artscapeレビュー

2016年11月15日号のレビュー/プレビュー

あいちトリエンナーレ2016 カンパニーDCA/フィリップ・ドゥクフレ「CONTACT」

会期:2016/10/15~2016/10/16

愛知県芸術劇場大ホール[愛知県]

前回のあいちトリエンナーレ2013はテーマに合わせてサミュエル・ベケットをパフォーミングアーツ部門の通奏低音としたが、今回はストレートに祝祭的な作品が続く。各場面で忘れがたい強烈なビジュアル・イメージが次々と打ち出され、華やかだった。ただ、一応、ミュージカルの形式をとるならば、もうちょっと覚えやすい曲の方がなじむような気がする。

2016/10/16(日)(五十嵐太郎)

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BODY/PLAY/POLITICS

会期:2016/10/01~2016/12/14

横浜美術館[神奈川県]

「BODY/PLAY/POLITICS」という簡潔にして示唆的なタイトルに惹かれて展覧会へ。出品作家は6名。ロンドン生まれでナイジェリアに育ち、植民地支配をめぐるヨーロッパとアフリカの複雑な関係やアイデンティティの多層性を「アフリカ更紗」を用いて表現するインカ・ショニバレ MBE、マレーシア出身の女性作家イー・イラン、映画監督としても知られるタイのアピチャッポン・ウィーラセタクン、現代ベトナムの都市をダイナミックに映し出すウダム・チャン・グエン。日本からは、ダイアン・アーバスや鬼海弘雄の系譜に連なる、特異な風貌の人物のポートレートを撮る石川竜一と、映像、インスタレーション、パフォーマンスなどにより、ナラティブの生成と解体を同時に試みるような作風の田村友一郎が参加している。それぞれの文化的背景や制作の文脈は一見バラバラで、展覧会としてはやや拡散して見えるが、インカ・ショニバレ MBE、イー・イラン、田村友一郎の3者の作品にフォーカスを当てることで、一つの焦点が浮かび上がってくる。それは、ジェンダー、とりわけ「衣服」「身体」といった装置を通して演じる(「PLAY」)ことで、ある社会的集団や、宗主国/植民地、占領国/被占領国といった集団(「BODY」)間で形成されるアイデンティティと、そこに内包されたジェンダー関係という政治性(「POLITICS」)である。
インカ・ショニバレ MBEの映像作品《さようなら、過ぎ去った日々よ》では、黒人の女性歌手が、ヴェルディ作曲のオペラ『椿姫』のヒロインである娼婦ヴィオレッタに扮してアリアを歌いながら、主が不在の館を彷徨う。彼女がまとうドレスの鮮やかなアフリカ更紗は、1960年代のアフリカ独立の際にアイデンティティの象徴として用いられたが、実際にはインドネシア由来の模様で、ヨーロッパで大量生産され、アフリカに輸入されたという複雑な性格を持つ。また映像には、フランスに勝利した大英帝国が覇権を強めるきっかけになったトラファルガー海戦で命を落とし、英雄となったネルソン提督の死にまつわる絵画が引用される。複数の女性と愛人関係を持っていたと言われるネルソン。ここで、黒人女性が演じる悲痛に暮れたヒロインは、西洋宗主国(=男性支配者)に経済的に依存し、性的にも搾取される「アフリカ」の擬人化と見なせるだろう。
一方、イー・イランの映像作品では、長い黒髪を垂らして顔を隠した7人の女性たちが、初体験、パートナーとの関係、結婚観、子どもを産むことは義務か個人の選択なのかについて、赤裸々に会話する。ここで、彼女たちの顔を覆い隠す黒髪は、プライベートであけっぴろげな発言を許容するモザイクのような機能を果たし、かつ女性性を強調するとともに、作家の出身国マレーシアの国教がイスラム教であり、人口の半数以上を占めるマレー系を中心に信仰されていることを考えるならば、「ベール」を暗示するとも読める。「男性の視線から髪を隠す」ためのベールそれ自体を「髪」で代替するという皮肉な転倒を戦略的に用いることで、彼女たちは、(タブー視されている)自らの「性」についての主体的な語りを取り戻すことができるのだ。
また、田村友一郎の映像インスタレーション《裏切りの海》は、「ボディビルディング」を軸に、複数の時空間や史実/フィクションの境界が曖昧に混ざり合う空間を形作っている。占領下の横浜を闊歩した米兵の肉体に魅せられ、日本におけるボディビルディングの第一人者となった人物の回想、彼から肉体改造の訓練を受けた三島由紀夫の小説、2009年に横浜の海中で見つかったバラバラ殺人事件、1972年にイタリアの海中で発見された古代ギリシアの戦士像。これらについての架空の会話が流れる会場には、男たちの社交場としてのビリヤード台が置かれ、映像内では黒ビキニ姿のマッチョな男たちがビリヤードに興じている。展示台に置かれた、作りかけのようなトルソや手足の断片化された彫像は、理想的な肉体美への憧れとその無残な解体を同時に示す。ここで、ミルク=精液の摂取によって強い肉体を手に入れることは、身体の鍛錬を通した西洋的な規範への服従とその内面化であり、その男性性の獲得への強烈な渇望は、「強いアメリカ」に組み敷かれた敗戦国としてのコンプレックスの裏返しをさらけ出す。
このように3者の作品に焦点を絞ることで浮かび上がるのは、他者の視線を内在化してしまうことでアイデンティティが演じられるという表象の力学の政治性とともに、そこからの逸脱や解体の企てである。

