2017年09月15日号
次回10月2日更新予定

artscapeレビュー

2017年07月01日号のレビュー/プレビュー

黒瀬剋展

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会期:2017/06/06~2017/06/17

galerie 16[京都府]

絵画作品が出来上がるまでには紆余曲折があるが、われわれが見られるのは完成した画面のみで、途中経過は分からない。しかし黒瀬剋は、作品が変化していく過程にも完成作と等価な魅力があると考え、それを可視化することを思い立った。その結果生まれたのが、《メタモルフィック・ペインティング》と《コンティニュアス・ペインティング》という2つのシリーズだ。前者は1枚の絵を分解してパズルピースにしたもので、画面の配列が変更可能となり、そこに上描きすれば新たなイメージが発生する。後者は、作品を写真撮影してプリントの上から描き足す作業を繰り返すことで、イメージの変遷を可視化するものだ。前者はパズルを組み換えればまた新たなイメージを創造でき、後者はプリントを複数用意すればひとつのイメージから複数の方向に分岐ができる。つまり黒瀬の作品は、制作過程を可視化することと、完成作は無数の可能性のひとつにすぎないことを示すのがテーマなのだ。筆者は黒瀬以外の画家からも、過去に何度か同様の悩みを聞いたことがある。この問題は画家にとって普遍的なのだなと、改めて実感した。

2017/06/06(火)(小吹隆文)

マネキンミュージアム

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七彩アーカイブス 彩sai[大阪府]

洋装の登場とともに急速に需要が高まったマネキン。戦後、パイオニアであった島津マネキンは製造を中止し、代わって京都に設立されたのが七彩工芸(現 七彩)だった。同社の初代社長向井良吉は東京美術学校で彫刻を学んだ人物で、洋画家の向井潤吉の弟である。マネキンミュージアムでは、七彩が所蔵する日本最古のマネキン、また50年代から現在までの各時代のマネキンの変遷、写真家ベルナール・フォコンが収集したアンティーク子供マネキン、同時代の資料等を展示している。向井が最初期に制作したマネキン(素材:楮製紙)と、当時大ヒットとなった婦人マネキンFW-117の彫刻的フォルムの古典的な美しさから、その歴史は始まる。60年代には膝小僧を出してミニスカートを流行させた決めポーズをしたマネキン、70年代には百貨店からの希求によってより人間化したリアルなマネキンが製造された。80年代には、ヨーガン・レールとの共同開発で生まれた「空間をシンボリックに存在するモニュメント」として、日本人らしく顔が大きめでフラットな人体、自然なポーズをしたマネキンも現れた。同社と京都服飾文化研究財団およびメトロポリタン美術館衣装部門と共同で開発された博物館用モデル、時代衣装用のマネキンは現在、西欧10か国以上で使用されているそうだ。時代を追っていくと、素材の変化、目を開いたままの人間から型取りした(Flesh Cast Reproduction)技法の革新、女性の表象やイメージの変遷、数多くの時代を代表する美術家/デザイナー/洋装学校教育者たちの関与等、鑑賞の切り口がたくさんある。[竹内有子]

2017/06/07(水)(SYNK)

オフィスマウンテン『ホールドミーおよしお』

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会期:2017/05/24~2017/06/10

STスポット[東京都]

チェルフィッチュで長らく役者を続けてきた山縣太一が主宰する劇団、オフィスマウンテン。毎年この時期に上演を重ねて今回で3作目。音楽で例えるならばまるで全員がリードの取れるボーカリスト集団と言おうか。7人の役者がほぼ出ずっぱりで、全員がテンションの高い身体性を観客に投げ続けた。これまでの大谷能生の異能を見せる舞台から、さらに発展のあった舞台だった。山縣は一作目から「役者」が主役であるような舞台を理想としていた。奇妙な言い方に聞こえるかもしれないが、既存の演劇において役者はしばしば戯曲(作家)や演出家の奴隷にさせられる。もっと主体的に自由に、役者の躍動する舞台があっても良いのではないか? その思いが3作目で結実した。これまでは、大谷能生が中心にいる分、若手役者はどうしても「サブ」に見えてしまうところがあった。今回も、大谷は中心にいるのだが、彼の役が実際の旅には出ずに『るるぶ』を読むだけの男であり、椅子に座っての演技が多く、対して6人の若い役者は右往左往しながら、身体を躍動させるべくチャレンジを繰り返す。ここで「身体の躍動」とは、その場で起こる無数の出来事にできる限り注意を凝らして巧みに反応し、向こうからの応答を無視せずそれにも反応することで生まれる即興的な身体の密度のことだ。サッカーでは優れたプレイヤーを「視野が広い」と賞賛するが、それに似て、反応の高さが役者の身体に密度を与える。すると、舞台は極めて「スリリング」なものになる。ストーリーの展開などよりも、役者の身体がもたらすスリルに、観客ははらはらする。だから既存の演劇の枠をはみ出し、観客が受け取る印象はパフォーマンス、もっと言えば(様式的外見は随分と異なるが)舞踏に近くなる。あえて深読みするなら、故室伏鴻の遺したものと重なって見えるところが随所にあった。『DEAD』のように、背中をついた逆立ちをするシーンとか、冒頭の、無言で踊る大谷のリズムなど。いずれにしても、相当に異形の、挑戦的な舞台が出現したわけだ。ひとつのフレッシュな舞台表現の磁場が生まれた。

