2018年10月15日号
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artscapeレビュー

2017年02月15日号のレビュー/プレビュー

吉岡徳仁 スペクトル ─ プリズムから放たれる虹の光線

会期:2017/01/13~2017/03/26

資生堂ギャラリー[東京都]

いつものように資生堂ビルの階段を降りていくと、地下中2階に受付が移動している。ひょっとして入場料をとられるのではとアセったが、そんなことはない。移動した理由は階下に降りてみるとわかる。地下空間でスモークをたいているのだ(だからエレベータも使えない)。資生堂ギャラリーは奥の小さめの部屋と手前の大きめの部屋に分かれるが、奥の部屋に大きなパネルを立て、そこに透明な三角柱(プリズム)を3つ組み合わせたユニットを数十個並べ、裏から光を当てている。プリズムを通過した光は大きな空間の床や壁に小さな虹をたくさん生み出す。光源はわずかに動いているので虹も少しずつ動くという仕掛け。たいへんな装置だし、美しい光景を現出させるが、それだけ?

2017/01/20(金)(村田真)

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エリザベス ペイトン:Still life  静/生

会期:2017/01/21~2017/05/07

原美術館[東京都]

3年前のミヒャエル・ボレマンスに続く待望の絵画展。そういえばボレマンスとペイトンの絵は似てないけど似てなくもない(どっちや!)。どちらも人物が中心で、ペインタリーで、部分的に薄塗りで、小さめの作品が多く(原美術館が会場だからか?)、そして追従者が多いからだ(来年の卒展にはますますペイトン風の絵が増えるはず)。でも違いも大きい。ペイトンのほうがプリミティヴで、色彩が美しく、絵画としてより自律しているように見える。ドラクロワやクールベのよく知られた絵画、あるいはジョージア・オキーフ、カート・コバーン、ヨナス・カウフマンの肖像など、彼女にとって身近で愛すべきモチーフが採り上げられるのも特徴だ。この親密さと小ぶりのサイズがコレクターにはたまらないのよ。出品作品の大半は個人の所蔵だという。

2017/01/20(金)(村田真)

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山崎阿弥「声の徴候|声を 声へ 声の 声と」

会期:2016/12/17~2017/01/22

京都芸術センター[京都府]

山崎阿弥は、自身の「声」を自在に用いて表現するアーティストであり、映像・造形作家でもある。これまで、灰野敬二、坂田明、外山明、鈴木昭男、飴屋法水らとの共演を行ない、2017年1月からNHKで放送される『大河ファンタジー「精霊の守り人」』シーズン2では、ナレーションと「精霊」などのさまざまな声で出演している。本企画「声の徴候|声を 声へ 声の 声と」では、録音された声を多重的に空間配置してつくり上げるインスタレーションの【re:verb】と、生声によるライブの【re:cite】という異なる2つの発表形態が展開された。
ライブの【re:cite】では、石川高(笙)と森重靖宗(チェロ)と共演。暗闇と静寂が支配するなか、登場した山崎の喉から漏れるのは、小鳥の囁くようなさえずりだ。一瞬にして、清澄な空気に満ちた森の中へと、空間が変貌する。威嚇するような獣の鋭い声、深い森の奥で鳥たちが囁き交わすざわめき、風の吹きすさぶ草原、ゴボゴボと音を立てて速い水が流れる渓流、そして切れ切れに歌われる子守歌のような微かな旋律。口笛、囁き声、喉を鳴らす音、息の漏れる音、舌打ち、など多様な技法を駆使して発される「声」に、チェロと笙の神秘的な音が寄り添い、さまざまな「風景」が音響的に立ち現われては消えていく。山崎の姿は、モンゴルのホーミーやイヌイットのスロート・シンガーを思わせ、自身の声を媒介に自然と交信しているかのようだ。
一方、サウンド・インスタレーションとして展示された【re:verb】では、会場となった元小学校の1階から3階までのスロープや廊下に、10~20個ほどのスピーカーを点在させ、各スピーカーからそれぞれ異なる「声」が再生され、多重的に重なり合う音の磁場をつくり上げた。1階では動物や鳥の鳴き声が響き合い、生命に満ちた森の喧騒を思わせるが、スロープを上がるにつれて、口笛混じりの歌が聞こえ、「人間」の気配を感じさせる音響が入り混じり、3階の上方からは天上的なハミングの調べが恩寵のように降り注いでくる。あるいは、風に混じってしわがれ声の呪詛のような音響が耳の周りをすばやく通過する。空間の上昇とともにサウンドスケープが変化し、微かな物語性が発生する。録音の複製性を、声の「複数性」へと読み替えて展開させたこの【re:verb】では、ライブ公演における単線的な時間的展開に対して、鑑賞者の歩行やその速度、身体の向きの変化によって、音響が空間的な遠近感を伴って展開・聴取される。音の回廊の中を歩き周り、音の磁場の中で佇み、突然あらぬ方向から聞こえてきた音の方へ耳を澄ます。それぞれの観客ごとに、同じ聴取経験は二度となく、表現手段として複製技術を使っているものの、体験自体は複製できない。水や風がしゃべっているのか? 人の声が自然の音を模倣しているのか? 聞いているうちに両者が曖昧になり、境界が溶け合うような感覚に包まれる。真冬の夜の暗闇の中、ひとりで音の磁場の中に身を置いていると、肉体が消滅した後はこの響きの中に加わって一緒になるのだ、そんな思いに襲われた。

