2018年04月15日号
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artscapeレビュー

2018年01月15日号のレビュー/プレビュー

アーティスト・プロジェクト#2.02 北野謙:光を集める

会期:2017/10/07~2017/12/10

埼玉県立近代美術館[埼玉県]

「アーティスト・プロジェクト#2.02」は「収蔵作家という制約にとらわれず、活躍中のアーティストを選出」し、埼玉県立近代美術館1階のスペースに作品を展示するプログラムである。その第2回目にあたる今回は、北野謙が新作を含む16点を出品していた。
「光を集めるプロジェクト」(6点)は埼玉県立近代美術館の屋上を含む各地にカメラを設置し、半年間露光して得られた画像をスキャン、調整してプリントしたシリーズである。画面には季節の変化によって少しずつ移動していく太陽の軌跡が、都市空間を貫くように斜めに写り込んでいる。曇りや雨の日には光の軌跡が途切れ、時にはゆらめくようなフレアーが出現する。長時間露光によって、太陽と都市とが織り成すダイナミックな眺めがあらわれてくるのだが、それがどのように形をとるかは、やってみなければわからない。
もうひとつの新作の「未来の他者」(5点)も意欲的なシリーズである。誕生してから4日のあいだに撮影された新生児の、複数のイメージを多重露光すると、手足をゆるやかに動かす画像が重なり合って、思いがけない形が見えてくる。北野のこれまでの多重露光作品は、複数の他者の像を合成したものだったが、ここでは単独の個体の姿が定着されている。ほかにこの2つの新作を繋ぐように、実質的なデビュー作である都市風景の長時間露光のシリーズ「溶游する都市/Flow and Fusion」(5点)が展示されていた。
本人は否定的なようだが、これらの写真群には山崎博との共通性があるのではないかと思う。特に「光を集めるプロジェクト」は、太陽の軌跡の定着というコンセプトが、山崎の「HELIOGRAPHY」と同じなので、余計にそんなふうに感じた。いかに厳密に作業を進めていったとしても、どこか予想不可能な揺らぎが入り込んでしまう、そんな「計画と偶然」のダイナミズムは、山崎から北野へと受け継がれ、さらに大きく開花しようとしているのではないだろうか。なお、東京・恵比寿のギャラリーMEMでも、同時期に北野の個展「光を集めるプロジェクト」(11月25日~12月24日)が開催された。

2017/12/01(飯沢耕太郎)

小林透写真展「前夜」

会期:2017/11/03~2017/12/03

PORT[大阪府]

まだ少年の面影を宿す若い男性が、こちらを凝視している。虚空を見つめるような視線。おどけるように口を引っ張る、硬直した5本の指。モノクロの画面に閉じ込められた、聴こえない叫び。何かから耳を塞ぐように、顔の横で張りつめた指の緊張感。おびただしいカットの集積が、異常なまでの熱量と感情の強度を増幅する。そして全裸を晒した彼は、浴槽の中で飛沫を撒き散らし、あるいは畳やベッドの上に身を横たえ、自ら快楽に身を委ねていく……。

小林透は一貫して「弟」を撮り続けてきた写真家である。展示に添えられた文章を読むと、自閉症で重度の知的障害を持つ弟を被写体とし、「作品」として発表することに対して、「撮る/撮られる」「健常者/障害者」といった「非対称性」「暴力性」、「現実の弟」/「写真の中の弟」のギャップについて葛藤を抱えながらも誠実に向き合おうとしていることが分かる。

小林はまた、「自閉症である弟は他人と視線を合わせようとしないが、ファインダーを覗いて声をかけると弟はこちらを向き、カメラを介すことで弟と視線を交わすことができる」とも記す。それはカメラという媒介を通して初めて成立するコミュニケーションであると同時に、「見つめ合っているのに触れられない」という「距離」の出現がエロティシズムを密かに駆動させる。そこでは、「彼の上げる奇声や体を揺らすリズムに合わせ、その律動を捕捉しようとシャッターを切る」写真家は、一方的に視線を行使する特権的で暴力的な存在ではない。むしろ、その瞬間を捕捉することに奉仕し、支配されているのは写真家の方であるかもしれない。あるいは、「写真の中で生命力に溢れて見える弟の姿は、現実に目の前にいる生身の弟を見えなくさせてしまうが、同時に新しい弟の姿を見出すことができた」とも綴る小林は、「撮る者」であると同時に「写真の弟を見る者」でもあり、一方的な眼差しの行使者としての写真家は、視線の交差を成就させるカメラの介在によって、逆に「写真の中の弟から見つめ返される者」へと反転される。その時、あまりにも無防備で開かれた弟の身体は、その徹底した受動性ゆえに見つめ返される者を脅かす。主導権は絶えず曖昧に入れ替わり、引力と斥力が拮抗する。また別のシークエンスでは、届かなさや捉え難さを一気に直に埋めようとするかのように、小林と弟がともに全裸で抱き合い、肌を触れ合わせる。それは、子を慈しむ母親のようにも、激しく抱擁する恋人同士のようにも見える。

