artscapeレビュー

2017年12月15日号のレビュー/プレビュー

「鏡と穴─彫刻と写真の界面 Vol.5 石原友明」

会期:2017/10/28~2017/12/02

gallery αM[東京都]

光田ゆりのキュレーションによる連続展「鏡と穴─彫刻と写真の界面」も5回目を迎えた。これまではギャラリーの空間全体を使ったインスタレーション的な展示が多かったのだが、今回の石原友明展では、壁面に平面作品が、床には立体作品が整然と並んでいる。だが内容的には、写真と彫刻という異質なメディアの結びつき方がスリリングで、かなり面白い展示が実現していた。
石原は1980年代からセルフポートレート作品を繰り返し発表してきたが、今回もそのテーマを追求している。「透明な幽霊の複合体」(5点)は、自分の髪の毛をスキャニングし、キャンバスに紫外線硬化樹脂インクで拡大プリントした作品で、その質感の、グロテスクなほどの生々しさがただごとではない。一方、立体作品の「I.S.M」(2点)は「3Dプリンターを使った立体セルフポートレート」で、発泡スチロールを貼り重ねて、彼の身体の輪切りを再構築している。もうひとつ、「透明な幽霊の複合体」の制作過程の副産物というべき、皺くちゃにした髪の毛の画像のプリントを、広げてアクリルケースに収めた作品があり、こちらも銀塩写真の印画紙そのものの物質感がうまく活かされていた。
石原はもともと写真と現代美術の融合を推し進めてきた先駆者というべきアーティストのひとりである。その彼がいまなお写真に並々ならぬ関心を寄せ、「断片化されたからだを寄せ集めてひとつの体を作りだそうとする」ことに執着し続けているのがとても興味深い。その探求の作業は、これから先も多様な作品群として結実していくのではないだろうか。

2017/11/08(水)(飯沢耕太郎)

鈴木ノア「道化の森が眠る頃」

会期:2017/11/07~2017/11/19

Roonee 247 photography[東京都]

プラチナ・プリント、サイアノタイプ、ゴム印画法といった、いわゆる「古典技法」に対する関心が高まりつつある。いうまでもなく、その背景にあるのは、デジタル化によって撮影やプリントのプロセスが簡略化されたことに飽き足らなく思っている人が増えているということだろう。さまざまな手法を使って、銀塩写真をクオリティの高い画像に置き換える「古典技法」は、手間はかかるが、出来上がった時の喜びは大きく、しかもデジタル写真では難しい深みや手触り感のある作品を得ることができる。今回の、東京・小伝馬町のギャラリー、Roonee247で個展を開催した鈴木ノアもそのひとりで、彼女が使っているのは、日本では大正~昭和初期に流行したブロムオイル印画法だ。
ブロマイド印画紙の画像をいったん漂白して、レリーフ状になった画面に、絵具を筆で叩きつけるようにして付けていくこの技法は、相当高度なテクニックが必要だが、鈴木はほぼ完璧にその技術を習得している。とすると、次に必要なのは、どうしてもクラッシックな雰囲気になりがちなブロムオイル作品を、なぜいま制作しなければならないかという動機づけをもっと明確にし、「何をどう見せるのか」をさらに絞り込んでいくことだろう。今回展示された17点のなかでは、水面に波紋が広がる場面や、カラスを写しこんだ作品に、不可思議な「道化の森」を立ち上げようとする、独自の視点と切り口が備わっているように感じた。そのあたりをさらに深く探求して、よりスケールの大きな作品世界をつくり上げていってほしい。ブロムオイル印画法では、かなり大きな作品をつくるのも可能なはずなので、サイズをもっと大きくしてみることも考えてよいかもしれない。

2017/11/08(水)(飯沢耕太郎)

死なない命/コンニチハ技術トシテノ美術/野生展:飼いならされない感覚と思考

死なない命(金沢21世紀美術館、2017/07/22~2018/01/08)
コンニチハ技術トシテノ美術(せんだいメディアテーク、2017/11/03~2017/12/24)
野生展:飼いならされない感覚と思考(21_21 DESIGN SIGHT、2017/10/20~2018/02/04)

自然と技術の関係について考えさせられる展覧会がいくつか開催されている。「死なない命」展は、展示物だけでは全体を把握するのが困難だったが、学芸員の高橋洋介氏の案内で見たおかげで理解が深まった。トップのやくしまるえつこは、なんちゃってサイエンス・アートではなく、ガチで音楽を記憶するメディアとしての遺伝子に挑戦している。写真家のエドワード・スタイケンは、植物の品種改良にのめり込み、これをテーマにしてMoMAで展覧会まで開催したという。ほかにもBCLによる遺伝子組み替えのカーネーション、川井昭夫による彫刻としての植物などがあり、攻めた企画である。これで思い出したのが、石上純也によるヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展2008の日本館における温室のプロジェクトにおいて、彼のヴィジョンを本当の意味で完成させるには、現存する植物では不可能で、植物も新しく創造する必要があったことだ。究極のアートである。

