2017年10月15日号
次回11月1日更新予定

artscapeレビュー

2017年10月01日号のレビュー/プレビュー

南野馨展

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会期:2017/09/11~2017/09/30

ギャラリー白kuro[大阪府]

南野馨は球体の陶オブジェをつくる作家だ。陶芸は焼成の過程で歪みや収縮が起こるため、幾何学的な造形には向いていない。しかし、それを承知で陶芸を選択することにより、ほかの素材とは異なる質感、重量感、実在感が表現できる。さて今回、南野は4つの白い球体を組み合わせた作品を発表した。ひとつの球体は同一形状のパーツ20個から成る。つまり正20面体の表面を膨らませたということだ。また、各パーツには円形の穴が開いているが、これには強度の維持と重量軽減という意味合いもある。こうした側面からも彼の作品が機能主義的で、陶芸につきものの偶然性の美学とは対極にあることがうかがえる。作品は壁を黒く塗った暗室の中央に配置され、照明はスポットライトのみ。照明に照らされて白いボディが浮かび上がり、劇的な効果を発揮していた。また、球体4点が組み合わさった姿は原子模型を連想させ、その点でもこれまでの個展とは違っていた。暗室、照明、組作品、これら3つの要素により、南野は新たな表現スタイルを獲得したと言えよう。

2017/09/11(月)(小吹隆文)

UNIVERSE 橋本敦史

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会期:2017/09/12~2017/09/24

アートスペース感[京都府]

橋本はさまざまな素材を駆使して立体作品を制作するアーティストだ。素材は造形に最適なものを選択しているだけで、そこに過度の思い入れは存在しない。本展で彼は、4つのシリーズ作品を発表した。そのなかでも特に注目すべきは、《Blood Vessel》(画像)と《Flower》の2つである。前者は白いパネルの上に白く塗った木の枝が配置されているが、木の枝は縦半分など不自然な形に断裁されている。後者は精密に加工されたステンレスの立体で、一見すると花のようだ。じつはこれらの作品は、彼の疾病体験から着想したものだ。橋本は脳の血管の病気を患ったことがあり、その際に視野の半分が認識できない状態に陥った。幸い病は治癒したが、そのときの体験から脳や血管に深い興味をいだくようになり、これらの作品を制作したのだ。ちなみに《Blood Vessel》の造形は、彼が体験した症状と、血管と木の枝の形状的共通性に由来している。《Flower》の形態は花ではなく、脳の神経細胞ニューロンからの着想だ。アーティストはそれぞれテーマを持って制作しているが、彼のように自分自身の生命の危機と直結しているのは稀であろう。作家と作品の分かち難い結びつきが、作品に深い説得力を与えている。ただし、劇的なストーリーから情緒的な反応に陥ってはならない。彼の作品は造形的にも質が高く、たとえ事情を知らなくても十分鑑賞に耐え得るのだ。

2017/09/12(火)(小吹隆文)

神戸港開港150年記念「港都KOBE芸術祭」

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会期:2017/09/16~2017/10/15

神戸港、神戸空港島[兵庫県]

1858年に結ばれた日米修好通商条約に基づいて、1868年に開港した神戸港。我が国を代表する港湾の開港150年を記念して、地元作家を中心とした芸術祭が開かれている。参加作家は、小清水漸、新宮晋、林勇気、藤本由紀夫、西野康造、西村正徳など日本人作家16組と、中国・韓国の作家3名だ。会場は「神戸港」と「神戸空港島」の2エリア。ただし、神戸港エリアの一部はポートライナーという交通機関で神戸空港と繋がっており、「神戸港」と「ポートライナー沿線」に言い換えたほうがいいかもしれない。芸術祭の目玉は、アート鑑賞船に乗って神戸港一帯に配置された作品を海から鑑賞すること。港町・神戸ならではの趣向だ。しかし残念なことに、取材時は波の調子が悪く、アート鑑賞船は徐行せずに作品前を通過した。通常は作品の前で徐行してじっくり鑑賞できるということだが、自然が相手だから悪天候の日は避けるべきだろう。一方、意外な収穫と言ってはなんだが、ポートライナー沿線の展示は、作品のバラエティが豊かであること、主に屋内展示でコンディションが安定していること、移動が楽なこともあって、予想していたより見応えがあった。神戸空港という「空の港」と神戸港(海の港)を結び付けるアイデアも、神戸の未来を示唆するという意味で興味深い。会場の中には神戸っ子でも滅多に訪れない場所が少なからずあり、遠来客はもちろん、地元市民が神戸の魅力を再発見する機会に成ればいいと思う。