展示方法もまた、一見無軌道に見えて、感情的な発露を増幅するように計算されている。何十枚ものプリントを直接ピンナップした一角では、壁面を覆い尽くす過剰な物量感が、エネルギーを自己増殖させていく。一方、「写真」に対する両義的な感情がせめぎ合う手つき―カッターで切り刻む/傷を修復するようにテープで貼り直す、思い出したくないものを放擲するように押し入れの暗がりに無造作に放り込む/宝物のように引き出しの中に大切に忍ばせる、といった相反する操作も見られる。ここでは、家族だからこそ抱いてしまう「愛憎」が、制御不可能な写真の扱い方となって噴出している。あるいは、それらが「弟の真実の姿」などではなく、「紙に焼き付けられたイメージ」にすぎないことを自らに突きつけるように、たわめて歪ませ、引き裂き、物質性が露にされている。

小林の写真にあるのは、コードの重なり合いあるいは撹乱だ。「家族写真」と言うには親密さよりも不穏さを湛えており、「障害者(の性)」という社会的にはタブーとして隠蔽される主題を内包し(例えば高嶺格の《木村さん》が同様のテーマを扱っている)、「メール・ヌード」としてゲイ写真のセクシャルな欲望をも仄めかす。しかし同時に、そのどこにも定位を拒もうとする力に引き裂かれている。それは、「弟と私」という極私的で先天的に決定済みの関係に身を置きながら、肉親であり、言語的な意思疎通が困難な存在であり、生(性)の喜悦に溢れた目の前の肉体を、「弟」「障害者」「同性」といったカテゴライズの下で眼差すことから脱するための、際限なく続く迂回の試みである。

2017/12/03(日)(高嶋慈)

村越としや「沈黙の中身はすべて言葉だった」/「月に口笛」

会期:2017/11/25~2017/12/22

CASE TOKYO/tokyoarts gallery[東京都]

村越としやがCase Publishingから写真集を2冊刊行し、それに合わせて展覧会を開催した。『沈黙の中身はすべて言葉だった』は、2011~15年にかけて福島県各地を撮影したパノラマサイズの写真群を集成している。故郷の須賀川市の周辺も大きな被害を受けた2011年の東日本大震災以降、村越の写真の質が変わったことは間違いない。画面全体を把握していく構築力が強まり、緊張感を孕んだ風景を定着することができるようになった。それにつれて、写真のフォーマットも流動的に選択するようになり、6×6判、6×7判、パノラマサイズなどを自在に使いこなしている。展覧会の会場のCASE TOKYOには、プリントのほか印刷に使用した刷版なども同時に展示され、写真集ができ上がっていくプロセスを追体験できるように構成されていた。
一方『月に口笛』は、まだ写真を始めたばかりの頃の2000年代初頭のネガをもう一度見直し、新たにセレクトして再プリントした作品集である。風景の細部に眼を凝らし、湿り気のある空気感を丁寧に写しとっていく作風が、すでにでき上がりかけていたことがわかる。こちらはtokyoarts galleryの空間に、オーソドックスにフレームに入れた写真が並んでいた。どちらも、きちんと組み上げられたいい展示だし、田中義久がデザインした写真集の出来映えも悪くない。ただ、どことなくピクトリアリズム風の、閉じられた世界に引き込まれつつあるのではないかという危惧感も覚える。両写真集のタイトルが示すように、村越は言葉をしっかりと使いこなす才能にも恵まれている。小さくまとまらず、多方向に大きく開いていくような作品に向かうべきではないだろうか。

2017/12/05(飯沢耕太郎)

石内都「肌理(きめ)と写真」

会期:2017/12/09~2018/03/04

横浜美術館[神奈川県]

