artscapeレビュー

2018年05月15日号のレビュー/プレビュー

佐内正史『銀河』

発行所:自費出版(「対照」レーベル)

発行日:2018/03/21

佐内正史が2008年に立ち上げた自主レーベル「対照」の写真集は、このところずっと刊行が止まっていた。どうなっているのだろうかと気になっていたのだが、なんと6年ぶりに新作が出た。『銀河』は「対照」の14冊目にあたるのだという。

内容はまさに6年間の集大成というべき趣で、判型はそれほど大きくはないが、見開き裁ち落としのレイアウトのページに、写真がぎっしりと詰まっている。特にコンセプトはなく、思いつきと思い込みを形にしていくいつも通りのスタイルで、ページをめくっていく速度と、写真の世界が切り替わっていくタイミングがシンクロするととても気持ちがいい。ミュージシャンや女優を撮影した仕事の写真と、PCのゲーム画面をそのまま撮影した画像などが見境なく入り混じっているのも、いかにも佐内らしい。以前に比べてのびやかさ、屈託のなさが増しているように感じるが、これはやや物足りなさにもつながる。『生きている』(1997)、『MAP』(2002)、『鉄火』(2004)の頃の彼は、集中力と緊張感を感じさせる写真と、緩やかに拡散していくような写真とのバランスをぎりぎりのところで保っていた。見つめる力の強い凝視型の写真を、もう少し多く入れてもよかったのではないだろうか。

デザイン・造本は『生きている』以来のタッグ・パートナーの町口覚。「ユーズドデニムのように何回もページを開いて見るほどに味わいが出てくる写真集」という狙いが巧くはまっている。

2018/04/01(日)(飯沢耕太郎)

瀬戸正人「Silent Mode 2018」

会期:2018/04/02~2018/04/08

Place M ミニギャラリー[東京都]

2月5日~11日に、Place Mのメインギャラリーとミニギャラリーの両方を使って開催された瀬戸正人の「Silent Mode 2018」展を見逃してしまっていた。だが、今回ミニギャラリーで開催されたダイジェスト展を見ることができたので、この新シリーズについて書いておきたい。

第21回木村伊兵衛写真賞受賞につながった前作の「Silent Mode」(1996)は、電車の車内の乗客を、コンパクトカメラのシャッター音を消した「サイレントモード」で、至近距離で撮影したポートレートのシリーズだった。今回の「2018」ヴァージョンは、クローズアップの正面向きのポートレートというスタイルは踏襲しながら、野外で10分ほどの長時間露光で撮影している。当然、モデルたちは「撮られている」ことを意識しているわけで、無意識の表情や身振りを引き出そうとした前作とはまったくアプローチの方向性が異なる。長時間露光によって、表情は曖昧なまま凍りつき、髪の毛は風に揺らいでブレている。そのような偶発性を組み込みつつ、よりエモーショナルな要素を強めて、人間の存在の不安定さを定着しようとした、意欲的なポートレートのシリーズと言えるだろう。

むろんまだ途中経過であり、数が増えていくとともに、シリーズ全体がどんなふうに見えてくるかは不確定だ。また、なぜ女性のみを被写体にしているのか、モノクロームでよかったのかどうかもまだわからない。だが、旧作をあらためて見直し、再構築するという営みは、瀬戸のような長いキャリアを持つ写真家にとっても、重要な意味を持つのではないかと思う。展覧会や写真集として形をとってくるのが楽しみだ。

2018/04/02(月)(飯沢耕太郎)

吉田謙吉「満洲風俗・1934年」

会期:2018/04/03~2018/05/06

JCIIフォトサロン[東京都]

今和次郎とともに「考現学」の創始者として知られる舞台美術家の吉田謙吉は、1934年8月に雑誌『経済知識』の特派員として満洲各地を旅した。大連、奉天、新京、哈爾濱、撫順と回るあいだに、吉田は目にしたものを、愛用のライカⅡ型で逐一撮影している。その一部は帰国後、「満洲国視察画報」(『経済知識』1934年10月号)という記事に掲載されるが、吉田はそれとは別に、都市ごとに密着焼き(コンタクト・プリント)を貼り込んだ写真帖を製作していた。今回のJCIIフォトサロンでの展覧会では、遺族の元に残されていた写真帖のページを切り離してスキャンし、少し大きめにプリントして展示していた。

