2018年04月15日号
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artscapeレビュー

2017年06月15日号のレビュー/プレビュー

2017- I コレクション・ハイライト+特集1「実験的映像」

会期:2017/03/18~2017/05/07

広島市現代美術館[広島県]

映像なのでサッと通り過ぎようとしたら、1点だけ目に止まった。首から下の男性が腰を左右に振りながら行ったり来たりするだけのビデオ作品で、作者はブルース・ナウマン、タイトルは《コントラポストによる歩行》、制作年は1968年。あまりのバカバカしさに笑うしかなかった。たまにこういう佳作があるから侮れない。

2017/05/05(金)(村田真)

殿敷侃 逆流の生まれるところ

会期:2017/03/18~2017/05/21

広島市現代美術館[広島県]

今日は日帰り西日本の旅。まずは新幹線でズビーッと広島の殿敷侃展へ。1942年に広島に生まれた殿敷は、3歳のとき母とともに爆心地にいたはずの父を捜して二次被爆。20歳のときに病床で絵を描き始め、重苦しい風景画から「開いた口」を描いたポップ調の絵、身近なものを細密に描いたペン画や銅版画、シルクスクリーンへとめまぐるしく作風を展開していく。ちなみに「開いた口」とは爆死者の物言わぬ口であり、身近なものとは父の爪や母の襦袢や原爆ドームのレンガであったりする。82年にヨーロッパを旅行し、ヨゼフ・ボイスの「エコロジー」や「社会彫刻」の思想に触れ、インスタレーションに移行。それから10年足らずのあいだに、いまでいうアートプロジェクトやソーシャリー・エンゲイジド・アートの先駆けとなる仕事を残し、92年に50歳で死去。
ぼくが殿敷さんと知り合ったのは80年代後半のこと。だからぼくにとって殿敷さんはインスタレーション作家、古い言い方をすると環境芸術家であって、それ以前の絵画作品は彼が亡くなるまで見たことがなかった。でも今回の回顧展を見ると、5章立てのうち4章までが絵画・版画に占められ、インスタレーションは最後の1章だけ。しかも最終章はインスタレーションの一部やプロジェクトの写真、ビデオなどの記録で構成されているが、それまでの充実した展示と比べてなにか中途半端で尻切れトンボな印象は否めない。もちろんそれは作品として残る絵画と残らないインスタレーションの違いもあるが、それ以上に、志半ばにして中断された殿敷の「心残り感」を印象づけようとする演出だったのかもしれない。
しかし中途半端といっても、ここには恐るべき光景が広がっていることを見落としてはならない。彼は多くの人たちとともに海岸で拾い集めた流木やプラスチックを焼いて固めたり、廃棄物やタイヤを積み重ねてバリケードを築いたりしていた。それはおそらく、彼の網膜に最初に焼きついたであろう被爆地のイメージに由来するものだが、それだけでなく、彼にとっては知るよしもない20年後の大震災と大津波に見舞われた東北の被災地の光景をも思い起こさずにはおかないものだ。戦災と天災、光(核爆発)と水(津波)の違いはあっても、破滅の光景は大差がないことを教えてくれる(後者が核の脅威にもさらされたことは付け加えておかなければならない)。殿敷はあたかもカタストロフの予行演習をしていたかのようだ。

2017/05/05(金)(村田真)

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インベカヲリ★「車輪がはけるとき」

会期:2017/05/05~2017/05/21

神保町画廊[東京都]

インベカヲリ★は、写真を撮影する前にモデルの女性たちにインタビューし、そこで出た話題を元にして、撮影のシチュエーションを決めていく。だが、最終的に写真が発表されるときには、その話がどんなものだったのか、テキストとして示されることはない。タイトルに、その内容が暗示されるだけだ。そのことについては、以前からややフラストレーションを覚えていて、もっときちんとテキスト化された文章を、写真と一緒に見たいと思っていた。
だが、今回の神保町画廊での展示(新作13点、旧作7点)を見て、その考えがやや変わった。というのは、インベの作品タイトルは、それ自体がふくらみを備えていて、観客のイマジネーションを強く刺激するので、テキストでそれを固定する必要がないように思えてきたからだ。例えば表題作の「車輪がはけるとき」は、黒と赤の衣装を身につけた二人の女性が窓越しに向き合う場面を撮影している。「自分勝手の推奨」は、道でラーメンのどんぶりをかかえて食べようとしているOL風の女性、「裂けるチーズ現象」は、水たまりのある公園でうつぶせになって顔を上げている女性を撮影した写真だ。むろん、写真を見ただけでは、タイトルに込められた意味はストレートに伝わってこない。だが逆に、観客は写真を見ながら、タイトルをヒントにして自分なりの物語を構築することができる。その面白さを、今回あらためて感じることができた。
インベのデビュー写真集『やっぱ月帰るわ、私。』(赤々舎、2013)の刊行からすでに5年近くが過ぎている。そろそろ次の写真集が出てもいいのではと思っていたら、赤々舎で企画が進んでいるそうだ。どんな写真集になるのかが楽しみだ。

2017/05/05(金)(飯沢耕太郎)

第40回学生設計優秀作品展─建築・都市・環境─(レモン展)

会期:2017/05/03~2017/05/06

明治大学駿河台校舎アカデミーコモン2F[東京都]

レモン画翠の学生設計優秀作品展の40周年記念シンポジウムに出品者OBとして登壇。門脇耕三の司会で、坂牛卓、古澤大輔、西牧厚子、中川エリカらの各世代が語り、時代の違いを明らかにしていく内容だった。卒計イベントは、どうしても横軸に同時代を可視化するものばかりだが、縦軸で切り取れるのは長い実績を誇るレモン展ならではだろう。シンポジウムの冒頭で報告された、学生のワーキンググループが制作した過去のレモン展出品者1,869人の追跡調査とアンケートのまとめが興味深かった。ネットベースで調べたというフィルタリングはあるけれど、その後の職種は第30回頃までアトリエ系が多かったのが、第31回以降は組織系事務所に逆転されるというのは考えさせられる。これは実感に近い。ちなみに、1990年に筆者がレモン展に出したときの会場は、お茶の水スクエアだった。いまのような作品集はなく、簡単なリーフレットのみである。また当時は全体の講評会はなく(学内でもなし)、建築家の講演会が開催されたのみ。ほかに卒計イベントもなく、SNSつながりもなく、卒計を出したら、とっとと海外旅行に出かけるのが普通だった。個人的にはあまりにもメディア化した卒計イベントに自縛される必要はないのではと思う。ほかに触発されるものは多々あるはずだ。

2017/05/05(金)(五十嵐太郎)

浮世絵・神奈川名所めぐり

会期:2017/04/15~2017/06/11

平塚市美術館[神奈川県]

「リアルのゆくえ」のついでに見る。広重の《東海道五十三次》や北斎の《富嶽三十六景》から、明治の小林清親、昭和の川瀬巴水あたりまで、おもに神奈川の名所風景を描いた浮世絵の展示。川崎・砂子の里資料館館長の斎藤文夫氏のコレクションだそうだ。浮世絵は元来手にとって鑑賞するものだから、サイズは小さいし線も細く、美術館で鑑賞するには向いてない。おまけに大量に刷られた印刷物だから、画集で見れば十分だ。とつねづね思っているので、約200点を5分ほどで通過。1点1.5秒の計算だが、そうやって作品の前を通りすぎることで、やっぱり北斎は飛び抜けているなとか、明治以前と以後とでは徐々に空間把握が変化しているなとか、違いが見えてくることもある。なんてね。

2017/05/07(日)(村田真)

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