artscapeレビュー

2016年12月15日号のレビュー/プレビュー

シアターコクーン・オンレパートリー2016 メトロポリス

会期:2016/11/07~2016/11/30

Bunkamuraシアターコクーン[東京都]

松たか子、森山未來らが出演する「メトロポリス」。SF映画や原作の骨格を維持しながらも、音楽、山田うんによる振り付け、都市を表現するメタリックな舞台美術、劇的な照明、メタフィクション的な幕間など、過剰なくらいに盛られた串田和美の演出だった。その理由は、本人が映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に触発されたという発言を読んで納得した。

2016/11/14(月)(五十嵐太郎)

つくることは生きること 震災《明日の神話》

会期:2016/10/22~2017/01/09

川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]

東日本大震災から5年半が過ぎ、そろそろ「震災後」のアーティストたちの活動をしっかりと検証する時期に来ている。だが、美術館レベルでのこうした企画は意外に少ない。震災はすでに忘却の対象になりつつあるのだろうか。そんななかで、川崎市岡本太郎美術館で開催された「つくることは生きること 震災《明日の神話》」展は、そのテーマに真っ向から取り組んだ貴重な試みとなっていた。
会場の中央に、原爆と人類の運命とを重ね合わせた岡本太郎の《明日の神話》(1968)のエスキースと、彼が東北地方を1950~60年代に撮影した写真群を置き、9組(7人+2組)のアーティストたちの作品をその周囲に配している。「東北画は可能か?」(三瀬夏之助+鴻崎正武)、片平仁、安藤榮作、渡辺豊重、作間俊宏、平間至、大久保愉伊、岩井俊二、そして「アーツフォーホープ」(高橋雅子を中心とするアートNPO)という顔ぶれによる展示は、絵画、CG作品、彫刻、写真、映像など多岐にわたるが、主に東北出身、あるいは東北を拠点として活動するアーティストたちが選ばれている。東日本大震災がもたらした衝撃が、彼らの作品制作の根本的な動機になっているのは確かであり、それをどのように受け止め、投げ返していくかという、真摯な問いかけがそれぞれの作品に結晶していた。
特に印象に残ったのは、平間至の「光景」(2011~16)である。震災直後から撮り続けられた、モノクローム写真の「心象風景」が淡々と並ぶ展示の反対側の壁面は、天井近くまで黒く塗られている。それは彼の故郷の宮城県塩竈市を襲った、4メートルを超える津波の高さだという。その黒い壁のさらに上に、平間が2012年から塩竈で開催している「GAMA ROCK」を訪れたミュージシャンたちのポートレートが並ぶ。苦い記憶と希望とが交錯する、よく練り上げられた展示だった。

2016/11/15(飯沢耕太郎)

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さいたまトリエンナーレ 2016

会期:2016/09/24~2016/12/11

東玉社員寮+旧民俗文化センター+旧部長公舎[埼玉県]

