2018年10月15日号
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artscapeレビュー

2016年12月01日号のレビュー/プレビュー

開館80周年記念展 壺中之展

会期:2016/11/08~2016/12/04

大阪市立美術館[大阪府]

大阪市立美術館の開館80周年を記念し、約8400件の館蔵品から名品約300件を選んで展示した。構成は、館の歴史を振り返る第1章、作品の形態を重視した鑑賞入門としての第2章から始まり、日本美術、中国美術、仏教美術、近代美術と続く。同館の主軸は日本・東洋美術であり、阿部コレクション、カザール・コレクション、住友コレクション、山口コレクション、田万コレクションなど、個人コレクターの寄贈や寺社の寄託が中心となっている点に特徴がある。それらの名品を約300点も一気に見るのは大変で、約半分を見終えた時点ですっかり疲れてしまった。しかし、日本の美術館でこれだけ充実した館蔵品展が行なわれる機会は滅多にない。この疲労感はむしろ心地良いものだと思い直して歩を進めた。欧米の美術館に比して日本の美術館は常設展示が貧弱だ。普段からこれぐらいのボリュームで館蔵品を見られれば良いのにと、心から思う。ちなみに本展の展覧会名は、中国の故事「壺中之天」によるもの。壺の中に素晴らしい別世界が広がっていたというお話で、壺を美術館に置き換えるとその意味がよく分かる。

2016/11/07(月)(小吹隆文)

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マリメッコ展

会期:2016/10/08~2016/11/27

西宮市大谷記念美術館[兵庫県]

いまや日本でもお馴染みの、フィンランドのデザインハウス、マリメッコの展覧会。会場は「Ⅰ.INTRODUCTION  はじめに─マリメッコとは?」「Ⅱ.TIMELINE marimekko 1951-2016 マリメッコの歩み」「Ⅲ.THE ART OF DESIGN デザインの芸術」の三部構成で、マリメッコ社の1951年の創業以来の歩みを振り返り数々のデザインを生み出したデザイナーたちの創作活動に触れることができる。マリメッコ社では石本藤雄、浦佐和子、大田舞、近藤正嗣、鈴木マサルら日本人デザイナーたちが活躍してきたが、その草分けは脇阪克二である。1968年からマリメッコ社に勤務した脇阪は、同社で採用されたはじめての外国人デザイナーだったという。近年は、手ぬぐいや地下足袋、和服などを製作する京都の和モダンブランド、SOU・SOUのテキスタイルデザイナーとして活躍している。脇阪のマリメッコ時代の代表作《ブーブー》は今ではクラシックコレクションのひとつとなっており、そのシンプルでカラフルな楽しいデザインはSOU・SOUのデザインにも通じるように思われる。フィンランドと日本は歴史も気候もずいぶん異なるが、マリメッコの伸びやかでカラフルなデザインのファブリックがこれほどまでにチャーミングで親しみやすく感じられるのは、感性にどこか共通点があるからかもしれない。今後、本展はBunkamuraザ・ミュージアムと新潟県立万代島美術館に巡回する予定である。[平光睦子]

2016/11/08(火)(SYNK)

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臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念 禅─心をかたちに─

会期:2016/10/18~2016/11/27

東京国立博物館[東京都]

達磨大師によってインドから中国へ約1500年前に伝えられたといわれる禅は、日本へは鎌倉時代の始めに栄西(1141-1215)が臨済宗を、江戸時代には隠元(1592-1673)が黄檗宗を伝えた。本年は唐において禅を広めた臨済宗・黄檗宗の宗祖、臨済義玄(?~867)が没後1150年、および日本臨済宗中興の祖、白隠慧鶴(1685-1768)が没後250年であり、本展はそれを記念して開催される展覧会。全5章で構成された展覧会では、第1章と第2章では禅の歴史と禅僧の足跡、第3章から第5章で禅宗の教えが日本文化に果たした役割を紹介している。歴史と美術という点で注目したいのは展示の後半だ。第3章では、武田信玄や織田信長、豊臣秀吉らの戦国武将と、そのブレーンとして活躍した禅僧たちの活躍が取り上げられているほか、禅画を描き民衆への布教を行った白隠、仙 らの作品が並ぶ。東京展でのシンボルとなっているのは、白隠の《達磨像》(大分・萬壽寺)。縦2メートルほどもある迫力かつユーモアのある達磨像だ(この作品は会場入り口正面に展示されている)。第4章「禅の仏たち」で強烈な印象を与えるのは中国人仏師・范道生(1635-70)の作による「羅怙羅尊者(らごらそんじゃ)像」(京都・萬福寺)だ。顔が醜かったとも伝えられる羅怙羅が、心には仏が宿っていることを自分の胸を開いて見せている。禅僧たちは日本と中国を行き来することで、禅の思想ばかりでなく、さまざまな文物や風習を日本にもたらした。その代表例が水墨画や詩画軸、そして喫茶の習慣である。第5章ではこうした文化の「架け橋」「触媒」「揺籃」としての禅に焦点が当てられている。中国の習慣、文化がやがて日本独自の文化へと変容していく様はとても興味深い。
作品のキャプションには作品タイトルと解説文のほかに、鑑賞のポイントを語る短いキャッチコピーが付されていて、よく見るとこれがなかなか面白い。たとえば一休宗純像には「ハンサムで、ちょいワル?」。白隠の達磨像には「ほとんどが顔。迫力満点の造形」。白隠自画像には「なぜか達磨像と似た自画像」という具合。これらのキャッチコピーはそれぞれの作品解説を担当する研究員が書いており、文体には担当者によるテンションの違いも垣間見える。なお、これらのキャッチコピーは図録入稿後に書かれているそうで、展覧会会場でしか見ることができない。文字のサイズがやや小さくてあまり目立たないのがもったいない。[新川徳彦]

