2017年10月15日号
次回11月1日更新予定

artscapeレビュー

2017年10月01日号のレビュー/プレビュー

奥能登国際芸術祭2017 その2

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会期:2017/09/03~2017/10/22

珠洲市全域[石川県]

そうしたなか、この芸術祭でひときわ異彩を放っていたのは、鴻池朋子である。鴻池が注目したのは、海と陸の境界線である海岸線。山の幸と海の幸、あるいは近海で入り乱れる寒流と暖流など、境界線ないしは境界領域は、今回の芸術祭のキーワードである。その海岸線に沿って走る山道を汗をかきながら十数分歩くと、切り立った断崖絶壁と荒波が打ち寄せる岩礁にそれぞれ立体造形作品が現れる。それらは、人間と動植物が融合したような異形の造形物。全体が白く着色されているせいか、大自然のなかで見ると、さほど大きな違和感があるわけではないが、よくよく見ると人間の脚がはっきりと確認できるので、少し焦る。たとえ車で移動したとしても、身体性を強く意識させられる作品である。
鴻池の作品が優れているのは、それが自然の風景を美しく見せるための装置ではないからだ。美しい自然をより美しく見せるためのフレームに徹したような作品は、この芸術祭に限らず、近年非常に数多い。だが、鑑賞者に険しい登山道を登り下りさせるという過酷な条件を突きつけているように、鴻池は自然を美しく見せることにおそらく関心を寄せていないのだろうし、そもそも自然を美と直結させる見方を拒否しているのではないか。自然のただなかで暮らした経験のある者であれば誰もが知るように、人間にとって自然は美しいこともあるが、同時に厳しくもあり、場合によっては醜悪ですらある。海と陸の境界線上で、人間と動植物が溶け合ったようなオブジェが体現していたのは、そのような二面性ないしは両義性ではなかったか。
自然に恵まれた環境で催される芸術祭は、自然の美しさや地元住民のやさしさを喧伝する場合が多い。それらが限られた文化的資源のなかで対外的なイメージ戦略を打ち立てるうえで、非常に有効な言説であることは事実だとしても、同時に、それらが「つくられたイメージ」であることもまた否定できない。鴻池の作品は芸術祭の内部で芸術祭を批判する、きわめてクリティカルな意味があり、それを内側に含み込めたこの芸術祭はそれだけの深さと奥行きを持ちえているという点で高く評価したい。

2017/09/19(火)(福住廉)

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プレビュー:藤倉翼作品展「NEON-SIGN」

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会期:2017/10/13~2017/10/31

vou[京都府]

都市の歓楽街を彩るネオンサイン。それは20世紀の消費文化を代表するシンボルのひとつだが、近年は新技術の普及やネオン管職人の減少により、その姿を消しつつある。北海道・札幌を拠点に活動する写真家、藤倉翼は、一時代を築いたネオンサインへのオマージュとして、写真を元にした半立体作品を制作した。それはネオンサインを真正面から撮影し、LEDを仕込んだ特注額に額装したもの。LEDはコンピューターのプログラムで不規則に明滅し、リアルなミニチュアのような作品が出来上がる。ネオンサインをモチーフにした作品を聞くと、消費社会を批評したポップアートが思い浮かぶ。しかし藤倉はそうした皮肉っぽい視点ではなく、ネオンサイン=近代の工芸品としてリスペクトを捧げているのだ。作品のなかには道頓堀のグリコなど、関西人にとっても思い入れの深いモチーフもある。実物を見たら衝動買いしてしまうかもしれない(もちろん値段次第だけど)。


©藤倉翼

2017/09/20(水)(小吹隆文)

プレビュー:児玉幸子展覧会「眩惑について─Éblouissant」

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会期:2017/10/06~2017/11/26

清課堂[京都府]

「磁性流体」と呼ばれる液体金属を用いて、まるで生き物のように変形する彫刻作品を制作する児玉幸子。彼女が用いる素材は、酸化鉄のナノ粒子が溶け込んだコロイド溶液。磁性流体は磁力をかけるとトゲのように変形する性質があり、児玉は電磁石の磁力をコンピューターで制御することにより、独自の「磁性流体彫刻」をつくり出すことに成功した。本展では、素材と動きと光による「眩惑」をテーマに、《モルフォタワー》(画像)をはじめとする10作品を展示。未発表作品も含まれるので、既知の人にとっても出かけがいのある個展となるだろう。なお、本展会場の清課堂は老舗の錫屋で、店舗に陳列されている商品や伝統的な京町や建築も見応えがある。また、本展の初日には京都市内の多くの画廊やアートスポットで「ニュイ・ブランシュ京都2017」というイベントが行なわれ、本展もこの日だけは午後10時まで開廊している。夜の京都観光も兼ねて出かけるのもいいだろう。

