2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

2017年11月15日号のレビュー/プレビュー

震災・大事故と文化財を考えるプロジェクト シンポジウム「厄災の記憶 その表象可能性(はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト)」

いわき芸術文化交流館 アリオス 中劇場[福島県]

いわき芸術文化交流館アリオスの中劇場で開催した震災・大事故と文化財を考えるプロジェクト・シンポジウム「厄災の記憶 その表象可能性」に参加した。現代美術、美術史、広島の原爆、第五福竜丸の事故、民俗学、建築学など、各分野の学芸員や研究者ら、12人が円卓で討議している様子を、ぐるぐるまわりながら藤井光が撮影する。厄災の記憶と表象をめぐってさまざまな話題が語られ、あっという間の休憩なしの3時間だった。これは映像作品として編集され、来年パリで発表される予定らしい。

2017/10/05(火)(五十嵐太郎)

新納翔「PEELING CITY─都市を剥ぐ─」

会期:2017/09/26~2017/10/07

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

新納翔の新作写真集『PEELING CITY』(ふげん社)の刊行記念展として開催された本展を見て、あらためて高梨豊の「東京人」を想い起こした。「東京人」は、高梨が『カメラ毎日』(1966年1月号)に36ページにわたって掲載した作品で、東京オリンピック直後の多層的な都市空間の諸相が、写真とテキストによってコラージュ的に構成されている。新納が撮影したのは、東日本大震災の前後の時期からの東京とその周辺だが、目の幅を大きくとり、さまざまな距離感の被写体を等価に捉えていく眼差しのあり方に共通性を感じるのだ。とはいえ1960年代と2010年代では、都市空間そのものの手触りがかなり違ってきている。そのことは当然、新納の写真群に写り込んでいるはずだが、ポートレート(近景)、路上スナップ(中景)、風景(遠景)が入り混じる構成に紛れて、くっきりと浮かび上がってこないもどかしさを覚えていた。ところが、10月6日にふげん社で開催されたギャラリートークにゲストとして参加した中藤毅彦の発言を聞いて納得するものがあった。中藤は新納が一時所属していた東京・四谷のギャラリー・ニエプスの主宰者であり、新納の写真を初期からずっと見続けている。その彼が指摘したのは、新納の撮影した写真の中に「ヘルメットをかぶった人物がよく写っている」ということだった。写真集で数えて見ると、たしかにヘルメットをかぶった人物が写っている写真は全111点中10枚ある。帽子をかぶった人物、傘が写っている写真を加えるとその数はさらにふくらみ、全作品の三分の一ほどになる。これはむろん、無意識レベルでの被写体の選択なのだが、ここまで数が多いとやはり何か特別な理由があるのではないかと思えてくる。それはおそらく、ヘルメットが(帽子や傘もそうだが)、何かから「身を守る」ための装具であるということなのではないだろうか。つまり、現在の東京に潜む「危険さ」が、ヘルメットや帽子や傘に対する鋭敏な反応に結びついているのだ。これはやや穿った見方かもしれない。だが、往々にして感度のいいアンテナを持つ写真家は、知らず知らずのうちに何かを嗅ぎ当ててシャッターを切っていることがある。それを無意識レベルから意識レベルまで引き上げて、さらに大きく変貌しつつある都市空間の「皮を剥ぐ」作業を推し進めていく必要があるだろう。

2017/10/06(金)(飯沢耕太郎)

6th EMON AWARD Exhibition 神林優展

会期:2017/10/03~2017/10/14

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

神林優は1977年、長野県生まれ。2002年に多摩美術大学卒業後、2010~11年のニューヨーク滞在を経て、ユニークな写真作品をコンスタントに発表してきた。多摩美術大学時代に師事した萩原朔美や、その同世代の山崎博など、「コンセプチュアル・フォト」の系譜を受け継ぐ作風だが、厳密な方法論に基づくのではなく、より軽やかに日常の事象に目を向けて作品化していく。ただ、発想は豊かで技術的にも洗練されているものの、フィニッシュワークがやや小さくまとまってしまう印象があった。そのあたりが、今年2月に開催された6回目のEMON AWARDでも、準グランプリにあたる特別賞の受賞に留まった理由といえる。だが今回の「受賞者展」では、作品がより力強さを増してきているように感じた。神林にとってはひとつの転機となる個展になりそうだ。今回展示されたのは、スケートリンクのブレードの跡を撮影した「FIGURE」(1点)、折跡のある折り紙を開いて撮影した「FOLD」(25点)、カッティングシートを被写体にした「CUT」(2点)の3作品である。いずれも「本来的な行為の目的からは解き放たれてはいながらも、わたしたちのある目的のために為された運動によって残された跡」を被写体としている。偶然の積み重ねによって生じたフォルムであるにもかかわらず、そこにはある種の必然性が感じられる。それらの「運動によって残された跡」の静謐な美しさが、あまり押し付けがましくない繊細な手つきで、だが確信を持って捉えられているところに見所があり、とても好ましいイメージ群として成立していた。この方向を突き詰めていくと、さらに大きな可能性が開けてきそうだ。