2017/09/15(金)(小吹隆文)

驚異の超絶技巧! ─明治工芸から現代アートへ─

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会期:2017/09/16~2017/12/03

三井記念美術館[東京都]

美術史家の山下裕二の監修による超絶技巧の企画展。明治工芸から現代アートまで、約130点の作品を一挙に展示した。同館をはじめ全国の美術館を巡回した「超絶技巧! 明治工芸の粋」(2014-15)の続編だが、「超絶技巧」というキャッチフレーズによって明治工芸を再評価する気運は、本展によってひとつの頂点に達したように思う。質のうえでも量のうえでも、本展は決定的な展観といえるからだ。
むろん、ないものねだりを言えば切りがない。明治工芸の復権を唱えるのであれば、「繊巧美術」の小林礫斎が含まれていないのは欲求不満が募るし、現在において江戸時代の工芸技術の復興を模索している雲龍庵北村辰夫や、比類なき人体造形を手がけているアイアン澤田の作品(さらにはオリエント工業によるラブドールさえ)も、同列で見る欲望を抑えることは難しい。それでも安藤緑山の牙彫や宮川香山の高浮彫に加えて、前原冬樹の一木造りや山口英紀の水墨画など、いまこの時代を生きる同時代のアーティストたちの作品が一堂に会した展観は壮観である。とりわけ微細な陶土のパーツを土台にひとつずつ貼り合わせ、焼成を繰り返すことで珊瑚のような立体造形をつくり出す稲崎栄利子の陶磁や、明治工芸で隆盛を極めた有線七宝の技法を駆使しながら蛇と革鞄を融合させた春田幸彦の七宝など、これまでほとんど知られることのなかった作家たちの作品を実見できる意義は大きい。
超絶技巧の歴史的な系譜──。明治工芸と現代アートをあわせて展示した本展のねらいが、この点にあることは間違いない。明治工芸の真髄は戦後社会のなかで見失われたかのようだったが、きわめて例外的であるとはいえ、ごく少数の希少なアーティストによって辛うじて継承されていたことが判明した。帝室技芸員という制度的な保証があるわけでもなく、宮家や武家という特権的な顧客に恵まれているわけでもなく、文字どおり「在野」の只中で、現代における超絶技巧のアーティストたちは人知れずその技術を研ぎ澄ましていたのである。その意味で、彼らの作品を意欲的に買い集めている村田理如(清水三年坂美術館館長)や言説の面での歴史化を実践している山下裕二の功績は何度も強調するべきだろう。
しかし、その一方で、近年の超絶技巧を再評価する機運は、新たな局面に突入したという思いも禁じえない。それが明治工芸を不当にも軽視してきた近代工芸史の闇を照らし出す灯火であることは事実だとしても、その歴史的系譜を現代社会で生かすには、展覧会での紹介や言説の生産だけでは明らかに不十分だからだ。つまり、超絶技巧を現代社会のなかに定着させる実務的な取り組みが必要である。流行現象として消費するだけでは、いずれ再び「絶滅」を余儀なくされることは想像に難くない。
超絶技巧の制度化。制作に長大な時間を要するアーティストを支えるコレクターを拡充することはもちろん、あらゆるかたちでの公的な支援の体制も整えるべきであろうし、場合によっては帝室技芸員を再興することすら考えてもよいだろう。自己表現という美辞麗句を隠れ蓑にしながら学生を甘やかすだけの美術大学のカリキュラムも根本的に再考しなければなるまい。美術館も例外ではない。モダニズム、具体的にはコンセプチュアル・アートに偏重した歴史観にもとづいた公立美術館の大半は、少なくとも戦後美術に限って言えば、ほとんどゴミのような作品を後生大事に保存しているが、超絶技巧の作品と入れ替えることで戦後美術史を再編することも検討すべきである。在野の美術批評家がいまやある種の「絶滅危惧種」であるように、超絶技巧のアーティストもまた、ある種の「天然記念物」として公的な保護の対象としなければならない。「遺伝子」というメタファーを用いるのであれば、それを保護する制度化の議論を含めない限り、それはたんなる消費のためのキャッチフレーズとして、やがて忘却の彼方に沈んでいくほかないのではあるまいか。
超絶技巧とは、戦後美術を根本的に転覆しうる可能性を秘めた、きわめてラディカルな運動と思想なのだ。その可能性の中心を見失いたくない。