2016/10/17(高嶋慈)

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フィオナ・タン「アセント」

会期:2016/07/18~2016/10/18

IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]

フィオナ・タンは、民族誌学のモノクロフィルムを用いた初期作品、日本の女学生の集合写真を用いた《取り替え子》(2006)など、ファウンド・フッテージやファウンド・フォトを積極的に援用してきた。とりわけ本展「アセント」に関連する試みとして、《Vox Populi(人々の声)》(2004-12)がある。《Vox Populi》は、一般家庭のアルバムに収められたスナップ写真を集め、撮影のシチュエーションの類似性や、ポーズや構図の類型化などによってグルーピングして展示した作品。元の文脈から引き剥がされ、新たな文脈に再配置された膨大な写真群からは、人々の集合的記憶や欲望が浮かび上がる。そこにはまた、見知らぬ他人のプライベートを覗き見しているという快感に、言いようのない不安が忍び寄る。それは、かけがえのない記憶の交換不可能な個別性・唯一性と、集団的に共有された類型化の均質性・等価性がせめぎ合うからだ。私たちは、写真を通してかけがえのない瞬間を記録しているのか? それともイメージの受容が先にあり、先行して存在する写真を通して「ふさわしい」ポーズや構図を学習し、記号化された類型を再生産する儀式的行為によって、それをより強固にしているだけなのか? 家族スナップや集合写真は、個別性をむしろ集合的な均質性へと馴らしていく装置なのか? さらに、入学式や卒業式、さまざまな機会に撮られる集合写真を通してポーズや並び方が身体化されることで、何らかの社会的集団への帰属が強化されていく。
本展で発表された新作《Ascent(アセント)》は、一般公募による富士山を被写体とした約4000枚の写真とIZU PHOTO MUSEUMのコレクションを元に制作されており、写真をモンタージュした映像作品と、151枚の写真のインスタレーションとの2部構成をとる。映像作品《Ascent》は、「富士山」をめぐるイメージの形成史や文化史の考察であると同時に、イメージの受容や写真/映像の差異など、イメージそれ自体についてのメタ的な考察でもある。さらに、膨大な写真群に重ねられるヴォイスオーバーは、作中でも引用される『ヒロシマ・モナムール(二十四時間の情事)』を踏襲した男女の架空の対話であり、山についての映画史も言及されるなど、極めて多層的な構成となっている。
《Ascent》では、「雲海と富士山」「花と富士山」「車窓からの富士山」「富士山と子ども」「富士山を撮影する人」「富士山と水面」など類型ごとのカラーのスナップ写真の群れと、さまざまな時代の冨士山についての語りやイメージが交互に展開する。開国後に外国人向けのエキゾチックな土産物として生産された横浜写真、竹取物語で語られる「不死の山」、江戸期に広まった「富士講」や信仰の場としての富士山、戦前期のプロパガンダへの利用、戦後期GHQによる富士山の映った映画の検閲……。時間は線的に流れず、ぐにゃぐにゃと曲がりくねって錯綜する。さらに、男の語る言葉は「遅れて届いた」手紙の文面であること、男は2011年に死亡していることが明かされ、現在と過去の時間軸もまた錯綜する。富士山への揺るぎない信仰は、写真に写されたもの=真実と見なす姿勢へとパラフレーズされるが、イメージや語りの時制が溶かし合わされることで、富士山という象徴性と物質の両面において堅固な存在は、泥のように柔らかく溶解していく。タンは、作中で「氷」に例えられる写真によって固定化・凍結するのではなく、写真をモンタージュすることで、光と影に揺らめく「炎」、さらには揮発性で熱をもつ「蒸気」に例えられる映像の溶解的な質へと変貌させていく。
私たちが見ているのは、集合的に作り上げられた「富士山」という幻影に過ぎないのかもしれない。既成のイメージを裏切りたいならば、自らの肉体を駆使して登るしかない。だが、実際に登山した経験を語る男は、山頂で「何もない」ことに気づき、絶望する。女神の御座所として女性性を付与される富士山に対し、山の征服に駆られる男性登山者たちの物語(とその失敗)が語られる。それでも「見続ける」しかないのであれば、眼差すべきはイメージそのものを超えて、その背後にある可視化への欲望の力学である。

