artscapeレビュー

2017年01月15日号のレビュー/プレビュー

下瀬信雄「つきをゆびさすⅡ」

会期:2016/12/07~2016/12/20

銀座ニコンサロン[東京都]

山口県萩市在住の下瀬信雄は、1960年代からポートレート中心の写真館を営みながらコンスタントに写真展を開催し、写真集を刊行してきた。2005年に伊奈信男賞を受賞した「結界」シリーズもそうなのだが、身辺の光景を題材としながら、万物が呼応するような深みのあるイメージの世界を構築していく。だが、2013年に銀座ニコンサロンで開催された同名の個展の続編にあたる本展の会場には、いつもの下瀬の展示とはやや異なる眺めが広がっていた。
中判、あるいは大判のフィルムを使ったモノクローム・プリントを基調としていた作品が、B1サイズに大きく拡大されたデジタル・カラープリントになっている。「金環食の日」、「帆船が来た日」、「湧き上がる雲」など、彼の周囲に起こる出来事をスナップして提示していることに変わりはない。ただ、色鮮やかでコントラストがあるカラープリントは、視覚的なインパクトが強い分、目の前の光景にそっと触手を伸ばしていくようなデリケートさを欠いている。撮影場所も、萩を中心として山口や岩国まで広がってきていた。だが、そのことをネガティブに捉える必要はないのではないだろうか。むしろ下瀬のようなベテラン写真家が、使い慣れた機材やテクニックに安住することなく、果敢に新たな表現の可能性にチャレンジしていることを評価すべきだろう。
カラーバージョンの「つきをゆびさす」が、このまま続いていくのか、またモノクロームに回帰するのかはわからない。おそらく長期のシリーズになることが予想されるので、次の展開を注意深く見守っていきたい。なお、この展示は2017年1月19日~25日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2016/12/18(日)(飯沢耕太郎)

マギーズ東京

[東京都]

オープンしたばかりのマギーズ東京へ。建築批評家のチャールズ・ジェンクスの妻ががんを体験したことから始まった精神ケアの施設で、建築にこだわり、ジェンクス、ザハ・ハディド、OMA、フランク・ゲーリー、黒川紀章らもイギリスでデザインを手がけたものが、日本で初登場した。阿部勤がコーディネイトした本館と、日建設計の勝矢武之らによる実験的な木造ギャラリーも新木場から移設して、連結させる。現場で知ったのだが、家らしさをもつマギーズ東京は豊洲市場の真向かいだった。なるほど、完成したこの巨大施設を使わないとしたら、究極のもったいない、である。TBSの豊洲新劇場は自業自得の感はあるが、もし風評被害でマギーズ東京の活動にも悪影響が出るなら、ひど過ぎる。

写真:左列=マギーズ東京 右列=豊洲市場

2016/12/18(日)(五十嵐太郎)

年賀状展─春を寿ぐ─

会期:2016/12/10~2017/01/15

郵政博物館[東京都]

年賀状の衰退がとまらない。日本郵便が今年の元旦に配達した年賀状は約16億4,000万枚で、8年連続で前年を下回る傾向にあるという。こうした背景に電子メールやSNSの普及があることは想像に難くないが、文化論ないしは芸術論の視点から考えてみたとき、年賀状の現状と未来には別の一面が見えてくる。
本展は、古今東西、有名無名を含めて、さまざまな年賀状を一堂に集めた企画展。川端康成や幸田露伴といった著名な文学者から、「年賀状甲子園」に応募した高校生まで、その作者はじつに多様で幅広い。前者が達筆な筆使いを見せる一方、後者はアニメやマンガ風のイラストレーションが多いという大きな違いはあるにはある。だが総じて印象づけられるのは、表現の個別性というより、むしろ全体性である。平たく言えば、どれもこれも見分けがつかないほど同じように見えるのだ。
ここに、日本人の精神性を貫く同調圧力の痕跡を見出すことは容易い。周囲の空気を読みながら、決して突出することなく、無難で穏当なラインに身を置く身ぶりは、有名であれ無名であれ、私たちの心底に深く内面化されているからだ。おびただしい年賀状の均質性を目の当たりにして、そのような無意識の機制を再確認したと言ってもいい。あるいは、現在の年賀状が前島密によって整備された郵便事業の成熟とともに定着した、きわめて近代的な文化装置であることを思えば、年賀状は調和を重んじる精神性を再生産しているのかもしれない。
とはいえ、年賀状が失墜しつつある現在、それはむしろ新たな位相に転位しつつあるように思われる。すなわち年賀状は、庶民にあまねく親しまれる年中行事という「文化」から、一部の愛好家によって嗜まれる「芸術」に変貌しつつあるのではないか。事実、ほぼ無料に近いコストで通信できるSNSで代用できるにもかかわらず、あえて時間と労力を費やしてまで、あの小さな画面に情報を詰め込む作業は、経済的合理性という価値観にはそぐわない点で、ほとんど芸術的営為というほかない。だとすれば、それは調和を尊ぶ日本的な精神性を打ち砕く契機としても考えられるのではあるまいか。
年賀状とは、日本的な同調圧力が発現する現場であり、同時に、それらを粉砕するための現場でもある。つまり、それはある種の二重性を内側に折り畳んでいる。かつて鶴見俊輔は年賀状を限界芸術として位置づけたが、その真意は庶民の非芸術的な身ぶりを芸術として捉え返すという意味での革命性だけにあるのではなかった。それは、むしろ庶民の日常性のさなかで、彼らの当事者性をもって、その精神性を変革させるという意味での革命性にあった。芸術の真価を輝かせるのは、そのような二重性にほかならない。

2016/12/18(日)(福住廉)

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「日本画の王道」─11人の拓く日本画の現在─

会期:2016/12/06~2016/12/18

東京都美術館[東京都]

都美が選んだグループ展に会場をタダ貸しする「都美セレクション」のひとつで、「現在日本画研究会」という11人のグループ展。「現在日本画」を名乗るくらいだから革新系かと思ったら、日本画の範疇にすっぽり収まるいかにも日本画な絵ばかり。たしかに「日本画の王道」だ。1点だけ、海辺の風景を俯瞰した伴戸玲伊子の《流水譚》は、川や田畑に津波が押し寄せているようにも見え、妙に不穏な空気を漂わせている。

2016/12/18(日)(村田真)

紙神

会期:2016/12/09~2016/12/18

東京都美術館[東京都]

これも都美セレクションで、こちらは紙を使った展覧会。いや、タイトルの「紙神」を「カミガミ」と読ませるくらいだから、紙と神を同一視しているわけで、紙を使わせていただいてる、または紙に使われてるというべきか。おみくじもあるが、引いた紙片を結んだ様子も無意識のインスタレーションといえるかもしれない。

2016/12/18(日)(村田真)

2017年01月15日号の
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