ようやくさいたまトリエンナーレ(たまトリ)を見に行った。というより、岩槻の旧民俗文化センターに行ったついでに、駅前の東玉社員寮と武蔵浦和の旧部長公舎にも寄っただけなので、たまトリを見に行ったという気分ではないが、それでも計20作家以上の作品を見ることができた。こういう国際展や芸術祭というのは全部見ようとするとそれなりの余裕と覚悟が必要だが、おもしろそうなところ1、2カ所に絞ってピンポイント攻撃するというテもある。でもこれはたまトリが入場無料だからできるんだけど。
まずは大宮に行き、東武アーバンパークライン(旧称「野田線」のほうが短くてローカル色豊かで覚えやすいのに)に乗り換えて岩槻へ。旧民俗文化センターは遠いのでシャトルバスが出ているが、出発まで15分ほどあったので近くの東玉社員寮へ。ここでは世界各地の空家や遊休施設をヤドカリするアーティスト・イン・レジデンス「ホームベース・プロジェクト」を実施。内外6作家が滞在制作し、その成果をウサギ小屋みたいな社員寮の各部屋で発表している。外国のアーティストはやはり日本の文化に興味を持つようで、部屋の真ん中の畳1枚を抜いてそのなかでパフォーマンスした写真を飾ったり、フトンを丸めてお内裏さまの座布団に見立てたり。なぜこれがお内裏さまの座布団だとわかるかというと、部屋の入口にひな祭りの人形がひとつ置いてあったからだ。唐突だなと思ったが、その後シャトルバスに乗って町の様子をながめてたら、やたら人形店が多いことに気づく。どうやら岩槻はひな人形を中心に「人形のまち」として知られているらしい。なるほど。
旧民俗文化センターは、なんでこんな郊外にこんな施設をつくったんだろうと首をひねりたくなる物件。当然の帰結として廃屋になっているこの建物内に13作家、外に1作家が展示している。最初の部屋にあったのが川埜龍三の《犀の角がもう少し長ければ歴史は変わっていただろう》という作品で、中央に大きなサイの埴輪が鎮座しており、周囲に犬やUFOの埴輪を並べ、その埴輪を発掘する現場や埴輪をデッサンする生徒たちの写真もある。作者によれば、これらは現在われわれが存在する世界「さいたまA」と同時に存在するパラレルワールド「さいたまB」で発掘された埴輪群とのこと。岩槻には遺跡や貝塚が多く、そんなところから発想されたのだろう。サイの埴輪はたぶん「彩の国さいたま」の語呂合わせではないか。こういうSF的仮説の下に作品をつくるアーティストはほかにもいるが、ここまで丁寧につくり込むと実際に信じるヤツが出てくるかもしれない。
講堂では、歴史上の人物をモチーフにした小沢剛の「帰って来た」シリーズ第3弾、《帰って来たJ.L.》をやっている。扉を開けるとカビ臭い香りが漂うレトロな映画館風のスペース。両脇に巨大な絵画を4点ずつ計8点並べ、正面のスクリーンで映画を上映している。これらを見ると「J.L.」がジョン・レノンのことだとわかるが、なぜかフィリピンの看板屋が絵を描いたり、マニラの盲目のバンドが登場したりして混乱する。解説を読むと、1966年にビートルズが来日公演した後フィリピンに立ち寄り、マニラでも公演しているし(これが大変な騒ぎになったが略)、さいたま市にはジョン・レノン・ミュージアムもあった(2000年に開館したが2010年に閉館)。なるほど、ジョン・レノンとフィリピンとさいたまをつなぐ糸は細いながらもあるのだ。そこに日本とフィリピンの戦中・戦後史や両国の原発政策の違い、ジョンの反戦思想、視覚障害者の音楽などを絡ませた労作だ。
ほかにも「洗濯」をテーマにした西尾美也のインスタレーション、駅のホームで待つ人たちを電車内から超スローモーションで撮影したアダム・マジャールの映像、福島の思い出の品を漆塗りでコーティングした藤城光のオブジェなど見るべき作品は少なくない。さて、出発時間が近づいたのでバス乗り場に行こうとしたら、屋外にもう1点あるという。そういえば「目」の作品を見ていなかった! 受付で注意事項を聞いてスリッパをもらい、建物の横から植物に覆われた迷路をたどっていくと、目の前に大きな池が! スリッパに履き替えて向こう岸まで歩いて行く。なんで池の上を歩けるのかって? それは内緒。いつものことながら、よくここまでつくったものだと感心する。
今日は岩槻だけにしようと思っていたが、まだ時間があるのでもう1カ所寄ってみる。岩槻から大宮に出て埼京線に乗り換え、武蔵浦和で下車。歩いて10分ほどで旧部長公舎に着く。旧大宮市の部長家族が住んでいたと思われる2階建ての邸宅4軒に、鈴木桃子、高田安規子+政子、野口里佳、松田正隆+遠藤幹大+三上亮の4組が挑んでいる。個々の作品はともかく、おもしろいのは、鈴木と野口は室内をホワイトキューブに改造し、あくまで自分の作品の展示場として使っているのに対して、高田組と松田組は家の記憶や気配、残された備品などから作品を発想していること。つまり、場所に関わらず作品をつくるか、場所から作品を発想するかの違いだ。これらは近年の芸術祭に見られるふたつの傾向を端的に表わしているようで興味深い。

