artscapeレビュー

2017年01月15日号のレビュー/プレビュー

震災と暮らし ─震災遺産と人びとの記録からふりかえる─

会期:2016/12/20~2016/12/25

せんだいメディアテーク 1Fオープンスクエア[宮城県]

東京や海外にとって3.11は、やはりフクシマの原発事故のイメージが強いが、近くの被災地であり、津波被害が大きかった仙台では、これまで逆にあまり表出されなかった。この企画はふくしま震災遺産保全プロジェクトと連携し、全面的に福島の状況とその後を紹介している。写真、映像、壊れた被災物、デジタルのデータ、言葉、アート作品など、さまざまな手法であの出来事を伝承しようと試みる様子からは、すでに忘却されかねない危機意識も感じられた。これらの展示は、いずれつくられる3.11記念館の常設になるのだろう。

2016/12/22(木)(五十嵐太郎)

村松卓矢『バカ』

会期:2016/12/15~2016/12/23

大駱駝艦・壺中天[東京都]

まさかのトランプ大統領選勝利はいうまでもなく、世の中「バカ」がまかり通っている。そんな中での村松の新作タイトルが『バカ』。舞踏はあえて「バカ」になることで舞踏家が世界の暗部を照らし出してきた。だから村松のタイトルは舞踏の正統的な自己表現とも言えるのだが、なにぶん、愚かしさが世界のあちこちで幅を利かせている状況で舞踏の「バカ」はどう機能しうるのかが気になる。最初は魚、次に動物と人間と、ダンサーたちは顔にマスクをつけて踊る。村松演じる老人は次に現れる金属の爪をつけた人間(→ロボット)に座を奪われる。なるほど「生命の神話」とでも言えそうな物語が、本作の流れを作ってゆく。ロボットの次は、鬼の形相の白髪の女が座を奪い、その女によって老人に似た赤子(村松)が出産される。村松は寝そべって、「バカ」「アホ」などと罵る声を浴び続ける。最後は、体をあげ満面の笑顔でその声を受け止める。「笑顔」と言ってみたが、なんとも言えない「全肯定」の表情なのだ。その表情は、単に「バカ」を批判することも、事も、単に「バカ」を利用して生きることも超えて、あるいはそれらを包摂して、人類のバカさ加減とともに生きることを表明しているかのようだった。こういう表現が舞踏ならばできる。舞踏は強いと思わずにはおれなかった。日本のダンスを牽引してきた室伏鴻も黒沢美香もいない世界で、まるで草っ原のようだと思うこともあるのだけれど、大駱駝艦の底力を感じる。淡々と地道に一歩一歩進んでいる彼らは、時代錯誤のように思われることもあるやもしれない(来年は結成45年を迎えるそうだ)が、むしろ時代とちゃんと一緒に生きているのだ。

2016/12/22(金)(木村覚)

ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

エピソード3.9と言うべき『ローグワン』。前半の展開はやや退屈で、だれると聞いたが、個人的には現代社会のテロと重なって見え、後半の宇宙戦争感満載との対比は、むしろ好印象だった。今回は特に超人不在ゆえに、反乱同盟軍の普通の人々による物語が重なり、シリーズに深みを与えた。終盤はビーチでの、『さらば宇宙戦艦ヤマト』的な玉砕戦となり、多くの犠牲の上に最後の希望を打倒帝国の未来につなぐ。

2016/12/23(金)(五十嵐太郎)

バイオハザード:ザ・ファイナル

同シリーズもおつきあいで、なんとなくすべて劇場で見てきた。もっとも、回を重ねるごとに生まれる物語の深みはまったく期待しておらず、ゲーム的なアクションだけを楽しみにしていたのに、夜や地下の戦闘が続くために、画面が暗く、しかも動きが速いために、何が起きているのかが、あまりにわかりにくい。ゾンビの大群に追われながら路上を走る乗り物で戦いが起きる前半のマッドマックス的シーンはよいのだが。さらに視界が暗くなる3Dメガネでの鑑賞は絶対にオススメしない。

2016/12/23(金)(五十嵐太郎)

妹島和世《すみだ北斎美術館》

[東京都]

竣工:2016年

妹島和世による《すみだ北斎美術館》へ。子どもが遊ぶ公園の横という妹島的に理想的な立地に加え、反対側はむしろ高架や電柱電線を背景にしながらも、アルミ外装の建築が引き立つという興味深い環境である。浮世絵なので、さすがに展示室内は閉じた箱だが、それ以外は通り抜け、吹抜け、裂け目を設け、開放的な空間を生む。特に壁に食い込むガラスのスリットに光が溜まり、室内に鋭い影を落とすのが美しい。

2016/12/23(金)(五十嵐太郎)

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