2017/10/06(金)(飯沢耕太郎)

怖い絵展

会期:2017/10/07~2017/12/17

上野の森美術館[東京都]

中野京子のベストセラー・シリーズ『怖い絵』にあやかった企画展。怖い絵といっても神話や聖書から採られた主題の作品が大半なので、絵そのものが怖いというより、ストーリーが怖かったり、これから起こる出来事を想像すると背筋が寒くなるという作品が多い。例えば今回の目玉作品《レディ・ジェーン・グレイの処刑》を見ると、目隠しされた少女がなにやら手探りしている。左の女性たちが顔を背けたり壁のほうを向いているので、目隠し鬼ごっこでもしてるのかと思ったりもするが(思わないか)、タイトルを見て解説を読み、手前にあるのが断頭台で、右側に斧を持った処刑人が立っているのがわかれば、このあとの恐ろしい出来事が予想できるってわけ。
《チャールズ1世の幸福だった日々》は解説を読まなければぜんぜん怖くない。イングランド王が家来を伴い家族で優雅に船遊びに興じている場面で、怖いどころか幸せそうだ(幸せが怖いという人もいるが)。じつはこのあとチャールズ1世が斬首される運命にあることを知れば、幸福そうな家族の行楽もまた違った見方ができるはず。でもそれは10年以上先の話であって、そんな先の運命まで読み取れないし、絵に表わすこともできない。もしこれを「怖い絵」というなら、19世紀以前に描かれた肖像画のモデルはいまではすべて死んでいるから、どれも「怖い絵」になってしまうだろう。
と、ひとまずケチをつけたところで、でもこの展覧会はなかなか示唆に富んでいる。出品作品の大半は18-19世紀のロマン主義や象徴主義の絵画に占められ、間違っても明るい陽光の下で描いた印象派や20世紀のキュビスムとか抽象画とかは出てこない。だが、例えばモネには死にゆく妻を描いた《死の床のカミーユ・モネ》のような恐ろしい絵があるし、20世紀のシュルレアリスムまで範囲を広げれば「怖い絵」だらけになる。ピカソの《ゲルニカ》なんか虐殺される民衆を描いた恐ろしい絵だが、これを怖いという人はあまりいない。そうなるといったいなにが「怖い」のか、「怖いとはなにか」という根本的な疑問にぶち当たるが、けっこうそんなところにこの展覧会の狙いがあるのかもしれない。ちなみに、フューズリの《夢魔》(ただし小品)、モッサの《彼女》、ローランスの《フォルモススの審判》あたりは絵そのものが十分怖かった。

2017/10/06(金)(村田真)

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杉戸洋 とんぼ と のりしろ

会期:2017/07/25~2017/10/09

東京都美術館[東京都]

「ボストン美術館の至宝展」のついでに寄ってみたら、こっちのほうがはるかにおもしろかった。杉戸洋というとなんとなく頼りなさげな絵を描くいかにもいまどきの画家、というイメージしかなかったが、同展はそんなイメージを覆す、というか、もう絵なんかどうでもいいくらいすばらしい展覧会であった。まず会場入口のガラス扉に淡い色がつけられ、下りのエスカレーターの両脇にもピンクのアクリル板が立てられている。というのはあとで気づくのだが、これがおそらく微妙に気分に影響を与えるのではないかと思われる。順路に沿って見ていくと、三角屋根の家らしきものを描いたキャンバスが壁にポツンポツンと余裕をこいて並んでいる。凡百の画家がこういうシャレた真似をすると、そんな空間を無駄にするほど価値のある作品かと怒り出すところだが、これは明らかに違って空間のほうに価値を見出せるほど巧みな配置になっている。また、絵には額がついてたりついてなかったり、絵の裏にピンクのウレタンみたいなものが挟まってたり、床に何枚も重ねて置いてたり。絵の中身はどうでもいいというか、絵に描かれている内容を見せようというよりも、絵そのもののあり方、展示の仕方、絵のある空間全体を見せようとしているように思える。
下の階では、壁面と床の角に発泡スチロールのブロックを並べて布を被せたり、額縁代わりに段ボール箱に絵を入れてみたり、いろいろと試みている。通路のような展示空間には、さまざまなタイルを貼りつけた全長10メートルを超す壁(裏に三沢厚彦の彫刻が置いてあったりする)を建てている。タイルといえば、都美館を設計した前川國男はタイルの使用が特徴的なので、その前川に敬意を表してか、それともおちょくってかは知らないが、この建築から発想されたものに違いない。階下の吹き抜けの大空間の壁にも絵は飾られてはいるけど、大半は10号以下の小品で、おまけに絵と絵との間隔がずいぶん離れている。大空間にあえて大作を展示することなく小品を見せ、しかもそれがイヤミでなく説得力があってじつに心憎い。ああ見てよかった。

2017/10/06(金)(村田真)

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2017年11月15日号の
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