artscapeレビュー

2016年09月15日号のレビュー/プレビュー

《門司港ホテル》ほか

[福岡県]

アルド・ロッシらによる《門司港ホテル》に一泊し、久しぶりに周辺の近代建築めぐりを行なう。ただし、《門司港駅》は補修工事中だった。横浜に比べると、コンパクトに「レトロ建築」が集合し、観光地としてのアイデンティテを明快に押し出している。

写真:左上=《門司港ホテル》 左下=《国際友好記念図書館》 右上=《旧門司税関》 右下=《旧門司三井倶楽部》

2016/08/28(日)(五十嵐太郎)

第5回 新鋭作家展 型にハマってるワタシたち

会期:2016/07/16~2016/08/31

川口市立アートギャラリー・アトリア[埼玉県]

この新鋭作家展は公募で作家を選ぶのだが、ただ作品を審査して入選作を展示するのではなく、市民も作品づくりに参加し、一緒に展覧会をつくっていく1年がかりのプロジェクトなのだ。そのため審査もポートフォリオ、プレゼンテーション、面談と3段階に分けて慎重に行なわれる。で、今年選ばれたのが大石麻央と野原万里絵という同世代のふたり。大石は、ハトのかぶりものと黄色いTシャツを着けたハト人間のポートレートを展示。これは会期前に開かれた「着るアート体験&撮影大会」で、100人を超す市民にかぶりものと黄色いTシャツを着けてもらって撮影。これらの写真に加え、ハト人間の等身大の像も展示している。野原は高さ5メートル、幅10メートル近い大絵画2点の出品。木炭でステンシルの技法を使って描かれたモノクロ画面だ。こちらは「パンと炭で巨大壁画に挑戦」というワークショップを開催。子供たちが型紙を使って野原とともに協働制作を行なった。大石は同じマスクとTシャツを使い、野原は型紙をステンシルとして用いる点で、どちらも「型」を重視していることから、タイトルは「型にはまってるワタシたち」になったそうだ。美術館ほどの規模もコレクションもない施設だが、それだけに市民に密着した活動に磨きがかかっている。

2016/08/28(日)(村田真)

プレビュー:『nước biển / sea water』特別上映 ダンスボックス アーカイブプロジェクト

会期:2016/10/12~2016/10/29

アートエリアB1[大阪府]

NPO法人DANCE BOXは、1996年に大阪で活動を開始し、2009年に神戸の新長田に拠点を移し、今年20年目を迎える。地域に根差した活動とともに、世界各地のコンテンポラリー・ダンス作品を紹介し、レジデンス・プログラムや「国内ダンス留学@神戸」といった育成事業を手がけてきた。これまでの軌跡として、過去20年間の上演作品の映像の整備を進めており、2017年2月にアートエリアB1にて、時代ごとにセレクトした映像が公開される。
このアーカイブ・プロジェクトのオープンを記念して『nước biển / sea water』(製作・出演:松本雄吉、ジュン・グエン=ハツシバ、垣尾優)の記録映像が10月に公開される。この作品では、大阪を拠点とする劇団「維新派」を主宰する松本雄吉によるオリジナルテクストと朗読、ヴェトナムとアメリカを拠点とする現代美術作家のジュン・グエン=ハツシバによる映像、ダンサーの垣尾優によるソロパフォーマンスが舞台上で交錯する。contact Gonzoの塚原悠也のディレクションによる「KOBE-Asia Contemporary Dance Festival #3」において2014年2月に上演され、同年12月には東京都現代美術館での「東京アートミーティング第5回 新たな系譜学をもとめて」展において再演された。
筆者は神戸公演を実見したが、個人的な語りや記憶と「水」にまつわる重層的なイメージが交錯し、柔らかく包み込みながら記憶と身体を揺り動かしていくような、得難い体験となった。松本が朗読する声とハツシバの映像で語られる、体内に存在する水分と海水の親和性、循環する水のあり方と仏教的な死生観、海を渡って移住する人々の生や家族の記憶。それらの語りや記憶と交わるように、たゆたうように踊られる垣尾のソロダンス。じんわりと3者が浸透していくなか、上演中に劇場近くの港から汲んできた海水が舞台上に運びこまれ、全ての生命の源でもあるその海水を、観客は一人ひとり、お椀や容器に分かち合う。そしてパフォーマンスの終了後、海水の入った容器を手に夜道を歩いて、再び海へ海水を戻す。つかの間生成した不思議な共同体と、生と死を擬似体験させる儀式のような行為。見知った人、見知らぬ人、海への道中でたまたま知り合った人と言葉を交わしながら、2月の澄んだ夜空の下を歩き、黒々とした夜の海に海水を返した経験は、今でも忘れられない。本作は、今年6月に逝去した松本の最後の出演作となったが、自身の考えを多く語るものでもあった。記録映像に加えて、作品にまつわるモノや記憶も公開される予定だという。公演を未見の方にも、ぜひ追体験してほしい。