2017/06/09(金)(木村覚)

田嶋悦子展 Records of Clay and Glass

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会期:2017/06/10~2017/07/30

西宮市大谷記念美術館[兵庫県]

1980年代から活躍し、国内外で高く評価されている陶オブジェ作家、田嶋悦子が、これまでの活動を振り返る個展を西宮市大谷記念美術館で行なっている。出展作品は、1987年の《Hip Islnad》から最新作《Records》(画像)までの15点。点数が少ないと思われるかもしれないが、大作やインスタレーションが多いので、けっして物足りなさは感じない。田嶋は陶とガラスを組み合わせるのが特徴。そのスタイルを確立した1990年代の《Cornucopia》シリーズも展示されていたが、筆者が注目したのは前述した2作品だ。《Hip Island》は数百のパーツを組み合わせたインスタレーションで、植物から着想したフォルムと黄、赤、金などのあざやかな色彩が大きな特徴である。1980年代の関西美術界に溢れていたバイタリティーを体現したような作品だが、これまで実見する機会がなかった。やっと出合えて嬉しい限りだ。一方《Records》は机上に陶とガラスから成る120個の作品が並んだもので、陶の表面にアジサイの葉を転写しているのが特徴である。田嶋は美術館で縄文土器の展覧会を見た際に、幼子の手足を押しつけた陶製アクセサリーを発見し、やきもので記憶を表現できることに気付いたという。ガラス部分もこれまで用いていたパート・ド・ヴェールではなく、板ガラスをカットしていたのが印象的だった。本展は、田嶋の約30年に及ぶキャリアを総括しつつ、新シリーズの門出を高らかに歌い上げたものだ。「まだまだやるぞ」という作家の声が聞こえてきそうな、気持ちのいい個展だった。

2017/06/10(土)(小吹隆文)

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こq『地底妖精』

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会期:2017/06/10~2017/06/11

SCOOL[東京都]

美術作家高田冬彦の制作した黒い芋が何本も宙に浮いている。その中、永山由里恵は膨大なセリフを早口で、強烈な身体表現とともに発話し続ける。寓話的な物語。女は妖精と戯れる。しかし、穢らわしいもぐらという相手もいる。妖精は空気に似て「タンパク質で構成されていない」存在だ。妖精に憧れる女の体はしかし、タンパク質製だ。だから黒い芋も食べるし、おならもでる。もぐらはそんな女(=地底妖精)にとって厭わしい獣だが、同時に、欲情の対象でもある。妖精ともぐらのあいだで女の欲望は揺れ動く。これはつまり、女性の抱く理想と現実の寓話だ。これまで市原が描いてきた世界観を、本作はシンプルに図式化した。想像に過ぎないが、市原自身が自分との距離を以前より楽に取れるようになった、なんてことがこの「図式」性の成立背景にあるのかもしれない。その分、観客とのあいだにも以前とは異なる距離が生まれていた。もともとQの役者(登場人物)は観客と向き合うことが多い。おのずと役者(登場人物)は観客に語りかけることになる。けれども、これまではさすがにそれによって「第四の壁」が消えることまではなかった。それが本作では、「第四の壁」が崩れ、観客の何人かに永山はひとりずつ話しかける場面があらわれた。高田の起用も、図式的な構成も、永山の話しかけも、劇団Qの「アナザーライン」としてこqという余地を作ったからこそ、生まれたものなのだろう。少女の妄想を少女の市原が描いていたのが、これまでのQだった。その切実な、キリキリした表現も大変魅力的だったが、いまの、少女の妄想から少し距離が取れている市原の余裕は、これまでとは別の仕方で、Qの描く世界を豊かにして、それも魅力的だった。市原のなかで新しい劇表現が始まろうとしている。そんな気がした。

2017/06/10(土)(木村覚)

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