2018年04月15日号
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artscapeレビュー

2016年08月15日号のレビュー/プレビュー

山田町

[岩手県]

山田町は、大杉神社が残っており、廃墟のなかで鳥居がたっていた風景を思い出す。周囲はほぼ更地で、この神社の存在が以前目撃したのと同じ場所だという確信を与える。蔵や一部のビルも残っていた。消えた駅や線路の周辺は、かさ上げした土地の上に復興集合住宅群を建設中である。それを挟んで両側に仮設商店街が配置されていた。

写真:左=上から、山田町概観、大杉神社、山田町に残る蔵やビル 右=上から、復興住宅、仮設商店街

2016/07/16(土)(五十嵐太郎)

白川在建築設計事務所《N VILLAGE》

[岩手県]

竣工:2015年

大槌へ向かう途中、浪板海岸にて白川在が設計したN VILLAGEを見る。カフェ、サーフショップ、集会所などの複合施設で、尖った家型の大小のシルエットが5つ並ぶ。現物は写真の想像よりも大きい。が、それによって防風林に面し、海と山に挟まれた場所においてちょうどよいスケールだと感じられた。

2016/07/16(土)(五十嵐太郎)

旧大槌町役場庁舎

[岩手県]

大槌では、赤浜の記憶をたどりながら、猛烈な土木工事が進むエリアを見て、震災遺構となった旧大槌町役場に足を運ぶ。これも完全に柵で囲まれ、まわりから見下ろす。ということは、その道路の高さの分だけかさ上げされているわけだが、駅や火で焼けただれた街並みは完全に消えた。近くには妙に和風の復興集合住宅が建つ。

写真:上=大槌町 下2枚=旧大槌町役場

2016/07/16(土)(五十嵐太郎)

伊東豊雄建築設計事務所《釜石「みんなのひろば」》、伊東豊雄建築設計事務所、アトリエ・天工人、Ma設計事務所《釜石漁師のみんなの家》

[岩手県]

釜石の鵜住居へ。本当は宝来館に泊まりたかったが、再訪すると、満員で元気にやっていた。釜石みんなの広場は、ナイキとArchitecture For Humanityの協力で、仮設小学校と中学校のグランドを整備し、クラブハウスを建設したもの。二階のテラスからスポーツを眺める。続いて、釜石漁師のみんなの家へ。ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展2010で金獅子賞をとったバーレーンの漁師小屋を、都現美の展示を経て移築し、釜石バージョンにアレンジしたものである。ヴェネツィアで見たときから、だいぶ小さくかわいらしくなった。その横にアトリエ・天工人による隣のテイストを継承した小屋も建つ。

写真:左上2枚=《宝来館》、左下・右上=《釜石みんなの広場》 右下3枚=《釜石漁師のみんなの家》

2016/07/16(土)(五十嵐太郎)

東松照明 ─長崎─展

会期:2016/05/28~2016/07/18

広島市現代美術館[広島県]

「長崎」の時間の重層的な皮膚をどう写し取ることができるのか。1961年に始まった長崎の撮影は、東松照明のライフワークとして約50年にわたり継続されることで、「マンダラ」としての濃密な織物を形成してきた。そこでは時間は単線的に流れるのではなく、せき止められ、幾重にも折り重なり、分岐と再接続を繰り返しながら、イメージが連鎖的に共鳴し合う水平方向と、複数の過去の記憶へ遡行する垂直方向へ伸び広がっていく。約350点の写真が展示された本展は、「長崎」の時間を編み直す場でもある。
冒頭に提示された、被爆遺物の時計が象徴的に示すように、「11時02分」で静止した時間。固定・凍結された瞬間としての原爆と写真の同質性。そこからどう逸脱・逃走するかが、以降の写真で果断に試みられていく。60年代前半にモノクロームで撮影された、被爆16年後を生きる被爆者たち。後光のように頭上から光が差し込む聖人的崇高さは、破壊された天使やキリストの石像とリンクし、キリシタン迫害の歴史の想起の呼び水となる。また、カラーへの移行を経て、被爆者たちのその後を追った90年代の写真が隣接されることで、二世代、三世代にわたる生の連続性が日常の中に示され、家族史の記録ともなっている。ケロイドの痕を捉えた60年代のモノクロポートレイト2枚を画中画として配置した「山口仙二さん」の肖像には、背後に堆積した千羽鶴とともに、撮影する東松自身の影が写し込まれ、ひとつの画面内に複数の時間が重層的に折り畳まれている。
長崎の町歩きで撮影された膨大な写真群は、遊歩者としての東松の視線を追体験させるとともに、カメラを構えた「影」を写し込むことで、「長崎」に自身を差し入れる身振りが交差する。坂の多い町、海原のように眼下に広がる瓦屋根。無人売店とうろつく犬。漁業と造船業の町。キッチュな祭のドラゴンが練り歩く町。石畳を鮮やかに照らし出す、ステンドグラスの透過光。中国やポルトガル、オランダなど多文化の流入と接触の中で変容してきた町。塗装が剥げ落ち、フジツボの付着した船体やトタン板の接写は、鮮やかな色彩のドリップが抽象絵画を擬態するが、ただれた皮膚のイメージの暗喩として、突如、意識の中に回帰する。
2000年代に再撮影された被爆遺物を経て、展示の終盤に現われる諫早湾の干潟の穏やかな光景は、すぐれて象徴的である。川に運ばれた土が堆積し、波に浸食され、淡水と海水、水と土、異質なものどうしが混じり合う境界領域。波の跡が繊細な起伏の皺として刻まれた柔らかい泥の皮膚は、外界との界面=インターフェイスとしての皮膚であり、乾燥と湿潤、記憶と忘却を繰り返すその表面の複雑な襞の下には、見えない時間の層が堆積しているのだ。

2016/07/17(日)(高嶋慈)

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