2017/01/20(金)(高嶋慈)

ProjectNyx第16回公演 時代はサーカスの象にのって

会期:2017/01/19~2017/01/23

新宿FACE[東京都]

Project Nyx公演・原作寺山修司『時代はサーカスの象にのって』@新宿FACE。本物のプロレスのリングを舞台に、誰もがどこかで主役になる大人数出演のロック・ミュージカルだった。トランプ大統領が就任するタイミングだったので、ラウンドを重ねながら、日本とアメリカのいびつな関係をアングラで表現する内容は、時宜を得ていた。特にSHAKALABBITSの歌と演奏は今回の劇との相性がよかった。

2017/01/20(金)(五十嵐太郎)

山本悍右展

会期:2017/01/13~2017/02/18

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]

山本悍右は(1914~1987)は戦前から戦後にかけて名古屋で活動した写真家・アーティスト。詩人として出発し、1939年に坂田稔、下郷羊雄らと「ナゴヤ・フォトアバンガルド」を結成して、旺盛な創作意欲でシュルレアリスムに影響された「前衛写真」を発表していった。戦後も北園克衛が主宰する『VOU』の同人となって、詩や作品を発表するなどの活動を続けたが、生前はほとんど評価されることがなかった。
ところが、1990年代から急速な見直しが進み、国内外の美術館やギャラリーで個展が開催されるようになり、シュルレアリスムと写真との関係を語るうえで、欠かせない作家の一人と認められるようになってきている。今回のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムの個展では、代表作28点あまりが展示されていた。しかも、大部分がヴィンテージ・プリントである。これだけの規模と内容の展示が商業ギャラリーで開催されるという状況そのものが、山本悍右の作品の国際的な評価の高まりを示すものといえるだろう。
山本にとって、写真はあくまでも造形作品を制作するための手段であり、現実世界を再現・記録するよりは、モンタージュやコラージュの材料を得るために活用するべきものであった。その、ある意味ではドライで自由な写真に対するアプローチが、作品の隅々にまで貫かれているのが、むしろ小気味好く目に飛び込んでくる。今回見たなかでは、《写真に関するスリリングな遊び》(1956)、《メタモルフォーゼ》(1978)などの写真とオブジェとを組み合わせた作品や、《街に雨が降る ぼくの部屋は 破片でいっぱいだ》(1956)、《空気のうすいぼくの部屋》(同)のような、パフォーマンスをシークエンスとして構成した作品に新鮮な印象を受けた。彼の作品世界には、まださまざまな可能性が潜んでいそうな気がする。日本では、東京ステーションギャラリーでの「シュルレアリスト山本悍右」展(2001)以来、大規模な展覧会が開催されていないので、そろそろ大きな会場での展示も見てみたいものだ。
なお同時期に、タカ・イシイギャラリー東京でも、山本悍右の作品2点を含む「日本のシュルレアリスム写真」展が開催された(2017年1月14日~2月4日)。山本に加えて中山岩太、安井仲治、椎原治、岡上淑子と並ぶラインナップはかなり強力で、「日本のシュルレアリスム写真」の広がりと豊かさを実感することができた。

2017/01/21(土)(飯沢耕太郎)

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