artscapeレビュー

2016年12月15日号のレビュー/プレビュー

石川竜一写真集『okinawan portraits 2012-2016』

発行所:赤々舎

発行日:2016/09/02


石川竜一は、2015年に前作の『okinawan portraits 2010-2012』(赤々舎)で第40回木村伊兵衛写真賞を受賞した。本作はのその続編にあたる写真集である。
一癖も二癖もあるウチナンチュー(沖縄人)と正面から対峙し、裂帛の気合いを込めて撮影するポートレートが中心であることには変わりはない。だが、被写体の背景となる沖縄の風景を丸ごと捉えた写真の数が増えているのが目につく。石川のなかで、人物たちを取り巻く環境をしっかりと捉えることで、この地域に特有の風土性を浮かび上がらせようという意図が強まっているのは間違いないだろう。写真集のボリューム自体も厚みを増している。前作とあわせて見直すと、まさに石川の「okinawan portraits」のスタイルが完全に確立したことがわかる。
このシリーズは、おそらく彼のライフワークとして続いていくのだろうが、石川にはむしろ沖縄をベースにした写真だけでなく、撮影の領域をさらに広げていくことを期待したい。被写体とのコミュニケーションをとりやすい沖縄で、ある水準以上のスナップやポートレートを撮影することは、彼の抜群の写真家としての身体能力を活かせば、それほどむずかしくはないと思えるからだ。むしろ、よりコンセプチュアルな方向に狙いを定めた作品、あるいは沖縄以外の場所に長期滞在して撮影した写真も見てみたい。異なった環境に身を置くことで、逆に沖縄という場所の特異性が、さらにくっきりと浮かび上がってくるはずだ。

2016/11/17(飯沢耕太郎)

松本雄吉 追悼特集

会期:2016/11/05~2016/11/18

シネ・ヌーヴォ[大阪府]

1970年に劇団・維新派を結成し、今年6月に逝去した松本雄吉の追悼特集として、初期の公演作品の記録映画から近作までを辿る企画。映像作品19本の上映が行なわれた。上映場所のシネ・ヌーヴォは、松本が棟梁となって維新派メンバーの手により内・外装が施工され、1997年に開館したミニシアター。赤レンガの外壁には金属製の巨大なバラの花や葉の装飾が付けられ、劇場内部の丸天井や壁には水泡が描かれ、クラゲのような装飾がシャンデリアのように垂れ下がり、ほの暗い海底から海面を見上げているような幻想的な雰囲気が漂う。レトロな感覚と手作りのこだわりが詰まった、とても雰囲気のある映画館である。
今回、筆者が見たのは、2010年に瀬戸内海の犬島に野外舞台を組んで上演された『台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき』。「《彼》と旅をする20世紀三部作」シリーズの最終章となったアジア篇であり、全長100m以上、丸太4000本を使った野外劇場で演じられた。生の舞台には及ばないものの、映画館のスクリーンは野外上演のスケール感を十分に伝えてくれる。また、今年10月に維新派最後の公演となった『アマハラ』は、本作を再構成した作品でもある。
冒頭と終盤で繰り返し語られる「黒潮」が本作の基底をなす。フィリピン沖で発生し、台湾、八重山列島を経由して、九州・四国の太平洋南岸へ至るまで、様々な島にぶつかり、分岐しながら流れてくる黒潮。劇中で語られるのもまた、明治期以降、黒潮を逆流するように海洋を南へと下っていく日本人の移民たちと領土の拡大だ。フィリピンでマニラ麻を栽培し、現地女性と結婚、太平洋戦争によって収容所送りにされた者。サイパン島に渡って綿花栽培で成功し、商売を旅館経営に拡大、更地から発展した街の繁栄を30年間見てきたが、米軍の「たった8時間の爆撃で」すべてを失った者。ヨーロッパ諸国と日本帝国による植民地獲得の年号や歴史的事件が羅列され、国家の大文字の歴史と個人史的な物語が交差する。
そうした語りに生き生きとした魅力を吹き込むのが、リズミカルなフレーズと身振りの反復だ。音韻を駆使し、言葉遊び的な要素も兼ね備えた単語の詩的な羅列と、船を漕ぐ、地軸が傾くように斜めに立つ、ツルハシをふるうといった身振りの反復。維新派独特の、集団による言葉と身振りのリズミカルな反復に身を委ねているうちに、地理的・時間的な隔たりを超えて複数の時空間が撹拌され、そのあいだを自在に往き来するような感覚がもたらされる。舞台美術として登場する「船」は、人々を乗せる船であると同時に、想像力を運ぶ船でもある。
「そこはどこですか?」「今はいつですか?」。人々は何度も尋ね合い、呼びかけ合う。「ここから、そこまで、いっけん、にけん」というフレーズが繰り返されるうちに、「ここ」と「そこ」の距離が縮められていく。犬島という現実の時空間から、様々な「島」へ。それはまた、海の道(黒潮の流れ)を辿り直すことで、航路の開拓や植民の歴史を(海によって地続きのものとして)犬島という「今ここ」に再接続する試みでもある。夕暮れから次第に夜の闇へと移り変わっていく空は、舞台を観客ともども包みこみ、戦争という極点とともに、時空間の感覚が混濁し、地理的・時間的羅針盤を失った狂気的な迷宮世界の暗闇を出現させた。
個人の半生を語る声、国家の歴史を告げる声、そして「島」の声や「波」の声など、万物のコロスとして集合的に語る声。そうした様々な「声」が多層的に響き合う世界は、トランクを携えて旅する少年が時空を超えて見た、夢幻の世界なのだろうか。

