artscapeレビュー

2016年10月01日号のレビュー/プレビュー

大妖怪展 土偶から妖怪ウォッチまで

会期:2016/07/05~2016/08/28

江戸東京博物館[東京都]

妖怪についての展覧会。過去最大級とも言われる128点の作品が一挙に展示された。副題に示されているように、縄文時代の土偶から地獄絵、絵巻物、浮世絵、そして妖怪ウォッチまで、妖怪表現のルーツを体系的に見せた展観である。国宝の《辟邪絵神虫》をはじめ、重要文化財の《百鬼夜行絵巻》、《土蜘蛛草紙絵巻》など、見どころも多い(大阪のあべのハルカス美術館で11月6日まで開催)。
土蜘蛛、骸骨、天狗──。妖怪とは「日本人が古くから抱いてきた、異界への恐れや不安感、また“身近なもの”を慈しむ心が造形化されたもの」である。つまり、どれだけ異形だったとしても、そこには現世とは異なる世界への両義的な感情が託されているわけだ。事実、極端にデフォルメされた妖怪たちのイメージを見ていると、確かに恐ろしい形相に違いはないが、なかには間抜けでユーモラスな印象を残すものも多い。非人間的なイメージでありながら、きわめて人間的な佇まいを感じさせるのだ。おそらく妖怪とは、人間の情動を歪なかたちで写し出した鏡像だったのではないか。
そのようなかたちで人間を表出させる文化装置は、明治以降、急速に社会の前面から撤退してゆく。科学技術とともに人間中心主義的な世界観が大々的に輸入された反面、妖怪は「非科学的」という烙印とともに姿を消していったのである。だが妖怪たちは完全に死滅したわけではなかった。よく知られているように、(本展には含まれていなかったが)漫画家の水木しげるは有象無象の妖怪たちが棲む世界をマンガのなかに構築したが、その手かがりとしたのが本展にも出品されていた烏山石燕である。私たちが今日知る妖怪の典型的なイメージは、烏山石燕による《画図百鬼夜行》などに着想を得た水木しげるのマンガに由来していると言っていいだろう。
しかし、だからこそ本展における《妖怪ウォッチ》に大きな違和感を覚えたことは否定できない事実である。それは、端的に烏山石燕から水木しげるへ受け継がれた系譜とは、まったく無関係に展示されていたからだ。《妖怪ウォッチ》が悪いわけではないが、「大妖怪展」という大風呂敷を広げたのであれば、妖怪のイメージ史に《妖怪ウォッチ》がどのように位置づけられるのかという視点が必要不可欠だったのではないか。例えば先ごろ國學院大學博物館で催された「アイドル展」も、展示の大半は偶像資料だったにもかかわらず、展示の冒頭で現在のアイドルを紹介していたが、その接合の厳密性については、あまりにも配慮が足りなかったと言わざるをえない。言うまでもなく、客寄せ効果を期待できる大衆迎合主義という謗りを免れるには、厳密で精緻な学術性が展示に担保されていなければならない。

2016/08/26(金)(福住廉)

artscapeレビュー /relation/e_00035903.json s 10127799

小沢さかえ「わたしたちのいた地球」

会期:2016/08/27~2016/09/25

MORI YU GALLERY[京都府]

関西では約3年半ぶりとなる個展を開催した小沢さかえ。作品はキャンバスに描いた大小の油彩画18点と、紙に水彩や色鉛筆などで描いた小品6点だった。作品の内容は、草原を飛び交う鳥たちの中心で舞う女性、岩山と一体化し、恍惚の表情を浮かべる女性(いずれも自然の精?)、森の中で戯れる動物たちや人間、色とりどりの花であり、現実、幻想、神話、アニミズムが混然一体となった世界を形成している。それらは一種SF的でもあり、筆者は若き日に読んだレイ・ブラッドベリの短編小説を思い出した。現実と空想が地続きだった子供時代の感覚を思い出させてくれること。それが小沢作品の魅力ではないか。

2016/08/27(土)(小吹隆文)

古都祝奈良 ─時空を超えたアートの祭典─

会期:2016/09/03~2016/10/23

東大寺、興福寺、春日大社、元興寺、大安寺、西大寺、唐招提寺、薬師寺、ならまち、ほか[奈良県]

「古都祝奈良(ことほぐなら)」は、日本、中国、韓国の3カ国で、文化による発展を目指す都市を各国1都市選定し、さまざまな文化プログラムを通じて交流を深める国家プロジェクト。今回は日本の奈良市、中国の寧波市、韓国の済州特別自治道が選ばれた。イベントは美術部門、舞台芸術部門、食部門から成るが、筆者が取材したのは、美術部門のうち8つの社寺で行なわれた作品展と、ならまち会場の一部だ。8つの社寺とアーティストのラインアップは、東大寺/蔡國強(中国)、春日大社/紫舟+チームラボ(日本)、興福寺/サハンド・ヘサミヤン(イラン)、元興寺/キムスージャ(韓国)、大安寺/川俣正(日本)、西大寺/アイシャ・エルクメン(トルコ)、唐招提寺/ダイアナ・アルハディド(シリア)、薬師寺/シルパ・グプタ(インド)である。アーティストの国籍がアジアを横断しているが、その背景には、かつて平城京がシルクロードの東の終着点だった歴史があるのだろう。作品では、巨大な木製の塔を建てた川俣正、寺院にふさわしい哲学的なオブジェを発表したキムスージャ、インタラクティブな映像作品の紫舟+チームラボ、龍の伝説と中東起源のユニコーンをクロスさせたダイアナ・アルハディド(シリア)など力作が多く、非常に見応えがあった。また、電車、バス、徒歩で比較的容易に会場間を移動でき、一部社寺の拝観料以外は無料で観覧できるのも嬉しいところだ。このイベントは初期の広報が不親切で、事前の周知が十分とは言い難かった。もっと丁寧な広報を早期から心がけていれば、きっと大きな話題を集めたであろう。展示が素晴らしかっただけに、その点だけが残念だ。なお、美術部門のディレクションとアーティスト選定を担当したのは北川フラムである。

