2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

2017年10月15日号のレビュー/プレビュー

黑田菜月「わたしの腕を掴む人」

会期:2017/09/20~2017/09/26

銀座ニコンサロン[東京都]

黑田菜月は1988年、神奈川県生まれ。2001年に中央大学総合政策部を卒業後、写真家としての活動を開始し、2012年に第8回写真「1_WALL」展でグランプリを受賞した。そのころの彼女の写真は、自分の周囲に潜む「けはい」を繊細な感覚でキャッチした、センスのいい日常スナップだったが、まだひ弱さも感じさせた。だが、その後順調にキャリアを伸ばし、確信を持って自分のスタイルを打ち出していくことができるようになってきている。
今回の「わたしの腕を掴む人」は、中国の北京と上海で老人施設を取材した写真群をまとめたものだ。大きく引き伸ばされた老人たちのポートレートが中心だが、室内の情景、庭などの写真もある。認知症を含む老いの進行を注意深く観察し、撮影しているのだが、それをこれ見よがしに露呈していくような姿勢は注意深く回避され、全体的に受容的な眼差しが貫かれている。注目すべきなのは、むしろ写真と写真の間に置かれたテキストだろう。そこに記された内容も、直接的に彼らの状況を指し示すものではない。電車の中で何度も「富士山が見える」と話しかけてくる老女、「船が迎えに来た」と言って息を引き取った老人、日本に来て介護を学んでいる中国人との対話などが、淡々と綴られている。それらの言葉と写真との間合いが絶妙であり、観客を自問自答に誘うようにしっかりと組み上げられていた。
妄想と現実とのあいだを行き来するような構造を、写真とテキストでどのようにつくり上げていくかは、今後も 黑田の大きな課題になっていくのではないだろうか。次作も大いに期待できそうだ。なお、本展は10月19日~10月25日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2017/09/21(木)(飯沢耕太郎)

野口里佳「海底」

会期:2017/09/09~2017/10/07

タカ・イシイギャラリー 東京[東京都]

昨年、12年間在住したベルリンから、沖縄に移って制作活動を再開した野口里佳の新作展である。水中で撮影された「海底」のシリーズを見て、野口が1996年に第5回写真新世紀展でグランプリを受賞した「潜ル人」を思い出した。潜水夫をテーマとするこの作品で、彼女は重力のくびきから離れた「異世界」の光景を出現させたのだが、その初心が今回のシリーズにもずっと継続していることが興味深い。野口にとって、写真とは現実世界のあり方を変換させる装置であり続けてきたということだ。太陽の届かない「海底」をライトで照らしながら作業するダイバーの姿は、あたかも宇宙人のようであり、その変換の振幅は相当大きなものになっていた。
ところが、同じ会場に展示されていた2枚組の「Cucumber」や「Mallorca」では、その変換の幅はかなり小さい。「Cucumber」では「21 August 2017」と「22 August 2017」、つまり1日のあいだに伸びたキュウリの蔓を撮影しており、「Mallorca」では海面の微妙な光の変化を捉えている。それでも、2枚の写真のわずかな違いに、野口が奇跡的な「不思議な力」を見出していることがはっきりと伝わってくる。宇宙大の遥かな距離から、日常の微妙な差異まで、彼女の写真の世界は、マクロコスモスとミクロコスモスのあいだを往還する自由さを手に入れつつある。沖縄での次の成果がとても楽しみだ。

Noguchi Rika“At the Bottom of the Sea #3”, 2017 C-print 90 x 135 cm
© Noguchi Rika

2017/09/21(木)(飯沢耕太郎)

進藤環「仙人のいる島」

会期:2017/09/16~2017/10/14

ギャラリー・アートアンリミテッド[東京都]

進藤環はこれまで自作の写真を切り貼りしてコラージュし、架空の風景を組み上げていく作品を発表してきた。ところが、今回東京・六本木のギャラリー・アートアンリミテッドで開催された新作展では、展示されたほとんどの作品が「ストレート写真」だった。コラージュの手法を用いた2点も、ほとんど操作の跡は見えない。
作品のスタイルが変わったのは、おそらく今回のテーマ設定によるところが大きいのではないだろうか。進藤は3年ほど前に岡山県笠岡市の北木島を訪れ、周囲から「仙人」と呼ばれる不思議な老人に出会う。そのたたずまいに惹かれて、島を再訪して彼のポートレートだけでなく、住居や周囲の風景を撮影した。主題となる被写体が限定的である場合、コラージュによって再構築する必然性はなくなる。実際、今回のシリーズでは、「ストレート写真」が違和感なく目に飛び込んできた。モノクローム中心の緻密な画面構成、丁寧なプリントも、テーマにふさわしいものになっていた。3年前に、九州産業大学芸術学部写真、映像メディア学科の講師として福岡に移り住み、制作の環境が大きく変わったことも、作風の変化に影響しているのではないかと思う。
ただ、このまま全面的に「ストレート写真」に移行する必要もないだろう。次に何を撮影するかで、コラージュの手法が再び復活することがあるかもしれない。よりフレキシブルに、新たな領域にチャレンジしていってほしいものだ。

