2018年04月15日号
次回5月15日更新予定

artscapeレビュー

2017年02月01日号のレビュー/プレビュー

イギリスからくり玩具展 ポール・スプーナーとイギリスオートマタの現在

会期:2016/12/03~2017/01/22

八王子市夢美術館[東京都]

ポール・スプーナー、マット・スミス、キース・ニューステッドらイギリス現代オートマタ作家の作品を紹介する展覧会。筆者が彼らの作品を最初に見たのは1996年。コヴェント・ガーデンのロンドン・トランスポート・ミュージアムを訪れた帰りのことだった。事前の知識もなく、たまたま同所にあった現代オートマタのミュージアムに入ったのだが、ユーモラスに動く小さなカラクリ人形の数々にたちまち魅了されてしまった。彼らの作品には日本を含めて世界中にファン、コレクターがいるそう。本展では株式会社モーレンが所蔵する約60点のオートマタ、スケッチ、関連作品などが出品されている。
ポール・スプーナーらイギリス現代オートマタ作品の魅力のひとつは機構の妙。一般にカラクリ人形はその機構を見せずに精巧な動きで人を驚かせることが多い。機構を見せる場合はそれがいかに複雑で精緻なものであるのかを誇示する。それに対して、スプーナーらの作品は内部機構や仕掛けを覆うことなくそのまま見せている。しかも、カムやクランクを用いたその仕組みはけっして複雑なものではなく比較的単純で分かりやすいのだ。2つめの魅力は動きの妙。単純な機構で複雑な動作をする……のではなく、じつは動き自体も比較的単純。単純なのにユーモラスで楽しい。クランクをひとつ回すだけでそうした動きが実現されていることに驚かされる。3つめはストーリー。単純な動きの中に込められた物語、社会風刺がなによりも彼らの作品の魅力だろう。たとえば「透明人間のベッド」(ポール・スプーナー&マット・スミス、1995)は、誰もいないベッドがグラグラ揺れるだけの作品なのだが、透明人間の男女のハネムーン・ベッドという設定。「スパゲッティを食べる男(オリジナル)」(同、1999)は、スパゲッティが満ちたバスタブに浸かった男がスパゲッティをフォークでひたすら口に運びつづける、飽食に対する警告をテーマにした作品。「玉の輿」(同、1992)は、工場経営者の御曹司が女工に求婚する場面。女工の前にひざまずいた御曹司が手にした箱にはダイヤモンドの指輪。それを見た女工は驚きで眼が飛び出す。ところが二人の下では高級品と安物の2つの棺桶がくるくると回っている。これはふたりの身分の差は墓場まで続くというイギリスの階級社会を風刺しているのだそうだ。
本展の展示構成は、このような作品の魅力を引き出すべく、よく工夫されている。ほとんどの作品はじっさいに動かすことができる(直接手で回すことはできないが、展示台正面のボタンを押すとクランクにベルトで連結されたモーターが回るしくみ)。キャプションを読めば英国流のウィット、風刺を学ぶことができる。また機構模型と解説パネルによってカラクリの仕組みを体験するコーナーが設けられているのもいい。小さな子供たちから老人まで、来場者の年齢層が幅広かったことも納得の展覧会だった。[新川徳彦]


展示風景

2017/01/18(水)(SYNK)

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祝いの民俗─ハレの造形─

会期:2017/01/02~2017/02/12

埼玉県立歴史と民俗の博物館[埼玉県]

季節や人生の節目を祝う民俗を紹介する企画展。おもに埼玉県内の伝統的な行事に注目しながら、正月、婚礼、棟上げ、進水式などでつくられた飾りや衣装、贈答品などの造形物を展示した。比較的小規模な展示だとはいえ、かつて日本社会のなかで機能していた「ハレ」の機会の実態を総覧できる好企画である。
しめ縄でつくられた宝船、恵比寿様や大黒様を描いた引き札、そして結納品飾りとして送られていた松竹梅の水引細工。それらは、いずれも人生や季節という時間の流れを分節化するために、日常生活と密着した素材で庶民の手により制作された、ある種のブリコラージュである。都会的で洗練された現代美術とは到底言い難いが、無名の庶民のあいだで流通していた造形物という点では、まさしく限界芸術と言えよう。だが、本展で展示された数々の民俗資料を目の当たりにすると、むしろ現代美術との強い関連性を思わずにはいられなかった。
むろん、一般論で言えば、現代美術と民俗文化は反比例の関係にある。都市文化の象徴である現代美術の普及は、各地の隅々にあった民俗文化の衰退と、ほぼ同時進行の現象として考えられるからだ。事実、かつて地方に乱立された公立美術館は、各地の民俗を取り込むというより、むしろ塗りつぶすかたちで建造された。どこの常設展でも同じような作品が同じように展示されている風景は、固有の民俗性を決して含めない現代美術の排他性を示す何よりの例証である。
ところが現在、私たちの視線と欲望は明らかに民俗文化に向いている。昨今の地方芸術祭の隆盛に見られるように、私たちが目撃したいのは土地と切断された美術館で普遍的な価値を備えた美術作品などよりも、土地と密接不可分な価値を内包した美術作品である。快適で美しいホワイトキューブに展示された美術作品に飽き足らない思いを抱えた者たちは、たとえ過酷な環境であっても、未知の民俗を実感できる美術作品に率先して脚を伸ばしている。すなわち、現代美術と引き換えに失ってしまった民俗文化を、当の現代美術の只中で取り戻すこと。少なくとも2000年代以後の日本の現代美術に何かしらの構造的変化があったとすれば、それは、スーパーフラットやらマイクロポップやらの消費を煽るだけのキャッチフレーズの衰退というより、むしろ都市型の現代美術から民俗的な現代美術への重心移動と要約できるのではないか。
とはいえ現代美術と民俗文化の接点は、そのような時事的な構造変化に由来しているだけではない。そもそも現代美術の作法には民俗文化のなかで繰り返されてきた精神的な営みと通底する部分があった。それが「神」をめぐるイマジネーションのありようである。
長谷川宏の名著『日本精神史』(講談社、上下巻、2015)によれば、仏教が導入される以前から続く古来の霊信仰において、神とは「善いものでも悪いものでも、特別の威力をもち人間に畏敬の念を起こさせるもの」(同書上巻、p.75)である。つまり神は、あらゆる天地に偏在するのであり、それらは「目に見えるというより心身に感じ取られる存在」(同、p.79)とされた。それゆえ古代人にとって「対象を見ることにはさほど重きが置かれず、霊を感じ取ることこそがなにより大切なことだった」(同、p.89)。例えば、それ自体に聖なる価値が置かれた仏像とは対照的に、新年に歳神を迎えるための門松のような依代や霊が寄りつく人間である憑坐は、信仰の対象そのものではない。神の存在を感知するには、それらの物質の先をイメージすることが求められていたのである。
そう、現代美術とは、改めて言うまでもなく、物質の造形に基づきながらも、その先に想像力を飛躍させることを要請する芸術である。「見る」ことと「感じる」ことが表裏一体になっていると言ってもいい。いや、(神に代わって)コンセプトを金科玉条として崇める現代美術だけではあるまい。絵画であれ彫刻であれ映画であれダンスであれ、はたまた演芸であれ、あらゆる諸芸術は本来的に造形や身ぶりの彼方に何かしらのイメージを幻視させる技術によって成立していたはずだ。その想像力の行き先が神ではないとはいえ、私たちは、つねにすでに、神を感知するための技術をそれと知らずに使いこなしていたのではなかったか。
だとすれば私たちが現在求めている民俗文化とは、まさしく現代美術のハードコアから再生しうるものなのかもしれない。例えば近代的な都市生活に疲弊した現代人に地方の農村をある種のユートピアとして幻視させる物語が、ある一定の成果を導き出していることは事実だとしても、その道のりは現代美術の外側にしかないわけではない。むしろその内側の核心に潜在している批評的な契機をこそ切り開く必要があるのではないか。