2016/10/17(高嶋慈)

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NEWCOMER SHOWCASE #3 黒田育世振付作品『ペンダントイヴ』

会期:2016/10/18

ArtTheater dB Kobe[兵庫県]

NPO法人DANCE BOXが主催する「国内ダンス留学@神戸」は、ダンサー・振付家を目指す人を対象に、劇場を拠点として約8ヶ月間、レクチャーやワークショップ、ショーイング公演を通して人材育成する取り組みである。「第5期生」を迎える本年度は、国内外で活躍する8名のアーティストの振付作品に取り組み、「NEWCOMER SHOWCASE #1~8」として公演シリーズを上演する。「#3」では、黒田育世が主宰するBATIKの代表作『ペンダントイヴ』(2007年初演)を、カンパニーメンバーと共に上演した。
BATIK作品の特徴は、身体を極限まで駆使する振付の過酷さや感情表現の激しさと、とりわけそれが女性ダンサーのみで踊られる際の、強烈な少女性の発露にあると言える。思春期にさしかかった少女たちが集団的陶酔の中で繰り広げる、渇望、破壊的衝動、抱擁や愛撫、恐怖、孤立、歓喜、絶望。理由は不明のまま、感情だけが裸形で増幅され、過剰な身振りとして提示される。色とりどりの花のようなワンピースをまとったダンサーたちは、泣き、叫び、笑い転げ、身体を床に激しく打ちつけ、痙攣し、身悶えし、「○○ちゃーん」と互いの名を呼び合う。「固有の存在」として承認されたい欲求や焦燥感と、それが成就された時の歓びと、絶叫するまで呼びかけても応えてくれない絶望とが渦まくように交錯する。
ダンサーは全身を痙攣させ、過呼吸のように肺を激しく上下させるが、それが「振付」であるのか、激しい運動のせいで本当に過呼吸に陥ったのか、判断不可能に思わせるほどの過酷さと暴力が露呈する。踊り狂い、走り回り、泣き叫び、疲弊していく身体は「死」に近づく一方で、生の充溢を極限まで剥き出しにする。倒れるまで踊っても、「せーの! 1、2!」という掛け声とともに立ち上がり、再び踊り始めるダンサーたち。少女たちは生贄として捧げられるが、「死」と「再生」は執拗に反復される。誰かが(おそらくは「不在」の男性が)それを望み続ける限り、本当の「死」は訪れず、生贄の儀式は繰り返されるのか。あるいは何度でも「生き返って」踊り続けることは、「無垢なる死」への果敢な抵抗なのか。クライマックスで、空中ブランコのようなバーに両手を掛けてぶら下がり、孤独な美しい独楽のように高速で回転し続けるダンサーは、「吊られたイヴ」をまさに体現しながら、紙吹雪が祝福的に降り注ぐなか、めくるめくエクスタシーを味わい続ける。
