2017年09月15日号
次回10月2日更新予定

artscapeレビュー

2017年09月01日号のレビュー/プレビュー

そこまでやるか 壮大なプロジェクト展

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会期:2017/06/23~2017/10/01

21_21 DESIGN SIGHT[東京都]

文字どおり「そこまでやるか」と思わずつぶやいてしまうほど壮大なプロジェクトを手がけるアーティストの活動を見せる展覧会。国内外8組の美術家や建築家らが参加した。いずれもアーティストならではの常軌を逸した想像力を披露しており、十分に楽しむことができる。
例えば西野達は美術館という既成の空間を鮮やかに裏切ってみせた。窓際のスペースに単管を組み上げ、最大で3段のベッドを設え、カプセルホテルとした。予約すれば、じっさいに宿泊することもできるという。また泥絵で知られる淺井裕介も、美術館の白い壁に土と水でダイナミックかつ繊細な絵を描くという点で言えば、美術館で想定されている空間利用を大きく逸脱していると言えるだろう。
一方、美術館という制度そのものから逸脱しているのがクリストである。本人のインタビューを交えた映像で詳しく紹介されているのは、昨年にイタリアのイセオ湖で行なわれた《フローティング・ピアーズ》。ポリエチレン製のブロック22万個を連結させた長大な桟橋で湖畔の街と島を結んだプロジェクトである。オレンジ色の布で覆われた桟橋は幅16メートル、全長3キロ。その上をおびただしい数の観光客が散歩する光景は、夢のように美しい。クリストは湖面に道を拓いたのだ。
アーティストの仕事が想像力を現実化することにあるとすれば、本展で紹介されているアーティストたちはいずれも類稀な想像力の強度と美しさを備えている。しかも、それらを根底で駆動させているのは、美術館あるいは「美術」という制度に依拠しながらも、同時に、それらから大きく逸脱する運動性である。絵画はキャンバスに閉じ込められているわけではないし、美術も美術館にしかないわけではない。グラフィティやアウトサイダーアートという例外的な周縁でなくとも、そもそもアーティストの想像力は、そのような制度とまったく無関係に飛翔することができる自由を誇っている(クリストのインタビュー映像は彼の作品履歴を振り返りながらプロジェクトに取り組むための真髄を明快に言語化している点で必見)。
既成の制度や歴史、与えられた条件の中だけで想像力を開陳しがちな、そしてそのことを不自由とも思わないほど飼い慣らされた、若いアーティストや美大生こそ見るべき展覧会である。

2017/08/20(日)(福住廉)

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Under 35 廖震平

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会期:2017/08/25~2017/09/13

BankART Studio NYK 1階ミニギャラリー[神奈川県]

35歳以下の若手作家に発表の機会を与えるU35シリーズの第2弾は、台湾出身の廖震平の個展。彼が描くのは一見ありふれた風景画のようだが、どこか変。例えば木が画面のちょうど中央に立っていたり、画面の枠に沿って四角い標識が描かれていたり、道路のフェンスが画面をニ分割していたり、不自然なほど幾何学的に構築されているのだ。そのため風景画なのに抽象画に見えてくる。というより具象とか抽象という分け方を無効にする絵画、といったほうがいいかもしれない。
1点だけ例を挙げると、巨大な木を描いた《有平面的樹》。右下から斜め上に幹が伸びているが、白くて丸い切り口が画面の中心に位置しているのがわかる。いったんそのことに気づくと、もうこの絵は風景も木も差しおいて、白い丸が主役に躍り出てくる。太い幹や暗い木陰や細かい枝葉は、白い丸を際立たせるための小道具にすぎないのではないかとすら思えてくるのだ。そもそも彼は風景を描いていない。風景を撮影してタブレットで拡大した画像を見ながら描いているのだ。その意味では「画像画」というべきか。だからなのか、彼の表象する風景からはなんの感動も伝わってこない。伝わってくるのは絵画を構築しようとする意志であり執念だ。そこに感動する。

2017/08/25(金)(村田真)

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岡本太郎と遊ぶ

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会期:2017/07/15~2017/10/15

川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]

