2018年04月15日号
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artscapeレビュー

2016年11月15日号のレビュー/プレビュー

ヨコオ・マニアリスム vol.1

会期:2016/08/06~2016/11/27

横尾忠則現代美術館[兵庫県]

備忘録とアイディアスケッチを兼ねた日記、作品のモチーフとして引用された写真や印刷物、作品から派生した商品やグッズ、絵葉書やレコード、フィギュアなどの膨大なコレクション。こうした横尾忠則の制作に関するアーカイブ資料に光をあて、調査過程の現場も含めて公開する展覧会シリーズが「ヨコオ・マニアリスム」である。本展はその第一弾。
横尾が1960年代より書き続けている大判の日記には、その日の出来事の記録や写真の貼付に加えて、アイデアのメモやラフスケッチも記されている。日記の見開きページの複写と、「完成作」の絵画作品が対置され、両者の対応関係を読み取れる展示構成だ。さらに、半ズボンの制服姿で探検する少年たちや、涅槃像といった同一モチーフが自己引用的に反復されることで、作品どうしがゆるやかに変奏していくようなシークエンスが構成される。また、絵画やポスターのモチーフの引用元となった雑誌の写真や挿絵、自作を商品化したグッズ、「涅槃像」「猫」「ビートルズ」「ドクロ」といったカテゴリーごとにコレクションされた切り抜きやフィギュアが並置され、イメージが乱反射し合う磁場を出現させている。それは、大量生産されたイメージが「作品」を生み出し、さらに「作品」(の一部)がグッズやポスターなどの複製品として大量生産されていく、イメージが引用と消費を繰り返しながら自己増殖する回路である。横尾の「ポップさ」とは、単に図像の大衆性の問題だけでなく、むしろこうした自己増殖的な回路にこそある。
またここには、アーカイブにおける、収集行為と増殖性、価値のヒエラルキーの解体・相対化といった性質を見てとることができる。さまざまな「資料体」が等価に位置づけられる巨大なアーカイブ、その相互参照的なネットワークの中に「作品」を組み込み、位置づけ直して眺めたとき、「署名されたオリジナルとしての作品」/「作品以外の資料」という価値のヒエラルキーは解体され、相対化されていく。さらに、新たな資料が収集され、リストに付け加えられ、カテゴリーの追加や細分化、分岐や再接続が行なわれることで、ネットワークは絶えず更新され、書き換えられていく。従って本展の場合、「資料」が保管庫から「展示室」の中へ持ち込まれ、「作品」と並置される、あるいは調査過程そのものが「進行中」の現場として展示空間に出現するとき、いかに美術館という制度への批評となるか? という問いこそが問われていると言える。
ただし、本展では、展示室中央に設けられた「作業スペース」は、確かに「ワーク・イン・プログレス」の体をとってはいるが、壁面の展示や展示ケースからは見えない壁で分離され、展示の秩序は新たな変更や追加を受け入れることなく固定化されており、原理的に完成形を持たないアーカイブが潜在的にはらむダイナミックな動態を体感させているとは言い難かった。逆に言えば、「アーカイブ」という視点を持ち込むことは、「美術館」の制度を批評的に問い直す契機となるのではないか。

2016/10/15(高嶋慈)

第15回東京大学ホームカミングディ 駒場寮同窓会講演会

東京大学本郷キャンパス法文1号館314番教室[東京都]

「建築空間としての駒場寮」@東大本郷のレクチャーを行なう。いまは解体された建築だが、1985年に僕が入寮した当時、24畳の部屋に平均3人(部屋ごとに条件やルール、間仕切りのアリナシなど、使い方がまったく違う完全自治)、渋谷まで歩いて10分、キャンパス内にあるため朝起きたら大学の構内、月100円の寮費といった驚くべき環境だった。全寮制の時代は計画学的に使われたはずだが、後になって、若い人たちが参加した意図せざる居住実験が行なわれていたとあらためて思う。ちなみに、駒場寮は関東大震災の後、1930年代半ばに建設された鉄筋コンクリート造の建築であり、築地市場や伊東忠太の築地本願寺とほぼ同時代の産物である。