2017年はよく練り上げられたいい写真展が数多く開催されたが、1977年のデビュー展「絶唱、横須賀ストーリー」から40周年という区切りで企画された石内都の「肌理と写真」は、まさにその締めくくりにふさわしい内容の展覧会だった。
展示は、石内が暗室を構えていた横浜を舞台とした作品を集成した「横浜」、出生地の群馬県桐生市の特産物であり横浜とも輸出品としてかかわりの深い絹織物をテーマとした「絹」、女性の身体に残る傷を撮影した「Innocence」と『苦海浄土』の作者である作家の石牟礼道子の手、足を接写した「不知火の指」からなる「無垢」、いまやライフワークとなった「ひろしま」と「Mother’ s」、「フリーダ」の3作品をまとめた「遺されたもの」の4つのパートで構成されている。全240点近いそれらの作品のほかに、写真展示室では横浜美術館が所蔵している「絶唱、横須賀ストーリー」の55点のヴィンテージ・プリントも見ることができた。部屋の壁を塗り分け、壁一面に大小の写真を展示するインスタレーションも見事な出来栄えで、このところの石内の写真作家としての充実ぶりがよくあらわれていた。
実際に写真を見ていくと、石内自身が選んだというタイトルの「肌理」という言葉が、彼女の作品世界を貫くキーワードであることがよくわかる。石内は多摩美術大学在学中に染織を学び、写真家として活動し始めてからも銀塩写真の印画紙の粒子の表現にこだわり続けてきた。対象物を視覚的ではなく触覚的に捉えるやり方は、彼女のなかにしっかりとプログラミングされていて、「肌理」を指で触り、目で追う愉しさこそ、写真家としての活動の原動力となっているということだ。この展覧会を置き土産として、石内は来年、住み慣れた横浜を離れて桐生市に移住するという。そのことで、彼女の写真がどんなふうに変わっていくのか、大きく期待が膨らむ展示だった。

2017/12/08(飯沢耕太郎)

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都市活性装置としてのシティハブ重松象平氏公開レクチャ

せんだいメディアテーク 7F スタジオシアター[宮城県]

仙台で実際に市庁舎の建替えプロジェクトが動いていることから、今年の東北大の修士課程ではこれを設計課題に取り上げている。いつもとは格段にスケールが違う巨大な規模の施設であるため、前期はプレデザイン、後期は具体的なデザインというふうに分け、通年のプログラムとしたが、それでも学生たちはかなり苦労していた。そして後期は11月の中間講評に日建設計の勝矢武之氏、12月の最終講評にOMAニューヨーク代表の重松象平氏をゲストクリティックに招いた。講評の後は、せんだいメディアテークで重松氏の公開レクチャーも行なわれた。まず現在のOMAの組織がどうなっているか。OMAニューヨークはいわゆる支部というよりも、世界各地のそれぞれの事務所が、ロッテルダムのコールハースと対等の関係をもち、個別に自主的な活動をしているという。こうした組織のあり方は、かつてのMVRDVやBIGなどのように、優秀なOMAの子どもたちが独立してライバルにならないよう、引き留めておく側面もあるようだ。

重松のレクチャーは、決して早口のマシンガントークではないのに、高密度な内容だった。おそらく無駄がない効率的かつユーモアのあるプレゼンテーションだからだろう。そしてワシントンDCのXブリッジのプロジェクト、メトロポリタンミュージアムの展示デザイン、マイアミのアートフェア、facebookの社屋、ケベック国立美術館の新館、虎ノ門ヒルズ ステーションタワー、福岡の天神ビジネスセンターなど、社会を観察しつつ、いまという時代を意識したOMAニューヨークのエッジが鋭いデザインが示された。学生の保守的な課題案よりも、ラディカルなリアル・プロジェクトの数々は、確かにOMAの遺伝子を継承している。そして従来は建築分野とされないことにも切り込み、新しい領野を意欲的に開拓していた。特にハーバード大学の大学院スタジオでは、食をテーマにしたリサーチを行なっており、今後の展開が興味深い。なお、質疑応答では、自らが帰国子女枠を使いながら、日本で大型のプロジェクトを進めていることのほか、現在の日本の状況に腐らず、建築の可能性を探究すべきであることが語られた。

2017/12/08(金)(五十嵐太郎)

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