片を金継ぎした作品や、帯状に裁断した本のページを織物のように編み込んだ作品が、そのことをよく示している。
「歴史を語ること」はまた、断片的な要素の組み換えと再構築を通して、新たな秩序の創出への欲望でもある。彼らが参照しているように、本居宜長が10代の頃に創作した、架空の城主「端原氏」の家系図とその城下絵図の緻密な描写は、世界の秩序の可視化への欲望をまさに体現している。民俗史のエッセンスを抽出して美的に再構築(彫刻化)しつつ、ダイナミックな再編成と安定した秩序の往還のうちに人々の営為を眼差す彼らの試みは、「豊饒史」という新たな思考のフレームに向けられている。


《豊饒史のための考察2016》
撮影:麥生田兵吾

2016/07/15(金)(高嶋慈)

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