一方、今回の上演で興味深かったのは、10名の出演者のうち、1名の男性ダンサーが入っていたことだ。他の女性ダンサーたちと同じく、ワンピースを着用し、後半は下着姿で踊るが、「女性(少女)を演じよう」という意識の無さがむしろ違和感を感じさせず、彼の肉体のままで存在していた。そのことは、「純粋無垢な少女が持つ残酷さや、生贄としての死」といった定式の呪縛から、距離をおいてBATIK作品を見ることを可能にするとともに、身体それ自体の力強さやエネルギーの過剰さをクリアに浮かび上がらせていた。それは同時に、なぜ踊るのか? 身体があることは無上の喜びなのか、(痙攣や過呼吸のように)自分の身体から疎外される絶望的な苦痛なのか? 感情があるから身体が動くのか、身体に負荷をかけ続けることで制御不可能な感情が発生するのか? 集団の中で共にいることと、個別的な存在として承認されることは両立するのか? といった根源的な問いを発していた。


撮影:岩本順平

2016/10/18(高嶋慈)

レイ・メツカー「Informed by Light 1957-1968」

会期:2016/08/24~2016/10/29

PGI[東京都]

レイ・K・メツカー(1931~2014)はアメリカ・ミルウォーキー生まれの写真家。1956~59年にシカゴ、インスティテュート・オブ・デザインで学んだ、いわゆる“シカゴ派”の代表作家の一人である。この学校の前身はラースロー・モホリ=ナジが1937年に設立したニュー・バウハウスであり、そのモダニズム的な造形写真の伝統は、戦後にハリー・キャラハンやアーロン・シスキンドによって受け継がれ、発展させられていった。
メツカーもまた、その流れを色濃く汲む写真家であることは、今回展示された1950~60年代の代表作37点(ほとんどがヴィンテージ・プリント)を見ればよくわかる。都市の眺めがカメラによって切り取られ、モノクロームの印画紙上に再現されているのだが、それらは単純化、抽象化されたハイコントラストの画像に処理され、ほとんど原形を留めていない。あるいは、2枚の写真を上下、左右に並置する「Couplet」(1968)のシリーズでは、相互の画像の時間的、空間的なズレを視覚化しようと試みている。
このような、写真という媒体を介して、現実世界を純粋なフォルムに還元して再構築する、造形的、実験的な写真のスタイルは、メツカーだけではなく、ケン・ジョセフソンや石元泰博などインスティテュート・オブ・デザイン出身の写真家に特徴的な傾向であり、1950年代以来多くの写真家たちに影響を及ぼしていった。だがその後、よりリアリスティックなアプローチが主流になるに連れて、やや古風なスタイルとして傍に追いやられていく。ところが、それから時代が一巡りした現在から見ると、それらが逆に新鮮に見えてくるのが面白い。デジタル化したカメラや画像処理のシステムを駆使することで、モダニズム写真を創造的に再解釈することが可能となるのではないだろうか。

2016/10/18(火)(飯沢耕太郎)

2016年11月15日号の
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