2017/09/15(金)(福住廉)

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奥能登国際芸術祭2017 その1

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会期:2017/09/03~2017/10/22

珠洲市全域[石川県]

石川県能登半島の先端に位置する珠洲市を舞台に催された初めての芸術祭。国内外のアーティスト40組が、市内の随所に作品を展示した。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(2000~)をはじめ、「瀬戸内国際芸術祭」(2010~)、そして「北アルプス国際芸術祭」(2017~)に続く、北川フラムによる芸術祭のひとつだが、開催規模も土地の風土もそれぞれ異なるとはいえ、これらのなかでもひときわ鮮烈に輝く芸術祭だと思う。
何よりも決定的な魅力が、清涼感あふれる土地である。山は、越後妻有と違って、なだらかな稜線を描き、海は、瀬戸内とは対照的に、荒々しくも力強い波が打ち寄せる。ちょうど台風18号が通過した直後だったせいかもしれないが、大気が恐ろしいほど澄んでいるのもこの上なく心地がよい。東京から飛行機を使えば1時間だが、北陸新幹線経由では4時間あまり。文字どおり「最果て」というフレーズが似つかわしい土地だが、そこまで足を伸ばす価値は十分にある。
美術作品は、そのような土地の風景と有機的に関係するかたちで展示されている。美しい風景をフレーミングしたり、その土地の記憶を掘り起こしたり、越後妻有や瀬戸内で繰り返されてきた作品の様態とさほど変わらない点は否めない。けれども本展の作品は、その土地の特性を十分に活かすかたちで関係づけられていた。
塩田千春は空間を赤い糸で編み込んだインスタレーションを発表したが、その基底には砂を積んだ砂取舟を設置した。海岸線にはいまも塩田が続いており、砂取舟はそのために実際に使われていたものだという。自らの作風を維持しながら、土地の特性を巧みに取り入れたのである。またトビアス・レーベルガーは廃線の線路上にカラフルでミニマルなインスタレーションをつくった。設えられた双眼鏡を覗くと、はるか先の旧蛸島駅のそばに組み立てられたネオンサインが望めるという仕掛けである。造形として見ればミニマリズム以外の何物でもないが、その土地と有機的に関係するという点では、サイトスペシフィック・アート以外の何物でもない。ミニマリズムの可能性をいま一歩押し広げた傑作である。
ほかにも、サザエの貝殻で外壁を埋めるとともに、内装をサザエのように湾曲させた村岡かずこや、漂着物で再構成した鳥居を海岸に立ち上げることで、ほとんど無意味だった空間にいかがわしい神聖性を付与した深澤孝史など、土地との有機的な関係性を切り結んだ優れた作品は多い。あるいは、地元住民を巻き込みながら巨大UFOを召喚しようとする映像作品を制作したオンゴーイング・コレクティブの小鷹拓郎も見逃せない。越後妻有や瀬戸内、北アルプスなどの先行する芸術祭と比べると、廃線の線路や駅舎、海岸、銭湯、バス停など、作品を制作ないしは設置するうえで、きわめて恵まれた条件がそろっていることは事実である。だが、そのようなアドバンテージを差し引いたとしても、今回の芸術祭はこの土地で作品を見る経験に大きな意味があることを実感できる、非常に優れた芸術祭である。

2017/09/18(月)(福住廉)

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