artscapeレビュー

2018年02月15日号のレビュー/プレビュー

《山田幸司の家》

愛知に出かけ、《山田幸司の家》のオープンハウスへ。建築系ラジオで活躍した山田幸司が事故で亡くなったあと、妻の強い意志によって、生前の自邸計画を実現したものだ。数年前、彼女は自邸をつくれば、山田の作品はまだ増えると語っていたが、本当にそれを成し遂げたのである。その後、山田事務所の元所員に相談し、大学の先輩にあたる鵜飼昭年に設計を依頼することになった。ただし、当初、計画されていたのは、二世帯+親戚の大家族が暮らす住宅である。同じサイズにこだわると、プログラムがあわないだけではなく、敷地やコスト面においても大変だ。資金に余裕があるわけでもない。鵜飼は途中で木造案も考えるほど、コストをいかに抑えるかで苦労したという。そこで規模を大幅に縮減し、ほぼ彼女がひとりで暮らす小さな家になった(融資や設計の過程で時間がかかり、2人の子供が大学に入ったり、仕事をするようになって、それぞれ家を離れたからだ)。

住宅は矩形のシンプルな外観だが、特に内部は山田テイストを散りばめたスキップ・フロアの構成である。すなわち、ポストモダンの時代におけるハイテク風だ。コンパクトながら、随所に山田建築を想起させる色彩やディテールが散りばめられている。鵜飼は、山田が設計した住宅、代表作の《笹田学園》、残された資料などを研究し、山田ならどうデザインするかを考えなら設計した。したがって、建築家が自分の作風でやればよいわけではなく、あくまでも山田らしさを意識した住宅である。ゆえに、家という存在の不思議さを考えさせられる建築だ。妻にとってはただ日常を過ごす生活空間ではない。いつでも山田を感じることができる空間に暮らす、特殊な場所である(実際、山田がつくった模型やドローイングも飾られていた)。そしてオープンハウスでは、彼をよく知る仲間たちが名古屋や東京から集まって、皆で彼の思い出を語っていた。彼の記憶をつなぎ止める建築である。

2018/01/08(月)(五十嵐太郎)

上田義彦「林檎の木」

会期:2017/12/02~2018/01/13

小山登美男ギャラリー[東京都]

上田義彦は2013年11月に写真コンペの審査のために群馬県川場村を訪れた。そのとき、たまたま車中から見た林檎の木に強く惹かれ、あらためて同じ季節に再訪して撮影したのが、今回発表された「林檎の木」のシリーズである。

上田はむろん、たわわに実る赤い林檎の生命力の充溢に魅せられてシャッターを切っているのだが、作品化する時にひとつの操作を加えている。それは、8×10インチ(約200×250ミリ)サイズの大判カメラで撮影した画像を、68×87ミリに縮小してプリントしているということだ。普通、大判カメラの画像は、逆に大きく引き伸ばして展示することが多い。大判カメラは、大伸ばしに耐える緻密な描写力を得るために使われることが多いからだ。そう考えると、上田の今回の試みはかなり大胆な実験といえる。それは結果的には成功したのではないだろうか。4分の1ほどの大きさに「縮んだ」画像は、近くに寄って眼を凝らさないとよく見えない。上田の言う「親密な距離」が確保されることで、より注意深い観察が要求され、画像のボケや色味の微妙な変化に細やかに配慮したプリントワークのプロセスもしっかりと伝わってきた。

上田は今回の作品に見られるように、自らの身体的、心理的な体験を、写真という媒体でどのように伝達するかということについて、つねに意識し、実践し続けてきた写真家である。そのやや過剰な表現意識は、ときに空転することもあるのだが、今回はテーマと手法とがとてもうまく結びついて、地に足がついた表現として開花していた。

2018/01/09(火)(飯沢耕太郎)

民俗写真の巨匠 芳賀日出男 伝えるべきもの、守るべきもの

会期:2018/01/04~2018/03/31

フジフイルムスクエア 写真歴史博物館[東京都]

1921年生まれの芳賀日出男は現役最長老の写真家のひとりである。ここ数年、足が弱って車椅子が必要になったが、創作意欲にまったく衰えは見られない。1950年代以来、民俗写真一筋で歩み続けてきたその芳賀の代表作が、フジフイルムスクエア 写真歴史博物館で展示された。

「祭礼」、「人生儀礼」、「稲作」の三部構成、29点の作品を見ると、芳賀の眼差しのあり方がくっきりと見えてくる。その基本となっているのは、あくまでも民俗学の資料としての写真記録に徹する姿勢で、これ見よがしの主観的な解釈や、祭礼の場を乱すような行為は注意深く遠ざけられている。その結果として、芳賀の写真には祭事や儀礼の細部が、それに参加する人々の表情や身振りも含めてきちんと写り込んでおり、資料的な価値がきわめて高い。だが、それが無味乾燥な記録であるのかといえばけっしてそうではなく、そこにはその場所に身を置いているという彼自身の感動がいきいきと脈打っており、その波動がしっかりと伝わってくる。冷静な記録者としての姿勢と、祭りそのものに没入することの歓びとが共存しているのが、芳賀の民俗写真の最大の魅力といえるだろう。

