2018年04月15日号
次回5月15日更新予定

artscapeレビュー

2017年12月15日号のレビュー/プレビュー

六田知弘「記憶のかけら Shards of Memory」

会期:2017/11/03~2017/12/02

知半庵[静岡県]

静岡県・大仁の知半庵は、江戸後期に建造された菅沼家の住宅を改築したユニークな展示スペースである。国登録の有形文化財に指定されている建物と、その周囲の環境を活かして、2007年から不定期的に「知半アートプロジェクト」の催しが開催されている。その第8回目にあたる今回、初めて写真作品の展示が実現した。
奈良県出身の六田(むだ)知弘は、ロマネスク美術などの撮影で知られる写真家だが、今回は屋内で東日本大震災の被災地で撮影した「モノの記憶」のシリーズを、野外では国内外の石の写真による「イシの記憶」のシリーズを展示している。カラー写真の「モノの記憶」は1.1×1.5メートルに大きく引き伸ばされたボロボロの本の写真をはじめとして、津波によって「非日常」のオブジェと化したさまざまなモノたちが、写真家の視点と呼応するように床に散りばめられていた。一方、「イシの記憶」は、トタン板やアクリル板にプリントされたモノクロームの石の写真が、裏庭の樹木に掛けられたり、地面に置かれたりして展示されている。こちらはむしろ目に馴染んだ「日常」の眺めが、あるべき場所から切り離されることで異化されていた。その「非日常」と「日常」を行き来する体験が、家族の記憶が畳み込まれた知半庵の空間で増幅され、観客に心地よい波動として伝わってきた。
これまで、音楽やパフォーマンスの上演を中心に企画されてきた「知半アートプロジェクト」に、写真という新たな要素が加わったのは、とてもよかったと思う。やや行きにくい場所ではあるが、一見の価値がある。次回の企画も楽しみだ。

2017/11/12(日)(飯沢耕太郎)

鈴木安一郎「原生林から来たきのこたち」

会期:2017/11/01~2017/11/25

さんしんギャラリー 善[静岡県]

きのこに対しては並々ならぬ愛着があるのだが、「きのこの写真」については以前から不満があった。どうしても図鑑的に情報を満遍なく伝えようという傾向が強く、表現としての面白味に欠けるところがあると思えていたのだ。だが、静岡県三島市のさんしんギャラリー 善で開催された鈴木安一郎の個展を見て、「きのこ写真」にも新たな流れができつつあるのではないかと感じた。
静岡県御殿場市在住の鈴木は、平面作品を中心に制作するアーティストだが、きのこ愛好家、研究家としてもよく知られた存在である。近年は、富士山麓の森をテリトリーとして、さまざまなきのこをテーマにした作品を発表し続けている。今回の展覧会には、森のきのこを「普通に」撮影した作品のほか、色のついた紙をバックにきのこたちをクローズアップでカメラにおさめ、大きくプリントしたシリーズと、夜にきのこをライトで照らし出して撮影したシリーズが出品されていた。
そのなかでも、特に「夜のきのこ」のシリーズが素晴らしい。森の深い闇を背景に浮かび上がるホコリタケやドクツルタケやムラサキフウセンタケの姿は幻想的で、不思議な生きものがうごめいているように見える。きのこが本来備えている魔術的な妖しさが、ありありと浮かび上がってきていた。このシリーズは、ぜひ写真集としてもまとめてほしいものだ。きのこはそれ自体があまり大きくないし、光線の状態がよくない場所に生えていることが多いので、写真の被写体としてはけっこう難しい。だが、撮り方、見せ方の工夫次第では、もっといろいろな魅力を引き出すことができそうだ。

2017/11/12(日)(飯沢耕太郎)

木村松本建築設計事務所《house A / shop B》/小松一平《あやめ池の家》/畑友洋《舞多聞の家》

[京都府、奈良県、兵庫県]

日本建築設計学会では、若い世代に希望と勇気を与える賞を目指して、2年に1度、公募によって学会賞を決定する。2016年の第1回は、島田陽が設計した石切の住居が選ばれた。特徴的なのは、東日本と西日本からそれぞれ2名の選考委員が用意され、自分が居住しないエリアの作品の現地審査を行なうことだ。すなわち、筆者の場合は、普段あまり会わない西日本の建築家の作品を見学する。そこで11月12日に関西でまとめて3つの住宅をまわった。木村松本建築設計事務所の《house A / shop B》は、いかにも京都らしい間口3.8m×奥行き14m弱の細長い敷地である。が、さらにそれを身廊と側廊(片側のみ)のように細分化し、5mの天井高の非住宅的なプロポーションの空間を生む。これは木造軸組とラーメン構造の組み合わせから導く形式だという。プログラムは下部の道路側が金物屋、奥がカフェ、上部が住宅であり、京都の現代的な町屋を提案している。