2016/11/17(木)(高嶋慈)

岡山芸術交流 Okayama Art Summit 2016

会期:2016/10/09~2016/11/27

林原美術館ほか[岡山県]

岡山芸術交流へ。リアム・ギリックがディレクターということもあるのだろうが、必ずしも新作でないにせよ、海外の作家が多く、日本人が少ない。いわゆる日本の若手枠や地元枠もなさそうだ。なので、西欧の国際展を鑑賞しているような感じである。「地域アート」に迎合せずということか。会場は岡山市の文化ゾーンの建築群に集中しているおかげで、分散型のさいたまトリエンナーレに比べて、とてもまわりやすく助かる。なお、建築の観点からは、該当エリアで前川國男のクラシックなモダン、岡田新一の重厚な建築(オリエント美術館や岡山県立美術館など)、芦原義信のホールほか、いくつかの近代公共施設群に立ち寄ることができる。屋外展示では、神戸大の槻橋研、京都大の平田研、東大の千葉研が手がけた屋台的なパビリオンのほか、ジャン・プルーヴェの建築なども楽しめる。

写真:左=上から、サイモン・フジワラ、神戸大の槻橋研、オリエント美術館 右=上から、前川國男、ジャン・プルーヴェ、芦原義信

2016/11/17(木)(五十嵐太郎)

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岡山大学 Junko Fukutake Hall

会期:2016/11/17

[岡山県]

SANAAによる岡山大学のJunko Fukutakeホールは、近代建築に隣接して、大きく傾いた屋根を何枚か並べて、その下にガラスにおおわれた空間を生み出す。視線が貫通する開放的かつ透明感あふれる建築だ。もっとも、あまりここで佇んだり、入り口周辺にいることが歓迎されず、運用がそれほど開放的でないのは残念だった。

2016/11/17(木)(五十嵐太郎)

日本橋の家

会期:2016/11/18

[大阪府]

大阪へ。安藤忠雄が設計した日本橋の家を見学する。造り付けの家具、フローリングを外し、もともと取り外し可能としていた一部の床をなくすことによって、かつて住まいだったとは思えないほど、抽象的なギャラリーの空間に変容していた。間口は、以前見学した住吉の長屋よりも細い。施主は近くに引っ越し、ここを建築好きのために開放するという。その幕開けとして、各部屋を使いながら、日本建築設計学会による関西の12組の「建築家の住宅模型」展が開催されていた。今後、どのように使われるか楽しみである。

写真:左=上から、日本橋の家、宮本佳明、遠藤秀平 右=上から、日本橋の家、竹山聖、3階から4階への階段

2016/11/18(金)(五十嵐太郎)

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