それらを追っていくと、1920年代半ばに登場したドイツのエルンスト・ライツ社製のライカが、いかに革新的な小型カメラだったのかが見えてくる。吉田が街を歩き、何かに目を留めてシャッターを切る──その動作や呼吸がそこにいきいきと、あたかも一緒に体験しているような生々しさで伝わってくるのだ。むろん、「考現学」の調査で鍛え上げた観察力が大きく働いていることは間違いないが、それ以上に路上のスナップ撮影にのめり込んでいく彼の心の弾みが、写真の一枚一枚に宿っているようだ。

もうひとつ、このような展覧会を見ると、デジタル化がもたらした、精度の高い複写・再現の技術の可能性を強く感じる。ライカ判(24×36ミリ)の小さいコンタクト・プリントをさらに引き伸ばすと、満洲の街角の情景の細部がありありと浮かび上がってくるのだ。古写真や古い雑誌などの画像から、精細な情報を引き出してくるスキャニングや複写の技術の進化によって、新たな写真展示の形式が生まれつつあるのではないだろうか。

2018/04/04(水)(飯沢耕太郎)

インベカヲリ★「理想の猫じゃない」

会期:2018/04/04~2018/04/10

銀座ニコンサロン[東京都]

インベカヲリ★の今回の個展は、ここ数年神保町画廊ほかで開催された展覧会の出品作の集大成である。そこに展示された30点余りの作品を見て感じたのは、彼女の写真の世界が、まさに真似しようのない独擅場になってきているということだ。

黒いスーツにタイトスカートのOL風の女性が、路上でラーメンのどんぶりを抱えていたり、日本髪の女性がフルヌードで雑多なものが溢れる室内に立っていたり、赤いドレスの女性が、水を張った風呂に半ば体を沈めてクリームソーダを啜っていたりするシチュエーションは、普通にはまずありえないものだ。そんな場面を撮影すれば、大抵はシュルレアリスム的な異化効果が生じるだろう。ところが、インベの写真を見ていると、それらがまったくリアルな、「ありそうな」状況に思えてくる。なぜそうなるのかといえば、彼女がモデルたちと話しながら決めていくという場面設定が、ほぼ完璧だからに違いない。むろん最終的にシャッターを切るのはインベ自身だから、彼女のこう撮りたいという確信が、ただならぬ精度に達しているということでもある。ここ数年、彼女の占い師的な察知能力には、さらに磨きがかかってきているようだ。

結果的に「あなたはなぜあなたになったの」という問いかけの答えとして設定された場面は、不気味なほどリアルに、その人が持つ「独特な言葉や価値観」の表現として成立することになった。彼女の写真を見ていて、だんだん怖くなってくるのは、ここまで「私」が剥き出しになってしまうと、それ以上さらけ出すと危険な領域にまで達してしまうではないかということだ。とはいえ怖いもの見たさで、その先も見て見たい気もしてくる。残念だったのは、赤々舎から出る予定だった2冊目の写真集が、展覧会の会期には間に合わなかったこと。ぜひ早めに刊行してほしい。なお、本展は5月7日~16日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2018/04/05(木)(飯沢耕太郎)

吉野英理香「MARBLE」

会期:2018/04/07~2018/05/19

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]

吉野英理香のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムでの3回目の個展となる本展のタイトルは、「光の中できらめく結晶石」を意味するというマーブル(大理石)から採られている。「日々のなか」で見出された事物のかけらを、拾い集めていくやり方に変わりはない。だが、2014~17年に撮影された作品から、17点を選んだ今回の展示作品の多くは、金属やガラスの輝き、鮮やかに色づく花々、光の戯れなど、彼女自身が「自由と希望を見出すカギ」と表現するような、美しく、肯定的なイメージに傾いているように思えた。

その「レンズを通して見た光の結晶」を切り出す手つきは洗練されていて破綻がない。前作の「NEROLI」(2016)では、どちらかといえば「匂い」への反応が強調されていたが、今回はより視覚的なアプローチになっている。写真作家としての安定した水準を保つことができる段階に達しているので、安心して写真を見ることができる。だが逆に、このまま洗練の度を強めていっていいのだろうかという疑いも生じてきた。吉野の写真がモノクロームからカラーに変わったのは、2011年の写真集『ラジオのように』(オシリス)からだが、その頃はまだネガティブで不透明な日常の厚みが、そのまま生々しく露呈していた。そこからノイズを削ぎ落としたことで、作品世界がやや小さくまとまってきている。ここで立ち止まることなく、五感のすべてを開放することで、安らぎと危険とが両方とも含まれているような、流動的な世界の像を定着していってほしいものだ。

Erika Yoshino, “Untitled”, 2014, C-print © Erika Yoshino / Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film

2018/04/07(土)(飯沢耕太郎)

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