2016/11/15(火)(村田真)

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リフレクション写真展2016

会期:2016/11/07~2016/11/19

表参道画廊+MUSEE F[東京都]

湊雅博のディレクションで、毎年秋に開催されているのが「リフレクション写真展」。「風景写真」の新たな胎動をフォローする企画だが、今回は寺崎珠真、丸山慶子、若山忠毅が出品していた。神奈川県海老名市在住の寺崎は、自宅の近くのアップダウンがある郊外の風景を押さえ、丸山は金属加工業者の多い新潟県燕市の錆に覆われた街並みを撮影している。若山は東北地方から北陸にかけての沿岸地域をバイクで移動しながら、目についた風景を切り取っていく。
3人ともしっかりと地に足をつけた撮り方で、シリーズとしてのまとまりもいい。風景の細部を見落とすことなく、的確に画面におさめていく手際も洗練されている。だが、全体を通してみると何を言いたいのか」がストレートに伝わってこないもどかしさが残る。文字情報がほとんどなく、各作品の背景があまり明確に提示されていないのもその一因だろう。「リフレクション写真展」の出品作をきちんと受け止めるには、かなり高度な写真読解力が必要になるのだが、そのようなリテラシーを備えた観客はそれほど多くはない。もう少し丁寧な解説をつけた展示の仕方も考えてもよいだろう。例えば若山の写真には、海上自衛隊の軍艦、原子力発電所、日の丸の旗などが写っており、明らかにこの時代の社会構造の指標となる眺めを取り込んでいこうとする視点が見られる。そのあたりを、もう少し積極的に文字情報で伝えることができれば、観客の理解も深まるのではないだろうか。
やや地味な企画だが、着実に日本の「風景写真」の裾野を広げつつある。どこかで区切りをつけて、もう少し大きな規模の展示も見てみたい。

2016/11/16(飯沢耕太郎)

村越としや「雷鳴が陽炎を断つ」

会期:2016/11/04~2016/11/26

ギャラリー冬青[東京都]

村越としやは東京・清澄白河のTAP Galleryのメンバーとして活動してきたが、1年半ほど前に脱退した。今後はギャラリー冬青とTaka Ishii Galleryを中心に展示活動を展開していくという。ギャラリー冬青での最初の展覧会として開催された本展には、2009年に6×6判のカメラで撮影された28点の作品が出品されていた。
2009年1月、村越を可愛がってくれた祖母が余命3カ月ということで入院した。それをきっかけに、故郷の福島県須賀川市に折にふれて帰郷し、「祖母との思い出を少しずつ集めるように」撮影し続けたのが本作である。撮影は祖母の死後も続けられ、同年12月31日で一応の区切りをつけた。例によって、山河や家々の佇まいを静かに写しとった作品が並ぶが、どこかレクイエム的な、沈み込むような気分に覆われている。村越の一連の風景写真の中でも、最もパセティックなシリーズといえるかもしれない。
なお、展覧会にあわせて刊行された『tuning and release 雷鳴が陽炎を断つ』(冬青社)は、「家族との思い出がリンク」した小ぶりな写真集シリーズの4作目になる。『雪を見ていた』(2010)、『土の匂いと』(2011)、『木立を抜けて』(2013)、そして本作と続くこの連作は、東日本大震災以後、より切迫感とスケール感を増した村越のほかの写真群とは、一線を画するものになりつつある。彼自身の個人的な記憶との関わりから、新たな世界が開けてきそうな予感がする。

2016/11/16(飯沢耕太郎)

2016年12月15日号の
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