続いて訪れた小松一平の《あやめ池の家》は、奈良・西大寺のオールド・ニュータウンであり、実家の建替えだった。U-30展に彼が出品したときは、傾斜地の擁壁を崩して建築化するアイデアが印象的だったが、現地ではスラブを積層し、フロアごとに斜めの方角を切り替えながら、大胆に開放しつつ眺望を楽しむ空間だ。また住宅地においてまわりの家の視線も巧みにかわす。最後は神戸で、ピカピカの真新しいニュータウンに建つ畑友洋による《舞多聞の家》を見学した。傾斜地に建ち、道路側は窓なしだが、下の森林に向かって全面ガラスの直方体が飛び込む。周囲の建売住宅群が嘘のような自然を享受する家である。室内はあちこちにハンモックなども吊る。前回の設計学会賞の審査で見学した彼の《元斜面の家》が依頼のきっかけだったらしい。いずれも若手建築家による意欲的な住宅作品であり、それぞれの場所性を巧みに読み込み、空間化していることに好感をもった。


木村松本建築設計事務所《house A / shop B》


小松一平《あやめ池の家》


畑友洋《舞多聞の家》

2017/11/12(日)(五十嵐太郎)

『ジャコメッティ 最後の肖像』

会期:2018/01/05

[全国]

試写会場でチラシをもらったとき、「あれ? これドキュメンタリー映画?」と勘違いしてしまったほど、役者(ジェフリー・ラッシュ)がジャコメッティそっくりだった。本人だけではない。アトリエの様子もいかにもジャコメッティらしいし、パリのカフェも半世紀前の雰囲気。どこまで実話に基づいた話か知らないけれど、いかにもありそうなお話ではある。アメリカ人の美術評論家ロードがパリ滞在中、老芸術家ジャコメッティに肖像画のモデルになることを依頼され、アトリエに赴く。すぐできるといわれたが、2、3日すぎても終わらず帰国を延ばし、1週間たっても完成せず再び帰国を延長、結局18日かかってしまった。というより、描いては消し描いては消しを繰り返す芸術家に我慢できなくなったロードが、策を巡らせて打ち切らせたのだ。そのあいだに繰り広げられる奔放な愛人や浮き沈みの激しい妻、アシスタントを務める弟とのエピソードを挿入したストーリーだ。
というと重苦しい映画だと思われかねないが、そんなことはない。むしろコメディと呼べるくらい笑えるのだ。これがほんとのジャコメディ、なんてね。まず笑えるのは、ジャコメッティの性格づけ。頑固で気まぐれで気難しく、酒と女が好きで悩んで絶望するのも好きというのは事実かもしれないが、いかにもありがちなアナクロ芸術家像だ。彼は制作中しばしばユビュ王のように「クソッタレ!」を連発しながら筆を投げ出し、頭を抱えるのだが、けっして深刻ぶることなく、むしろステレオタイプの芸術家を揶揄するかのようにユーモラスに描かれる。ほんのちょっとだが、イサクも出てくる。アイザックではなく、遺作でもなく、矢内原伊作。なんと奥さんと浮気しているのだ。しかも旦那公認で。いろいろな意味で楽しめる映画。

2017/11/15(水)(村田真)

橋口譲二写真展 Individual─日本と日本人

会期:2017/11/06~2017/12/20

写大ギャラリー[東京都]

橋口譲二は1987年から、のちに「日本人シリーズ」と呼ばれるようになる写真を撮影し始めた。全国各地の17歳の男女を撮影した『十七歳の地図』(文藝春秋、1988)を皮切りに、『Father』(同、1990)、『Couple』(同、1992)、『職 1991-1995 Work』(メディアファクトリー、1996)、『夢』(同、1997)と、次々に写真集として刊行されたこのシリーズは、橋口の代表作というだけでなく1980~90年代のドキュメンタリー写真の方向性を指し示す記念碑的な大作となった。
今回の写大ギャラリーでの展覧会は、5部作が一堂に会した初めての展示の試みだという。それらを通観すると、橋口がこのシリーズを通じて何を目指していたのかが、あらためてくっきりと浮かび上がってくる。まず目につくのは、テーマ設定の鮮やかさと、それを実際に形にしていくプロセスの細やかさである。例えば、パートナーとして人生を歩んでいるカップルを撮影した『Couple』の場合、結婚はしていないということが前提となっている。さらに男女のカップルだけではなく、ゲイのカップルも被写体として登場してくる。『職 1991-1995 Work』では、その職業について間もない新人と、何十年もその仕事を続けてきたベテランとが対比される。さらに、撮影する場所を注意深く選択しているだけでなく、同時に行なわれるインタビューでの質問も練り上げられている。今回の展示では、「今日の朝食」というすべての作品に共通する質問の答えしか読むことができなかったのだが、その内容も毎回微妙に変えている。
そのような細やかな配慮によって浮かび上がってくるのは、いうまでもなくこの時期の「日本と日本人」の、リアルな手触り感を備えた実像である。6×7センチ判、あるいは4×5インチ判のモノクローム写真は、ややノスタルジックなほどに「あの頃」の空気感を呼び起こす。そのことをきちんと確認できてよかった。むろん、いま「日本人シリーズ」を再構築しようとするなら、まったく別の方法論が模索されるべきだろう。それでも、この橋口の労作は、まさに「個」としての日本人のあり方を探求する営みの、原点に位置づけられるべき作品といえる。

2017/11/16(木)(飯沢耕太郎)

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2017年12月15日号の
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