「遊び」を切り口として岡本太郎の作品を紹介するとともに、現代アーティストが岡本太郎の作品「と」遊ぶ展覧会。本展に出品されている岡本太郎の作品の中でデザインという視点から興味惹かれるのは「遊ぶ字」。画集『遊ぶ字』(日本芸術出版社、1981)に収録された字など、太郎の「遊ぶ字」は、読めるか読めないかといえば、ちゃんと読める字として描かれれている。書というよりも、絵画というよりも、多分にグラフィック的。その仕事はしばしば商業的あるいは非営利のポスターにも用いられている。誰が見ても岡本太郎の作品であることは一目瞭然なのだが、他方でその字はそのポスターとしっかり結びついて、人々に記憶されている。すなわち、正しくロゴタイプとして機能しているのだ。野沢温泉の「湯」の字(1983)はその典型だろう(考えてみれば、岡本太郎の彫刻作品もまた太郎の作品であると同時に、その土地のランドマークともなっている)。「岡本太郎と遊ぶ」という点では、ドローイングと作品を比較させてみたり、畳敷きに座って作品を見たり、彫刻に触れたり、《梵鐘・歓喜の鐘》を叩いて音を聞いたり、匂いから岡本太郎の作品をイメージさせる作品など、参加型の展示がある。夏休みらしい、それでいて大人も楽しめる鑑賞のための工夫がいい。参加アーティストは、チーム☆TARO (NPO ARDA)、酒井貴史(美術作家)、BBモフラン(打楽器奏者)、たたら康恵(音楽療法士)、田中庸介(詩人)、横山裕一(漫画家/美術家)、井上尚子(美術作家)。[新川徳彦]

2017/7/14(金)(SYNK)

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手塚夏子『漂流瓶プロジェクト第一弾 ~それは3つの地点から始まる~』

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会期:2017/07/21~2017/07/23

STスポット[神奈川県]

「漂流瓶」とは、手塚夏子が誰かに委ねる指示書(振付のスコア?)のこと。手塚本人、韓国のYeongRan Suh、スリランカのVenuri Pereraの3人が指示書に従ったパフォーマンスを上演した。指示書には5項目の指示がある。そこでは、西欧近代化の影響を受け価値観の変動があったと自認する非西欧の作家に、価値観の変動が起きた以前の文化的な行為を取り上げ、実演してもらい、そこでの深い反省を経て、ゴールとして現代の芸能や祭りを構想するまでのプロセスが要請されている。「漂流瓶」とはつまり、手塚によるパフォーマンスのアイディアのアーカイヴ化であり、それを他者に委ねるという意味でアーカイヴの活用の試みであり、西欧近代化に巻き込まれた非西欧の国の文化を再考し、再構築を目指すチャレンジのことである。
手塚は綱引きの綱を体に巻きつけ登場、綱の反対の先には萩原雄太(かもめマシーン)がいて、「どうしたらまっとうな大人になるよう子どもを教育できますか?」などといった「成熟(西欧的価値の香りが漂う)」をめぐる問いかけを手塚にし続ける。手塚は途中から、言葉が飲み込めないようになって、何度も吃り始める。手塚が綱を思いっきり引っ張ると、萩原は舞台に現れ、観客も巻き込んだ綱引き大会になった。YeongRanのパフォーマンスは、より本格的に観客参加型で、観客は席を立つよう指示されると、韓国、日本、アメリカ合衆国、イスラエルの旗を渡され、質問に従って、旗を上げ下げするよう求められる。質問は、どの国が一番好きか、どの国が一番民主的だと思うか、など。好きな国別に分かれて、リーダーを決め、リーダーが質問を受けると、その回答に指示できるか、旗を振って答える、なんて場面にまで進むと、観客は「旗を振ること」「リーダーを作る、それを支持(非支持)すること」などの意味に自問自答するようになる。Venuriは、スリランカが極めて「弱い」パスポートの国で、また他国のビザの獲得が非常に困難であり、ゆえに「ビザ・ゴッド」に祈りを捧げることが流行っていると観客に説明すると、伝統的な祈祷の儀式をベースにしているらしい「ビザ・ゴッド」への祈りの儀式を実演した。3作家のパフォーマンスを見て「スコア」の可能性にあらためて気づかされた。スコアは民主的だ。誰でもアクセスでき、誰でもスコアの力を借りて、感性的で知的な反省の機会を得ることができる。しかも、観客の参加を促すパフォーマンスの形式では、観客もまた傍観者ではいられずに、何かの役割を生きることになる。こういう民主的なアイディアの実践に、観客の側が習熟する先に何か新しい未来的な上演の空間があると思わされる。「道場破り」と称した、ダンスの手法の交換を実践し、交換した手法で対決する企画を行なったこともある手塚夏子らしい挑戦だ。第二弾にも期待したい。

