2024年03月01日号
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artscapeレビュー

2016年10月15日号のレビュー/プレビュー

あいちトリエンナーレ2016 栄会場

会期:2016/08/11~2016/10/23

旧明治屋栄ビルほか[愛知県]

あいちトリエンナーレ2016でまだ訪れていなかった栄会場へ。今回、目玉だった旧巨大倉庫の納屋橋会場はなくなったが、旧明治屋栄ビルは廃墟感があって、いい味を出している。ここの作品群も濃厚だった。端聡による水滴が光源で蒸発するインスタレーションは空間をぐっと引き立てる。中央広小路ビルでは、オフィス的な空間を活用した山田亘の大愛知なるへそ新聞編集部(前回は藤村龍至が設計事務所に見立てた)と、沖縄/北海道のミニ企画展示を行なう。

写真:上から、端聡、大愛知なるへそ新聞編集部

2016/09/05(月)(五十嵐太郎)

あいちトリエンナーレ2016 芸術大学連携プロジェクト合同展覧会「Sky Over III」ほか

会期:2016/08/10~2016/10/23

アートラボあいち大津橋、アートラボあいち長者町[愛知県]

2巡目の長者町めぐりを経て、アートラボあいち大津橋と長者町を訪問する。「SKY OVER III」展は、アーツチャレンジのときに選んだ名知聡子(今回はいつもの大型肖像画以外に写真や一部立体作品も)、荒木由香里らが参加している。山内毬弥さんは初見だが、エログロ少女漫画?風作品で、すごいインパクトだ。途中で大巻伸嗣の作品を見ようと、損保ジャパン日本興亜名古屋ビルに立ち寄る。が、15分入れ替え制で、到着したらあと13分半待ってのタイミングで、小雨が降るなか外で待つのは辛いので諦める。ちなみに、この建築は黒川紀章の設計である。特に1階はポストモダン色が強く、名古屋市美術館との類似点も楽しめる。

写真:左=《損保ジャパン日本興亜名古屋ビル》 右=上から、名知聡子、山内毬弥

2016/09/05(月)(五十嵐太郎)

記憶の円環|榮榮&映里と袁廣鳴の映像表現

会期:2016/07/23~2016/09/19

水戸芸術館現代美術ギャラリー[茨城県]

今年4月に急逝した水戸芸術館現代美術センター芸術監督、浅井俊裕氏の遺作となった本展は、東アジアの「映像表現」の現在を問い直す重要な展覧会となった。
榮榮&映里(ロンロン・アンド・インリ)は、2000年から中国人と日本人のカップルで活動している写真家ユニット。自分たちが住んでいる場所と、彼らと3人の息子たちの家族のあり方とを重ね合わせ、身体性を強調した写真作品として提示する。今回は「六里屯」(第1部 1994~2000、第2部 2000~2002)、「草場地(2004~2012)、「三影堂」(2006~2008)、「妻有物語」(2012~2014)の4シリーズが展示されており、彼らの関係がそれぞれの土地に根ざしつつ次第に深まり、成熟していくプロセスが、静かに浮かび上がってくる構成になっていた。
袁廣鳴(ユェン・グァンミン)の映像作品のパートは、より衝撃的だった。袁は台湾のビデオアートの先駆者として1980年代から活動してきたアーティストだが、近作では一見繁栄しつつあるようで、底深い危機感や不安感を抱え込んでいる東アジアの政治、経済、文化の状況を踏まえたテンションの高い作品を発表するようになってきている。平和に静まりかえったリビングルームがいきなり爆発する「住まう」(2014)、亡霊のような人物たちが闇の中から出現し、手を挙げて一斉にこちらを指差す「指を差す」(同)、さらに「3・11」を踏まえて、台湾の原子力発電所をテーマに制作した「エネルギーの風景」(同)など、日常と非日常を滑らかに、だが恐るべき強度でつないでいく袁の映像構築力の凄みを、まざまざと味わわせてくれる傑作ぞろいだった。
これらの「映像表現」を目にすると、東アジアの写真家や映像作家たちの関心が、明らかに個と社会との抜き差しならぬ関係、身体の政治性に向き始めていることがわかる。翻って、日本のアーティストたちはどうだろうか。あまりにもそれらの問題に鈍感で能天気なのではないだろうか。