2016/10/15(土)(五十嵐太郎)

尾仲浩二/本山周平「熊本応援写真集展」

会期:2016/10/08~2016/10/09、2016/10/15~2016/10/16

ギャラリー街道[東京都]

尾仲浩二と本山周平は、2011年3月11日の東日本大震災の直後に、熊本県芦北町で開催された「あしきた写真フェスタ」に参加していた。この地域起こしの写真イベントには、たまたま僕もシンポジウムの講師として参加していたので、当時の雰囲気はよく覚えている。暗く、重苦しい雰囲気の東京とは違って、八代海に面した芦北には陽光が溢れ、開放的な気分が漂っていた。2人の写真家はイベントのあとに本山の実家がある八代市にも滞在し、熊本県内の風景を撮影した。
ところが、それから5年後の2016年4月14日と16日に、熊本一帯を震度7の地震が襲い、八代を含めた地域に大きな被害が発生した。当時展覧会のためにベルギーのブリュッセルに滞在していた尾仲は、「居ても立ってもいられずに」本山にメールを送り、それをきっかけに写真集を刊行し、売り上げを被災地に寄贈するというプロジェクトがスタートする。町口覚が造本を担当し、印刷会社のイニュニックの全面協力を得て、9月1日にその写真集『あの春 2011.3』が完成した。
本展はそのお披露目展であり、尾仲のカラー作品13点と本山のモノクローム作品14点(ほかに2001年に福岡県直方で撮影された尾仲の写真10点)が展示されていた。モノクロームとカラーによるそれぞれの表現の微妙な違いも興味深いが、より重要なのは彼らの写真が「撮れてしまったこの穏やかな風景」(本山周平)として成立していることだろう。そこには震災の予感などかけらもないのだが、逆にどんな日常的な眺めでも、失われた風景となってしまう可能性を秘めているということがありありと見えてくる。「写真にできること」、「写真だけにできること」という言葉が写真集の扉に掲げられているが、そのことをあらためて問い直す契機となる写真群ではないだろうか。

2016/10/15(土)(飯沢耕太郎)

あいちトリエンナーレ2016 寺田就子《透明な気配》ほか

会期:2016/08/11~2016/10/23

愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、名古屋・豊崎・岡崎市内のまちなか[愛知県]

あいちトリエンナーレ2016、2度目の名古屋市美術館へ。豊田市美術館の個展につながるものだが、前回のあいちトリエンナーレ2013における杉戸洋+青木淳の空間全体を魔術的に変えてしまう展示があまりに印象的だったので(『新建築』の表紙にもなった作品)、ゆったりと空間を使った今回の展示はどうしても、内容が薄く感じてしまう。名古屋エリアでは、結果的に3回訪れた旧明治屋栄ビルが面白い。ここは古い建物を活用した端聡のダイナミックなインスタレーションや寺田就子の細やかな空間介入のほか、山城知佳子とソン・サンヒによる力技の映像が楽しめる。

2016/10/16(日)(五十嵐太郎)

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あいちトリエンナーレ2016 イスラエル・ガルバン「FLA.CO.MEN」

会期:2016/10/15~2016/10/16

名古屋市芸術創造センター[愛知県]

今回のあいちトリエンナーレ2016のパフォーミングアーツ部門は公演の日程を10月に集中させており、県外から訪れる人間には助かるスケジュールの組み方だ。イスラエル・ガルバン「FLA.CO.MEN」@名古屋市芸術創造センター。フラメンコを脱構築するパフォーマンスだが、基本がしっかりしているからこそ、自由で実験的かつ楽しい表現が可能になっている。そして、終演を惜しむかのように、ぎりぎりまで踊り続けたのも印象的だった。

2016/10/16(日)(五十嵐太郎)

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2016年11月15日号の
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