2016/09/02(金)(小吹隆文)

日輪の翼 大阪公演

会期:2016/09/02~2016/09/04

名村造船所大阪工場跡地(クリエイティブセンター大阪)[大阪府]

台湾で作られたデコトラ調の移動舞台車を用いて、中上健次原作の野外劇『日輪の翼』を国内各地で上演してきたやなぎみわ。筆者は過去に移動舞台車とそこで行なわれたポールダンスのパフォーマンスを見たことがあるが、『日輪の翼』は初めてだった。会場は名村造船所大阪工場跡地。やなぎの演出は工場跡の広大なスペースを生かしたもので、約100メートルはあろうかという奥行を効果的に利用していた。特に闇にフェイドアウトしていくラストシーンは秀逸だった。また演劇と音楽とポールダンスをミックスした構成もユニークで、舞台公演でしか表現できない世界が確かに感じられた。ところで、野外公演のネックは天候だが、当日は序盤から中盤にかけて雨に見舞われた。傘は禁止だったので、観客はカッパ着用で耐えるのみ。しかし、後半になると雨がやみ、天候すら演出の一部だったのかと思わせる展開に。やなぎをはじめとする関係者一同の熱意が天に通じたのであろう。

2016/09/03(土)(小吹隆文)

Modern Beauty─フランスの絵画と化粧道具、ファッションにみる美の近代

会期:2016/03/19~2016/09/04

ポーラ美術館[神奈川県]

ファッション、テキスタイルに関して多彩な主題の展覧会が多数開催されている今年、本展は美術・絵画のモチーフに現れた同時代のファッションを実物で見せるという構成になっている点、世田谷美術館で開催された「ファッション史の愉しみ」展にコンセプトが近い。ただし、「ファッション史の愉しみ」が20世紀初頭までのメディアとしてのファッションブック、ファッションプレートというファッションそのものを主題としていたのに対して、「Modern Beauty」は主にポーラ美術館が所蔵する19世紀後半から20世紀前半のフランス絵画を、そこに描かれた女性のファッションという視点から考察し、背景にある同時代の社会、経済、文化、思想、批評を通じてひも解こうというものだ。
19世紀後半、オートクチュール、百貨店、ファッション誌などの登場でファッションは産業化してゆく。工業や商業の発達は新たな富裕層を生み、彼らは自分たちのステータス、名誉を示すものとして肖像画を欲した。マネ、ルノワールらはそうした需要に応えた。肖像画に描かれた女性たちのファッションについてはそれを同定する研究がおこなわれているそうだ。本展には出品されていないが、ルノワールの肖像画にはシャルル・フレデリック・ウォルトのメゾンのドレスが描かれていたり、モネが描いた女性のドレスと同様のものを当時のファッションプレートに見ることができるという。新しい都市や郊外の風景、行楽地もまた絵画の主題になった。クロード・モネ《貨物列車》(1872)には、蒸気機関車に牽かれた貨物列車、奥には煙を上げる煙突が立ち並ぶ工業地帯、手前の草原には上品な身なりをして散歩するブルジョワの男女が小さく描かれている。描かれていないが向こう側の密集した工場では粗末な身なりをした人々が働いているはず。線路を挟んだ風景の対比には分断された社会層の存在がうかがわれる。19世紀半ばからヨーロッパでは公衆衛生学が発達するが、水、お湯の使用は贅沢であり、人々は体臭を緩和させるために香水を使用していたことや、化粧においては鉛毒がなく安価な亜鉛華白粉が普及したことと絵画に描かれた女性たちとの関係が、香水瓶や化粧道具の展示で示唆される。娼婦の身づくろいの場面に描かれた男性──すなわちパトロンの視線の指摘も興味深い。展示の最後はコルセットからの解放、すなわちポール・ポワレの登場だ。ポワレはデュフィにファッション画や広告デザインを依頼したり、共同でテキスタイルデザインを手がけるなど、画家と密接な関係を持ったデザイナーでもある。展示がこの時代で終わっているのは(ポーラ美術館の絵画コレクションが理由でもあるかもしれないが)、ファッションや風俗を描くメディアが絵画から写真へと移ったから、と理解してよいだろうか。
現代において印象派の画家たちの作品を見るとき、ついつい画家も古い時代の風俗を描いていたように錯覚してしまうことがあるのだが、古典を主題とした絵画とは異なり、これらが当時の最新のファッション、新しい風景を描いていたことがよくわかる好企画。出品作品だけで解説を完結させず、他美術館所蔵作品の写真も用いた具体的な解説も説得力を増している理由だろう。空調にのせたほのかな香りの演出もよい。[新川徳彦]

★──「ファッション史の愉しみ─石山彰ブック・コレクションより─」展(世田谷美術館、2016/02/13-04/10)。


関連レビュー


ファッション史の愉しみ──石山彰ブック・コレクションより:artscapeレビュー|SYNK(新川徳彦)

2016/09/04(日)(SYNK)

artscapeレビュー /relation/e_00034269.json s 10127794

2016年10月01日号の
artscapeレビュー