ユニークな会場構成となった「コン二チハ技術トシテノ美術」展は、興味深い作家を選び、手の技に基づく生きる術としてのアートを掲げている。例えば、修復の技術を独自に改変させた青野文昭は、極小の作品を新規に増やし、貫禄のある彫刻群のインスタレーションをつくり出す。また井上亜美は狩猟をテーマとし、門馬美喜は「相馬 野馬懸け」をモチーフにした神々しい馬を描く。「死なない命」展のようなハイテクではないが、プリミティブな技術による人と自然、もしくはモノの関係をダイナミックにとらえている。中沢新一がディレクターをつとめる「野生」展も、おなじみの南方熊楠や縄文を紹介しつつ、「飼いならされない感覚と思考」のサブタイトルをもつ(なお、英語タイトルに含まれる「TAME」の語は、あいちトリエンナーレ2019と共通する)。ただし、全体的なデザインがおしゃれ過ぎるのが気になった。これでは商品として消費されるのではないかと。


川井昭夫(死なない命)


青野文昭(コンニチハ技術トシテノ美術)


「野生展」会場風景

2017/11/09(木)(五十嵐太郎)

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内藤廣《富山県美術館》

富山県美術館[富山県]

2017年度のグッドデザイン賞において建築ユニット長を担当し、審査に携わったのだが、受賞展で審査レビューを行なったとき、地方の建築ががんばっていることに気づかされた。今回、ベスト100に入った建築7作品は、陸前高田、福山、太田、奈良、天理、熊本の三角港など、すべて東京以外であり、しかも駅前が多かったからである。これは逆に言うと、東京から面白い建築があまり出ていないことを意味する。トークの4日後に《富山県美術館》を訪れ、改めて地方の時代を痛感した。これは内藤廣の設計だが、道路側のファサードは大きなガラスの開口があり、一見、彼らしくないデザインのように思われる。だが、川や運河環水公園に隣接する場所のポテンシャルを生かしていること、富山の産業に縁が深いアルミニウムや杉材などを活用したテクスチャーのモノ感、土を盛るなどランドスケープ的な外構のデザインなどにやはり内藤の個性が感じられる。

まず最初に先行オープンし、多くの人が訪れたというオノマトペの屋上に登ってみた。ここは無料ゾーンだが、佐藤卓がデザインしたユニークな遊具群は本当に集客力がある。3階に降りると、レストランには行列ができており、ここでランチを食べようというもくろみはかなわなかった。空間の特徴としては、外部から複数のアクセスを設けていること、展示室の周囲を自由に歩けること、視線が貫通し、眺望を得られる廊下の存在などによって、立体的な《金沢21世紀美術館》のようにも思えて興味深い。いずれも高い集客を誇る美術館だが、エレベータ、エスカレータ、階段、そして屋外階段などのルートから屋上庭園に誘う富山の仕掛けはお見事である。なお、常設展示は、アートとデザインをテーマに掲げるように、椅子やポスターの名作コレクションを明るい展示室に配する一方、富山生まれの瀧口修造コレクションを閉じた箱に入れることで、メリハリを効かせている。

2017/11/09(木)(五十嵐太郎)

北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃

会期:2017/10/21~2018/01/28

国立西洋美術館[東京都]

19世紀後半ヨーロッパをブームに巻き込んだ「日本趣味」を検証する展覧会は、88年の「ジャポニスム展」をはじめいくつか開かれてきた。でも考えてみると、ジャポニスムの展覧会というのは難しいものだ。ジャポニスムにも段階があって、最初は日本の美術工芸品を集めて家に飾ったり、それをそのまま絵に描いたりしていた。有名なのはモネが和服姿の夫人を描いた《ラ・ジャポネーズ》や、今回出品されている『北斎漫画』をパクった絵皿などだ。
この段階なら影響関係は見ればわかる。だが次の段階になると、じつはこの段階から本当のジャポニスムが始まるのだが、印象派をはじめとする画家たちが浮世絵などの色や構図を学び、それを自らの表現に採り入れていく。いわば日本美術を内面化していくわけで、パッと見ただけでは影響関係はわかりにくい。「ジャポニスム展」の難しさはここにある。わかりやすくするには影響を受けた西洋の作品と、影響を与えた日本の作品を並べて比較できるようにすることだ。これはテマヒマかかる大変な作業だが、今回の「北斎とジャポニスム」はそれを実現した。しかも日本側は北斎ひとり。つまり北斎ひとりが西洋の近代美術をどれほど感化したかがわかるのだ。
例えばドガの《背中を拭く女》の横に、よく似たポーズの女性を描いた『北斎漫画』を並べ、モネの《陽を浴びるポプラ並木》の横に北斎の《冨嶽三十六景》の1枚を置く。これなら影響関係が一目瞭然。しかし度を超すと首を傾げたり、笑い出したくなるような比較も出てくる。いい例がメアリー・カサットの《青い肘掛け椅子に座る少女》と、『北斎漫画』に描かれた布袋図で、確かにポーズは似ているけれど、可憐な少女とでっぷりした布袋は似ても似つかない。きわめつけはスーラの《尖ったオック岬、グランカン》と北斎の波涛図。これもかたちはそっくりだが、スーラは岩、北斎は波を描いているのだから似て非なるもの。ところが驚いたことに、この対比は以前からよく知られていたらしい。そんな逸話も含めて、キュレーターの情熱が伝わってくる展覧会なのだ。

2017/11/11(土)(村田真)

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2017年12月15日号の
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