2016/09/06(火)(飯沢耕太郎)

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木々との対話 再生をめぐる5つの風景

会期:2016/07/26~2016/10/02

東京都美術館[東京都]

木を使うアーティスト5人を集めた企画展。今年は都美開館90周年、3.11から5年ということで「木と再生」をキーワードにしたというが、いかにもこじつけっぽい。まあ日本人および日本美術にとって木は身近な素材だし、普遍的なテーマではあるからね。まずエスカレーターで降りていくと、ギャラリーAの巨大空間に國安孝昌のどでかいインスタレーションが目に入ったので、そっちのほうへ行こうとしたら、おねえさんがギャラリーCに誘導してくれるので素直に従う。鹿や羊などの動物や麒麟、ユニコーンといった神獣を彫る土屋仁応の木彫が並ぶ。鹿の角や鳳凰の羽根1本1本を彫ったり、身体内部をくりぬいて表面を透かし彫りにしたり、高度な技術と丁寧な仕事ぶりには感心するが、木彫として興味を惹くものではない。続くフロアには田窪恭治の旧作が並ぶ。田窪は70年代からおよそ10年単位で大きく仕事を変えてきたが、ここではおもに廃材と金箔を使った80年代の作品を展示。その多くが各地の公立美術館にコレクションされているので驚いた。
で、いよいよ國安の番。小さな陶ブロックと木材を積み上げたインスタレーションで、いったい何千、何万個あるんだろう。30年近くほぼ同じ素材を使って、かたちや大きさを変えながらいろんな場所で続けている。圧倒的なスケール感だが、それだけにいざとなったら危険がアブナイのか、作品内部への道はついてるのに入れてくれなかった。その手前にブースを設けて展示しているのは須田悦弘。彼ももうかれこれ20年ほど植物彫刻を発表している中堅で、超絶技巧と展示場所に磨きがかかっている。今回はブース外にも3カ所設置されていて、それを探し歩く趣向だ。いちおう全部見つけた。奥のギャラリーBには、舟越桂の木彫が6点にドローイングが10点ほど。舟越もこの30年ほどのあいだに首が延びたり頭部がふたつに増えたり、人物からモンスター(?)へと徐々に彫るものが変化しつつ、でもひと目で舟越作品とわかる。ひとりマニエリスムか。この先どこまで変容するのか楽しみだ。

2016/09/06(火)(村田真)

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驚きの明治工藝

会期:2016/09/07~2016/10/30

東京藝術大学大学美術館[東京都]

最近、超絶技巧の明治工芸が人気を集めている。理由は一目瞭然、驚くほど緻密でリアルだからだ。例えば宮本理三郎の《葉上蛙》は、文字どおり葉の上に止まったカエルの彫刻だが、これがひとつの木から彫り出されていることに舌を巻く。《竹塗水指》はどう見ても竹筒を利用した器だが、じつは木で彫られているとかね。「自在置物」と呼ばれる金属彫刻はもっとすごい。エビや魚や昆虫が本物そっくりにつくられているが、それだけでなく鱗や節を結節点にリアルに動くのだ(もちろん展示物は動かせないが)。でもこれらはあまりに本物そっくりで、あまりに楽しすぎるので芸術としての評価は低く、「置物」どまりだったのだ。その評価が変わったのは、「芸術」の価値観そのものがひっくり返った最近のことでしょうか。驚くのはこれらのコレクションがひとりの台湾人、宋培安がここ20数年のあいだに集めたものだということ。ってことは、つい最近までそれほど高くない値段で市場に出回っていたということだ。それも驚き。

2016/09/06(火)(村田真)

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2016年10月15日号の
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