『nước biển / sea water』(製作・出演:松本雄吉、ジュン・グエン=ハツシバ、垣尾優)

2016/08/29(高嶋慈)

プレビュー:チャンネル7 髙橋耕平──街の仮縫い、個と歩み

会期:2016/10/15~2016/11/20

兵庫県立美術館[兵庫県]

注目の若手作家を紹介する “チャンネル”7回目は、主に映像作品を手がける髙橋耕平。初期作品では、同じ映像を鏡像のように左右反転させた映像と対で並置する、録画した自身の映像と「対話」する自己分裂的な状況をつくり出すなど、映像における同一性を撹乱させる試みを行なってきた。このように、身体性を介入させつつ、「複製(イメージの複製、行為の複製)」「反復とズレ」「同一性と差異」といった映像の構造に自己言及的な作品群から、近年の髙橋は、具体的な人物や場所に取材したドキュメンタリー的な制作方法へとシフトしている。
とりわけ、「編集」に対する意識の先鋭化において秀逸なのが、《となえたてまつる》(2015)。この映像作品は、三重県伊賀市島ヶ原にある観菩提寺に伝わる御詠歌を、本尊の秘仏が御開帳される33年ごとに継承する村人たちを取材したものである。前回(33年前)と前々回(66年前)の御開帳を経験した老婦人たちの語る思い出話は、しかし、無音のショットの挿入によって繰り返し中断させられる。音声的な空白として映される、歌の継承稽古の風景。私たちは、老婦人たちの思い出話に耳を傾け、かつての継承時に起きた出来事の記憶を共有する時間を過ごしたのちに、ラストで初めて御詠歌を「音声」的に経験する。こうした反復と分断によって「編集」の作為性を顕在化させた本作は、33年ごとに繰り返される御詠歌の継承を構造的に身に帯びるとともに、忘却と想起を繰り返す記憶のメカニズムや、世代から世代へと記憶が口承伝達される共同体の存続のありようを追体験させるものでもある。
一方、本展「街の仮縫い、個と歩み」では、21年前の阪神・淡路大震災以降の、都市の経験や記憶をテーマにした映像や写真作品が発表される予定。同じ街に暮らす人々が、個々に異なる身体や認識で、街を違ったふうに経験し、記憶を更新させていくさまを、「それぞれの身体にあわせ街を更新し続ける仮縫いのようだ」と髙橋が捉えていることが、タイトルに表われている。過去と現在、記憶の個別性と共有、歩くという行為の身体性と記録、リサーチベースの作品のあり方など、さまざまなトピックを考えさせる展示になるのではと期待される。

関連レビュー

記述の技術 Art of Description:artscapeレビュー

2016/08/29(高嶋慈)

プレビュー:スネーク・ダンス

会期:2016/10/03

京都コンサートホール[京都府]

ベルギー人監督マニュ・リッシュのドキュメンタリー映画「スネーク・ダンス」の上映と、同映画で音楽を担当した日本人ピアニスト菅野潤のリサイタルで構成される公演。「スネーク・ダンス」は、原子爆弾の起源から3.11後の日本へと至る、アフリカ、北米、アジアの3つの大陸をつなぐ物語である。原子爆弾は、当時ベルギーの植民地であったコンゴで採掘されたウランから生まれ、ニューメキシコ州ロス・アラモスで科学者たちによって製造され、日本で試された。
この映画では、隠れた案内人としてドイツの美術史家・思想家のアビ・ヴァールブルクが参照され、音楽は菅野潤が演奏するベートーヴェンとショパンのピアノ曲が流れる。これらの曲は、広島に原子爆弾が投下される少し前に、開発に携わった物理学者のオットー・フリッシュがロス・アラモスで弾いた曲でもある。異なる時代と場所をつなぐ楽曲は、映画の上映後に続くリサイタルでどのように響くのだろうか。

2016/08/29(高嶋慈)

2016年09月15日号の
artscapeレビュー