2017/7/21(金)(木村覚)

生誕150年記念 藤島武二展

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会期:2017/07/23~2017/09/18

練馬区立美術館[東京都]

今年2017年は洋画家・藤島武二(1867-1943)の生誕150年。15年ぶりの大回顧展となる本展では、藤島武二の作品のみならず、彼が学んだ日本画家、洋画家、留学時代の師の作品、資料を含む約160点が紹介されている。また、日本のアール・ヌーヴォー様式の代表作のひとつである鳳晶子(与謝野晶子)『みだれ髪』装幀(1901/明治34年)を含む、グラフィックデザインの仕事が多数紹介されている点も特筆されよう。本展チラシのデザインもアール・ヌーヴォーを意識しているようだ。ほとんどアルフォンス・ミュシャのスタイルの模倣である「すみや書店」刊行の絵はがき《三光(星・日・月)》(1905/明治38年)などからは、藤島が同時代のヨーロッパの流行を熱心に研究していた様子がうかがわれる。藤島武二とアール・ヌーヴォー様式には黒田清輝、久米桂一郎らによって結成された白馬会との関わりが指摘されている。1901/明治34年、フランスから帰国した黒田らはアール・ヌーヴォー関連の情報、資料をもたらし、白馬会第6回展(1901年10~11月)では多数のアール・ヌーヴォー様式のポスターが展示されたという。しかしそれ以前からアール・ヌーヴォーのデザインは日本に影響を与えていた。黒田、久米らの不在中に開催された白馬会第5回展(1900年10~11月)にアール・ヌーヴォーのポスター2点が展示されており、また藤島武二は『明星』第10号(1901/明治34年1月)にアール・ヌーヴォー風の挿絵を発表している。藤島武二自身がヨーロッパ留学に出発したのは1905年のことなので、彼は日本に居ながらにして、そして黒田、久米が持ち帰った資料の影響を受ける以前にすでに、ヨーロッパのポスターや雑誌によってアール・ヌーヴォー様式を研究、マスターしていたことになる。他方で、装幀やデザインの仕事の場としては東京新詩社の主催者であった与謝野鉄幹、晶子夫妻との関わりが指摘されている。鉄幹と藤島との親交は1901年から始まり、夫妻とのコラボレーションはその後30年以上にわたって続いたという。さらに、デザイナー藤島武二誕生に影響を与えた人物として、ここでは藤島が洋画を始める前に師事した四条派の画家 平山東岳、円山派の川端玉章の影響も挙げられている★1。ところで藤島武二より10歳ほど年下で、アール・ヌーヴォー様式のデザインで著名となったグラフィック・デザイナー 杉浦非水(1876-1965)もまた四条派、そして川端玉章に師事し、東京美術学校時代には黒田清輝から指導を受けている。日本のグラフィックデザインの源流に連なる二人が、時期は異なるがよく似た道筋を辿っていたことがとても興味深い。よく知られた《蝶》(1904)、《芳惠》(1926)が、1967年以降行方が分からなくなっていることを本展で初めて知った★2。[新川徳彦]

★1──谷口雄三「グラフィック・デザインの先駆者」(本展図録、38頁)および『日本のアール・ヌーヴォー 1900-1923』(東京国立近代美術館、2005年、34頁)。
★2──加藤陽介「《蝶》、《芳惠》の行方」(本展図録、88-89頁)。


2017/7/22(土)(SYNK)

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