2017/09/20(水)(小吹隆文)

プレビュー:福岡道雄 つくらない彫刻家

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会期:2017/10/28~2017/12/24

国立国際美術館[大阪府]

大阪を拠点に反芸術的な姿勢で制作を貫いた彫刻家、福岡道雄(1936~)。彼の約60年にわたる活動を98作品で振り返る回顧展が、美術館で初めて開催される。筆者にとって福岡道雄といえば、真っ黒な石の立方体に単語や文をびっしりと彫った作品や、ある一場面を切り取って具象的に表わした情景彫刻が思い浮かぶ。特に前者は「つくらないことでつくる」作品であり、表現すること自体への葛藤や問いかけに満ちていた。本展では1950年代から2000年代までの彼の作品が一堂に並ぶ。筆者が知らない1950年代から80年代の作品が見られるので(もちろん一部の作品は美術館や画廊で見ているが)、自分なりの作家像を見定める千載一遇の機会となるだろう。福岡は関西を代表する美術家のひとりだが、今まで美術館で大規模な個展が行なわれなかったため、一般的な認知度が低い。本展を期にその状況が変わることを期待している。

2017/09/20(水)(小吹隆文)

Q『妖精の問題』

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会期:2017/09/08~2017/09/12

こまばアゴラ劇場[東京都]

舞台には、大人用紙おむつをつないで作った巨大な白い布が壁にかかり床まで広がっている。登場した竹中香子もオムツ姿。本作の見所は、この竹中のほぼ一人芝居で舞台が回っていくところだ。当日パンフにも第一部は「ブス」、第二部は「ゴキブリ」、第三部は「マングルト」とあったように、本作は三部構成。それぞれ上演様式が異なり、第一部は落語、第二部はミュージカル、第三部は健康食品の実演販売の様式があてがわれていた。第一部は、ブスな女二人がブスは生きていても意味がないと会話し続ける落語。「ブスは生きていちゃいけない」「ブスは子孫を残しちゃいけない」みたいな発言が飛び交う。それが、ぼくたちの内心にはびこるコンプレックスを刺激して、ぼくたちをギュッとさせる。先日の『地底妖精』もそうだったが、劇作家 市原佐都子は「見えないもの」を観客に見せようとする。サイトにはこんな言葉もある。「私は見えないものです。見えないことにされてしまうということは、見えないことと同じなのです。」つまり「見えないもの」とは、社会の価値基準によって「見えないことにされてしま」っているもののことだ。演劇もまた自分たちの(支配的立場の)価値基準で多くのものを「見えないことに」し、「見えないもの」にしてきた。「ブス」とは、だから社会また演劇における排除の問題でもある。続く第二部は、ラーメン屋の隣に住むカップルがゴキブリに怯え、ホウ酸団子やバルサンで撃退するさまをミュージカル風の演出で見せてゆく。今ここで観客は、排除する側の視点から世界を見つめることになる。第三部は、女性器で培養した菌でヨーグルトならぬ「マングルト」を作り、食べる健康法を、実演販売の様式で見せてゆく。地産地消に似た「自産自消」と語る「マングルト」は、他者に依存したり、他者と愛し合ったりせずとも、一人で暮らしていける「自立」の象徴だ。それでも、死んだら死体が残る。最後は、「マングルト」の創始者を名のる白髪の女の独り言で終わる。死体はきっと自然に還る。死体になることで、私たちは自然の運動に連なってゆける、そんな呟きだ。観劇後、この劇に物語がないことに気がついた。物語には(ひととひととの)関係があり、関係の展開があるものだ。ここには、それが見えない。この欠落こそが問題である。この問題をあぶり出すQの強い批評性が際立った舞台だった。

関連レビュー

こq『地底妖精』|木村覚:artscapeレビュー

2017/9/12(火)(木村覚)

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