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2017年07月15日号のレビュー/プレビュー

歿後60年 椿貞雄 師・劉生、そして家族とともに

会期:2017/06/07~2017/07/30

千葉市美術館[千葉県]

椿貞雄は岸田劉生の門下生で、平塚市美術館で開かれていた刺激的な企画展「リアルのゆくえ」にも出ていたので見に行く。出品は200点近くあるが、前半は椿だけでなく、劉生の《自画像(椿君に贈る自画像)》《椿君之肖像》など椿関連の作品も多く、少し得した気分(ちなみに《椿君之肖像》は6月11日までの平塚市美にも出ていたから忙しい)。肝心の椿の作品は初期こそ濃密な描写で劉生とタメ張っていたが、劉生没後は《髪すき図》やいくつかの《冬瓜図》を除き、次第に凡庸な静物画や家族の肖像画、趣味程度の水墨画に堕していく。想像するに、彼は生活のために学校で教え、家庭にも恵まれていたようだから、極端な冒険をする必要も求道的な生活を送る必要もなく、そこそこ幸せに暮らしたのかもしれない。別に不幸こそ芸術の友といいたいわけではないけれど。

2017/06/25(日)(村田真)

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性欲スクランブル

会期:2017/04/30~2017/10/09

クシノテラス[広島県]

アール・ブリュットで知られる鞆の津ミュージアムから独立したキュレーターの櫛野展正が昨年立ち上げたギャラリー、クシノテラスへ。いまや制度化されるアール・ブリュットから逃れていくアウトサイダーのアウトサイダーだけあって、エロをテーマにした「性欲スクランブル」展も「性」と「生」がせめぎあうド迫力の内容だった。注目すべきは、地元の広島から、人知れず「性」を創作につなげる活動を続けている逸材を発見し、半田和夫、城田貞夫らの仕事を紹介していること。普通にアート業界にいても絶対に出会わない人たちだ。

写真:上=城田貞夫 下=半田和夫

2017/06/26(日)(五十嵐太郎)

《とおり町Street Garden》《Peanuts》《森×hako》

[広島県]

前田圭介の案内で地元で手がけたプロジェクトをまわる。まず、《とおり町Street Garden》へ。商店街をまとめながら、電力会社と粘り強く交渉し、5年をかけて実現したもの。老朽化したアーケードを外し、鉄柱をいかしてステンレスワイヤーを垂らす。こうして商店街が明るい場所に変更した。足元に緑が点在するのも魅力的である。続いて訪れた《Peanuts》は、保育園の奥に増築された乳児保育施設だった。名前のとおり、ピーナツ状の輪郭にガラスをめぐらせるが、水平に走る木製のフレームが日射や視線を遮ったり、棚になったりする。ランドスケープと続く内外が曖昧になった内周部の扱いは、《後山山荘》の新しい縁側空間にも通じる。最後は彼の事務所も入る《森×hako》へ。道路側の看板を兼ねる自転車置き場が植栽に覆われて凄いことになっていた。1階は歯医者が入り、スリット状に中庭を挿入し、多孔的な空間のため、奥の個別診察室も明るい。階段を上って事務所へ。開口のフレームと木々が交互に続く眺めは不思議な奥行き感を出す。

写真:左上=《とおり町Street Garden》 左下2枚=《Peanuts》 右上2枚=《森×hako》 右下=前田事務所

2017/06/26(日)(五十嵐太郎)

《後山山荘》

[広島県]

鞆の浦の《後山山荘》へ。廃墟化していた藤井厚二の設計による彼の兄の家を、前田圭介が、残されたサンルームを復元しつつ、散らばっていた部材を活用しながら、現代的なテイストを加味した再生住宅である。これは大変なプロジェクトだ。この住宅は繊細な《聴竹居》よりもおおらかなサンルームで、海辺の眺望、風の入り方、庭から聴こえる水の音が心地よい。《後山山荘》は個人所有だが、見学会やイベントを催したり、さまざまな活用を試みており、今後どう残されていくかも興味深い。

2017/06/26(日)(五十嵐太郎)

藤岡亜弥『川はゆく』

発行所:赤々舎

発行日:2017/06/11

本書の外箱に「川は血のように流れている 血は川のように流れている」というエピグラムが記されている。藤岡亜弥が撮影した広島では、太田川、天満川など市内を流れる6つの川は、特別な意味を持っているのではないだろうか。いうまでもなく、1945年8月6日の原爆投下の日に、川は死者たちの血で染まり、その周辺は瓦礫と化した。広島で川を見るということは、その記憶を甦らせることにほかならない。
「8・6=ヒロシマ」の記憶は、多くの写真家たちによって検証され続けてきた。土門拳、土田ヒロミ、石黒健治、石内都、笹岡啓子──だが藤岡の『川はゆく』はそのどれとも似ていない、まさに独特の位相で捉えられた「ヒロシマ」の写真集だ。原爆追悼の記念行事が集中する暑い夏と、原爆ドームをはじめとする爆心地近くの象徴的な空間が、中心的なイメージであることに違いはないのだが、写っているのはどちらかといえば脱力を誘うような日常の場面だ。にもかかわらず、その底には悪意と不安としかいいようのない感情が透けて見える。日常の裂け目やズレを嗅ぎ当てる彼女の鋭敏なアンテナは、幾重にも折り畳まれた光景から、「ヒロシマ」の死者たちの気配を引き出してくる。そしてその眺めを、「血のように流れている」川のイメージが包み込んでいる。
2016年度の伊奈信男賞を受賞したこの作品で、藤岡亜弥は写真家としてのステップをまたひとつ前に進めた。2007~12年のニューヨーク滞在時に撮影された《Life Studies》など、まだ写真集になっていないシリーズもある。先日のガーディアン・ガーデンの個展「アヤ子、形而上学的研究」をひと回り大きくした展示も見てみたい。

2017/06/26(月)(飯沢耕太郎)

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