2017/09/21(木)(飯沢耕太郎)

三好耕三「On the Road Again」

会期:2017/09/05~2017/10/28

PGI[東京都]

展覧会のリーフレットに、三好耕三が「ロード・トリップはメディテーション」と書いている。たしかにアメリカのような、行けども行けども同じような風景が続く道を車で走っていると、次第に頭がボーッとしてきて瞑想的な気分になってくる。しかも、写真家の旅にはこれといった特定の目標はない。いい被写体に出会えればラッキーだが、まったく写真が撮れない日もあるのではないだろうか。そんな「ロード・トリップ」を三好は1970年代から40年以上にわたって続けてきた。むろん楽しみもあるだろうが、やはりどこか「修行」の趣もないわけではない。
それでも長年続けているうちに、三好の撮影旅行のあり方も少しずつ変わりつつある。同じリーフレットに「以前の旅では目的地は副産物だった。近頃は副産物としてではなく、目的を果たすようになって来た」と書いている。今回のPGIでの個展は、以前のようにひたすら「ロード」の写真が並ぶだけでなく、看板、カウボーイハットのショーウインドー、道路脇のカフェの内部なども撮影している。視線の向け方に余裕ができ、画像にもふくらみが感じられる。1999年に刊行された写真集『IN THE ROAD』(Nazraeli Press)の生真面目な写真群と比較すると、その変化がよくわかるだろう。近作は8×10インチの大判カメラでの撮影であるにもかかわらず、どこかスナップショット的な雰囲気すら漂わせているのだ。とはいえ、三好の最近の常用カメラは、8×10よりひと回り大きい16×20インチ判だから、余裕を感じるのは当然かもしれない。
このシリーズはまだ枝分かれしつつ広がっていきそうでもある。「Again and Again and Again. 今日があるのは今日だけだ」。三好の「ロード・トリップ」はさらに続く。

2017/09/22(金)(飯沢耕太郎)

身体0ベース運用法「0 GYM」

会期:2017/09/02~2017/10/15

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]

「身体0ベース運用法」とは、染色作家の安藤隆一郎によって考案された、ものづくりの観点から出発した身体運用法の名称。安藤の染色作品は、細い線描で描かれた有機的で流体的な形態が、柔らかい色彩のグラデーションで染められた繊細な印象を与えるもので、身体トレーニングとの関連性は最初は意外だった。だが、例えば染色のハケを往復させる腕の動きを素振りのように繰り返し、滑らかに動かせるように練習するなど、身体と一体化した技術への関心が以前からあったという。また、安藤は、スポーツに加え、ブラジリアン柔術や合気道を習っており、鍛えられたダンサーのような体格だ。
本展で提示された「身体0ベース運用法」の基本トレーニングは、「物編」「場所編」「リズム編」の3つに分かれる。いずれも、歩く、座る、走るといった誰もが日常的に行なっている身体運動に、「物の運搬」「地面の凹凸」「リズムの意識」といった契機や負荷を与えることで、バランスの不安定さや重心の移動、皮膚感覚の活性化が生まれ、機械が何でも代行してくれる日常生活の中で希薄化した身体への意識を回復させることを狙いとしている。例えば「物編」では、背負子をしょって歩く、長い木の棒を片手に持って走る。「場所編」では、地面を裸足で歩き、複雑な凹凸や柔軟の違いといった情報を足裏の皮膚感覚で掴む。「リズム編」では、田植え歌や機械労働以前の労働歌のように、反復的な作業を効率良く行なうための気持ちの良い「リズム」を探し、リズムの違いによる身体運動の変化を観察する。こうした実践は、安藤自身がさまざまな場所で行なった記録映像とともに、背負子や木の棒の実物、模擬的なトレーニングフィールドも仮設され、観客が実際に体験することもできる。また、展示室の一室はスタジオとして使用され、「パーソナルトレーニング」に参加した美術作家たちが、トレーニングを行ないながら作品の公開制作を行なっている。
身体意識の活性化を通した「身体づくり」を基盤とする安藤のこうした実践は、既存の美術教育現場への優れた批評でもある。特に美術大学の教育では、「コンセプト」の洗練や「素材」「技法」の習得が重視される一方で、素材を実際に扱う身体の運用や意識の仕方については等閑視されがちだからだ。さらに、「身体0ベース運用法」の思想と実践は、あらゆる人間の活動のベースとなる「身体」を基盤に置く点で、美術に限らず、医療や介護、ダンス、運動科学などさまざまな分野と通底する可能性を持っている。

身体0ベース運用法「0 GYM」 Shintai 0 Base Uny h : 0 Gym from Gallery @KCUA on Vimeo.

2017/09/23(土)(高嶋慈)

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2017年10月15日号の
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