2016/11/08(火)(SYNK)

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LIVING CULTURE─LIXILギャラリーのグラフィック 35年の視点

会期:2016/10/29~2016/11/24

LIXILギャラリー[東京都]

1981年に伊奈ギャラリーとしてオープン(のちにINAXギャラリーに改称)したLIXILギャラリーは、今年開設35周年を迎えた。35年間にギャラリーでは建築やデザイン、現代美術、やきもの作品を紹介する展覧会が開催されてきた。本展は同ギャラリーのこれまでの活動を振り返るもので、ポスター、リーフレット、案内はがき、ブックレットなどのグラフィック約300点が展示された。
1982年から1995年まで、同ギャラリーでは美術評論家、中原佑介が監修者となって多彩な作家による現代美術およびデザインの展覧会が企画された。今回展示されているパンフレット、ニューズレターには、いま活躍している多くのアーティストたちの若かりし頃の姿が掲載されていて、その確かな目に驚かされる。筆者がよく足を運ぶのは現在は大阪と東京で開催されている「建築とデザインとその周辺をめぐる巡回企画展」。美術館や博物館ではなかなか見ることができない独自の視点によって設定されたテーマによる展覧会が年4本開かれている。企業のギャラリーでありながら、本業とは必ずしも関わらないテーマで企画されているところもいい。さらに素晴らしいのは、小さなスペースにおける展示を補って余りある内容のブックレットの刊行だ。豊富な写真や資料、専門家が執筆した論文に加えてテーマに関連する人々に取材したインタビュー記事など硬軟取り混ぜたテキストもまた美術館・博物館の展覧会図録ではなかなか読むことができない内容で、毎回楽しみにしている。ブックレットの代々のアートディレクターには鈴木一誌、勝井三雄、祖父江慎らが名を連ねており、そのエディトリアル・デザインを眺めることも楽しみのひとつだ。旧・伊奈ギャラリーが開設された1981年はまだバブル経済の前、企業メセナブームよりはるか以前のことである。一時のブームや企業の業績に左右されず、これからも地道な文化活動が続いてくことを期待したい。[新川徳彦]

2016/11/10(木)(SYNK)

KYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMN 篠田千明『ZOO』

会期:2016/11/11~2016/11/13

京都芸術センター講堂[京都府]

受付で荷物を預けると、会場となる講堂に入る。人工芝とその間には通路が。あちこちに棕櫚が置かれ、南国のムード? いや、ここは「動物園」なのだ。いわゆる客席はなく、観客は芝生にしゃがむか、立っているかすることになる。まずその空間に、めまいのような快楽を覚える。「動物園」は、いわゆる劇場と異なり、視線の誘導が単純な一方向ではない。観客はしばらくの間、あたりをうろうろし、自然を自由にぐるぐる回す。囲いにはヘッドマウントを付けた半裸の男が居る。男の見ている画像は近くのモニターが映し出している。パフォーマーはあと二人の女性。二人は床に寝そべり、自分の輪郭を床にトレースする。そんなところから、舞台は始まった。とはいえ、本物の動物園がそうであるように、物語の筋のようなものはない。観劇という形態が生き物の観察へと変換される。旭山動物園のペンギンの行進を模した、アナウンス音声も盛り込んでのシーンなどが設けられることで、オルタナティヴな演劇へと篠田は観客を導く。それは「人間を観察する」演劇であり、言い換えれば「人間を展示する」演劇だ。しかも、人間が人間を観察する/展示するという対等な次元を超えており、非人間が観察するための展示になっている。自ずとそれは人間じゃないものとして人間を展示することにもなる。例えば、エサが配られると、ヘッドマウントの男(前が見えない)に観客は餌付けを行なう。これまで演劇とは、人間が人間に向けて行なう何かであった。『ZOO』は、そういう「演劇」をやめてみるレッスンみたいなものだった。最後のシーン。薄暗闇で、三人が聞き取れない言語で会話をする。まるで、密林の山奥で文明以前の暮らしを覗くような体験。世界から取り残され、心もとない気持ちにさせられるのは、三人ではなく、観客のぼくたちだ。それはまるで宇宙から地球を見つめるような寂しさだ。『ZOO』は、そんな孤独な視点を展示した作品だった。

公式サイト:KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2016 AUTUMN

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2016/11/11(金)(木村覚)

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