artscapeレビュー

2017年06月15日号のレビュー/プレビュー

イキウメ「天の敵」

会期:2017/05/16~2017/06/04

東京芸術劇場[東京都]

倫理的な問題を扱う内容だが、相変わらず笑いの要素もあって、イキウメの作品は本当にハズレがない。特殊な食事法によって、不老不死になった男の数奇な生き様を取材するという形式をとり、ちょうど映画『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のように追体験する。イキウメの『太陽』と似たプロットもあるが、こちらは共同体論ではなく、長いスパンの時間/歴史軸で展開している。

2017/05/17(水)(五十嵐太郎)

マリアの首 ─幻に長崎を想う曲─

会期:2017/05/10~2017/05/28

新国立劇場[東京都]

戦争の記憶がまだ残っている時期ゆえに、切実につくられた田中千禾夫の名作を小川絵梨子が演出し、鈴木杏らが出演した舞台である。原爆が投下された長崎において、それぞれの事情を背負い、生きていく女たち。とりわけ圧巻なのが、雪が降る夜、破壊された浦上天主堂に集まり、転げ落ちたマリアの首を保存しようと集まる、美しいラストシーンだった。

2017/05/17(水)(五十嵐太郎)

異郷のモダニズム─満洲写真全史─

会期:2017/04/29~2017/06/25

名古屋市美術館[愛知県]

1932(昭和7)年に中国東北部に建国された満洲国については、どうしても負のイメージがまつわり付いている。「五族協和」や「王道楽土」といった耳障りのいいスローガンを掲げていたにもかかわらず、実質的には日本の傀儡国家であったことは明らかだからだ。だがその満洲の地に、独特の色合いを帯びた写真文化が花開いていたことは、それほど知られていないのではないだろうか。今回、名古屋市美術館で開催された「異郷のモダニズム─満洲写真全史─」展は、まさにその「満洲写真」研究の集大成というべき展覧会である。
じつは「異郷のモダニズム」と題する展覧会は、1994年に同美術館ですでに開催されている。そのときには、1928年に南満州鉄道(満鉄)弘報課嘱託として渡満し、1932年に「満洲写真作家協会」を組織した淵上白陽を中心とした、馬場八潮、米城善右衛門、土肥雄二、岡田中治らの、ピクトリアリズムとリアリズムを融合した作品群が中心に展示されていた。だが今回は、その前後の時期の写真も取り上げられている。
具体的には宮城県出身の櫻井一郎が、自ら撮影した写真印画を頒布する目的で1926年に組織した「亜東印画協会」の活動、さらにアメリカの戦後対日賠償に関する調査団(「ポーレー・ミッション」)の報告書に掲載された、満洲国崩壊直後の工場、工業施設の記録写真がそうである。これらの写真群によって、「満洲写真」はさらなる厚みと奥行きを備えて立ち上がってきたといえるだろう。約450点(展示替えの分を含めると約600点)の写真が放つ熱量はまさに圧倒的なものだった。長年にわたって調査・研究を進めてきた同館学芸員の竹葉丈の力業に敬意を表したい。
なお、展覧会に合わせて、貴重な図版や資料を多数収録した同名の写真集(カタログ)が国書刊行会から出版されている。

2017/05/18(木)(飯沢耕太郎)

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C/Sensor-ed Scape

会期:2017/04/15~2017/05/28

トーキョーワンダーサイト本郷[東京都]

昨年度TWSのレジデンス・プログラムに選ばれた8人のアーティストが、滞在・制作の成果を発表している。瀧健太郎は暗いギャラリーの窓際、壁、コーナーの3カ所に人物を映し出し、相互に接触がないのに偶然シンクロしてしまうという映像インスタレーション。これはよくできているし、おもしろい。バーゼルに滞在した村上華子は、知の流通(カレンシー)と通貨(カレンシー)の繁栄はライン川の流れ(カレント)があってこそと気づき、バーゼルの印象(インプレッション)を古い活字を用いて印刷(インプリント)するという、言葉遊びのような映像を上映。写真や印刷の考古学と翻訳の技能を持つ彼女ならではの作品。あとは省略。

2017/05/19(金)(村田真)

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ダヤニータ・シン「インドの大きな家の美術館」

会期:2017/05/20~2017/07/17

東京都写真美術館2階展示室[東京都]

インド・ニューデリー出身の女性写真家、ダヤニータ・シンの《インドの大きな美術館(Museum of Bhavan)》の展示は、とても興味深いインスタレーションの試みだった。会場には木で組み上げられた枠組みが設置されており、それらは自由に折り畳んだり開いたりできる。枠にはフレーム入りの写真を展示ができるのだが、それらも入れ替えが可能だ。つまりこの「美術館」は、作家自身をキュレーターとして、たとえ会期中でも組み替えが可能な、可動式のプライヴェート・ミュージアムなのだ。ダヤニータ・シンは、さまざまな「書類」をモチーフにした《ファイル・ミュージアム》(2012)を皮切りに、このシリーズを制作し始めたのだが、その発想のきっかけになったのは、2011年に京都を訪れたとき、襖や障子で間取りを変えることができる日本旅館に泊まったことだったという。いかにも日本人が思いつきそうなアイディアを、インド人の彼女が形にしていったというのが面白い。
実際に「美術館」に展示されている中には、これまで彼女が撮影してきた写真シリーズの作品も含まれている。「ユーナック」(去勢された男性)のモナを撮影した「マイセルフ・モナ・アハメド」(1989~2000)、アナンダマイ・マーの僧院の少女たちのポートレート「私としての私」(1999)などの写真が、「美術館」のなかに組み入れられ、新たな生を得て再構築される。近作になるに従って、その構造はより飛躍の多い、融通無碍なものとなり、ドキュメンタリーとフィクションが入り混じった独特の雰囲気を発するようになる。写真を「見せる」ことの可能性を、大きく更新する意欲的な作品といえるだろう。
なお本展と同時開催で、同美術館のコレクション展「いま、ここにいる──平成をスクロールする 春期」展がスタートした。1990年代以降の日本の写真表現を、収蔵作品によって辿り直す企画で、夏期の「コミュニケーションと孤独」、秋期の「シンクロニシティ」と続く。個展の集合体というやり方をとったことで、すっきりとした見やすい展示になっていた。全部見終わったときに、どんな眺めが見えてくるのかを確認したい。

2017/05/19(金)(飯沢耕太郎)

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2017年06月15日号の
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