2017/01/20(金)(福住廉)

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大阪版画百景

会期:2017/01/18~2017/02/11

大阪府立江之子島文化芸術創造センター[大阪府]

大阪府立江之子島文化芸術創造センターと大阪新美術館建設準備室の共同企画。大阪府と大阪市の所蔵品から、大阪を描いた風景や大阪出身の作家など、大阪とゆかりの深い20世紀以降の版画作品約140点および関連資料を展示した。出展作家は、明治から昭和にかけて活躍した織田一磨に始まり、浅野竹二、川西英、前田藤四郎、赤松麟作の戦前の作品を経て、戦後の瑛九や泉茂らによるデモクラート美術協会、前田藤四郎や久保晃らが在籍した版画8(会場だった画廊みやざきの紹介も含む)、そして1970年代以降の作家達へと進む。作品のクオリティ、作家のバラエティ、作品点数のいずれも不足がなく、非常に見応えがある展覧会だった。関西の版画史を知るうえでも勉強になるので、学生たちにおすすめしたい。

2017/01/20(金)(小吹隆文)

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プレビュー:Exhibition as media 2016-2017「とりのゆめ/bird's-eye」

会期:2017/02/18~2017/03/05

神戸アートビレッジセンター[兵庫県]

神戸アートビレッジセンター(以下、KAVC)が2007年から行なっている企画展「Exhibition as media」。その特徴は、KAVCとアーティストが企画立案から実施までを協働する点にある。昨年の同展では美術家の井上明彦とヒスロムが新開地(KAVCが立地する場所)をテーマにしたが、今年は、「建築物ウクレレ化保存計画」で知られる美術家の伊達伸明と、建築・まち・空間の調査と提案を行なっているRADのメンバー、榊原充大と木村慎弥が、やはり新開地をテーマに展覧会をつくり上げる。彼らの切り口は「しらんけど考古術」というもの。これは関西人が根拠のない噂話などをする際に、責任逃れの意味で語尾につける「知らんけど」から着想したものだ。本展では、根拠が曖昧な伝承や都市伝説をもとに、空想力を働かせて今の都市と向き合おうと試みる。筆者はRADの2人については知らないが、伊達の作品は1990年代からずっと見ている。彼のアーティストとしての力量に疑いはなく、その軽やかで飄々とした物腰も信頼しているので、きっと斬新な展覧会をつくり上げてくれるだろう。

2017/01/20(金)(小吹隆文)

プレビュー:キュレーター公募企画展 大いなる日常

会期:2017/02/18~2017/03/20

ボーダレス・アートミュージアムNO-MA[滋賀県]

キュレーター公募で選ばれた、田中みゆき(21_21 DESIGN SIGHT、山口情報芸術センター[YCAM]、日本科学未来館で展覧会やパフォーマンス、書籍や印刷物などの企画に携わった経験あり)の企画展。「人はなぜ表現するのか」という根本的な問いかけを軸に、表現のはじまり、他者との関係等を探る。出展作家は、AKI INOMATA、杉浦篤、銅金裕司、戸來貴規、やんツー、吉本篤史、トーマス・リバティニーの7組。アール・ブリュット、昆虫や植物を用いたバイオアート、デジタルテクノロジーを駆使したメディア・アートなど、さまざまな分野の表現が集まっており、その多様性を通じて、表現のはじまりや他者との関係性について考えてみたい。

2017/01/20(金)(小吹隆文)

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2017年02月01日号の
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