それにしても、ここに写っている祭事や儀礼は、いまやほとんど行なわれなくなっているか、形骸化してしまったのではないだろうか。日本人の暮らしが根本的に変わったといえばそれまでだが、もしかすると、どこかに別なかたちで再生している可能性もある。つまり芳賀の後継者が必要なわけで、民俗写真のジャンルにも新風を吹き込んでいく必要がありそうだ。

2018/01/09(金)(飯沢耕太郎)

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吉村朗遺作展 THE ROUTE 釜山・1993

会期:2018/01/12~2018/01/28

ギャラリーヨクト[東京都]

写真集『Akira Yoshimura Works──吉村朗写真集』(大隅書店、2014)の刊行を契機に、2012年に逝去した吉村朗の仕事の見直しが始まっている。そのなかで、写真展「分水嶺」(1995)以後の、韓国、中国などで撮影された、自らの家族史を、戦前・戦中の日本の侵略の歴史と重ね合わせようとした一連の写真群にあらためてスポットが当たってきた。だがそれ以前の、都市の光景にカメラを向けたカラー・スナップ作品については、その大部分が破棄されていることもあって手つかずのままだった。今回の「遺作展」に出品された36点は、アメリカの「ニュー・カラー」や牛腸茂雄の『見慣れた街の中で』(1981)に触発された初期のスナップショットと、「分水嶺」以降の作品のちょうど中間に位置するものといえる。

自室にまとまって保存されていたというやや色褪せたプリント見ると、吉村が韓国・釜山の路上を彷徨いながら、手探りで新たな方向性を見出そうともがいている様子が伝わってくる(一部中国で撮影された写真を含む)。写真の大部分は、ややローアングルのノーファインダーで撮影されており、画面が傾いているものも多い。その不安定な画像から色濃く滲み出してくるのは、違和感や不安感のようなややネガティブな感情だ。吉村はこの時点で、偶発的なスナップショットを続けていくだけでは、彼が構想しつつあったより政治性、社会性の強いテーマを定着するのは難しいと思い始めていたのではないだろうか。今後、さらに初期作品が出てくる可能性もある。『Akira Yoshimura Works』の拡大版の刊行も、そろそろ視野に入れてもいいかもしれない。

2018/01/12(金)(飯沢耕太郎)

カオス*ラウンジ新芸術祭2017市劇場「百五〇年の孤独」

会期:2017/12/28~2018/01/28

zittiほか、泉駅周辺の複数会場[福島県]

福島のワークショップにあわせて、カオス*ラウンジによる新芸術祭に足を運んだ。が、行政の芸術祭とは違い、幟やポスターはなく、本当にここで開催しているのかと不安に思いながら、泉駅からそう遠くない住宅地にあるサブカルの古物(?)店に多くの作品がまぎれた第一会場へ。まず店内で珈琲をいただき、第一の手紙と地図を受け取る。それに従い、駅周辺をぐるぐる歩く(第二、第三の手紙もあり、次の目的地が示される)。それはこのエリアの近代における廃仏毀釈と黒瀬陽平らのリサーチをたどるツアーにもなっている。移転や区画整理された人工的な墓地などを鑑賞し、これから新しい寺を創設するという第二会場へ。力作である。建築の分野ではユニークな造形による現代寺院の試みはさまざまあるが、壁や襖などを使い、室内においてアートの側から新しい仏教美術が高い密度で展開されており興味深い。昨年、黒瀬が「地獄絵ワンダーランド」展(三井記念美術館)に高い評価をしていた背景も理解できる。

もう一度駅の反対側に渡り、坂を登っていく、最後の第三会場への道は正直ちょっときついが、日が暮れた暗闇のなか、ようやく到着した。ブラックライトに照らされた壊れたディスプレイ群が美しい。そしてアルミニウムで鋳造された鐘をついて帰路へ(この音が結構遠くからも聞こえる)。第二、第三会場の作品は、日中に鑑賞するよりも、周囲が暗いほうが迫力を増すように思われた。おそらく税金を使う通常の芸術祭だと、特定の宗教にフォーカスをあてるのは難しいだろう。自前の新芸術祭だから可能な内容だった。これは廃仏毀釈のあとにたどった歴史と、3.11からの復興の失敗を重ね合わせてもいるのだが、泉駅周辺を歩きながら思ったのは、このエリアが近代以前からの歴史をもった街にはまったく見えないこと(戦後に開発されたと言われても納得してしまいそうだ)。そういう意味では、ここも日本中のどこにでも起きている「見えない震災」が着実に進行していた場所なのだ。

第一会場

移転した墓石

第二会場

第三会場

2018/01/13(土)(五十嵐太郎)

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