artscapeレビュー

2018年06月01日号のレビュー/プレビュー

こいのぼりなう! 須藤玲子×アドリアン・ガルデール×齋藤精一によるインスタレーション

会期:2018/04/11~2018/05/28

国立新美術館[東京都]

端午の節句が近づくと、住宅街のあちこちでこいのぼりが上がるが、この日、私が見たこいのぼりは美術館の中だった。面積2,000平方メートル、天井高8メートルの空間の中で、319匹にも及ぶこいのぼりの大群が泳いでいた。それらは目もなければ、尾ひれや背びれもない、尾の部分が少しだけ狭まったほぼ筒状のシンボリックなこいのぼりである。それでも空間に浮かんでいると、日本人ならそれらがこいのぼりであると認識する。入り口から奥へと誘導するように、生成りの布で作られたこいのぼりの群れに始まり、黄、赤、茶、青、緑……とだんだんこいのぼりの群れの色味が変わっていく。そんなこいのぼりの群れについていくと、空間をぐるりと一周していた。また、入り口付近で天井近くを泳いでいたこいのぼりの群れは、奥へと進むにつれてだんだん下に下りてきて、ついには目の高さまでやってくる。すると、まるで自分もこいのぼりの群れの一味になって、空を泳いでいるような気分になる。床にはたくさんのひとり掛けソファが置いてあり、それに寝そべれば、また違った目線でこいのぼりの大群を眺めることができた。非常に壮大で、爽快な気分になるインスタレーションだった。

本展を手掛けたのはテキスタイルデザイナーの須藤玲子である。さらに展示デザイナーのアドリアン・ガルデールと、ライゾマティクスの活動で知られる齋藤精一が加わり、光、風、音などによって、こいのぼりの浮遊感をより高める演出が行なわれた。本展は、もともと、2008年に米国ワシントンD.C.のジョン・F・ケネディ舞台芸術センターで、2014年に仏国パリのギメ東洋美術館でそれぞれ発表された展覧会だ。須藤が自身の作品であるテキスタイルを伝える手法として、日本の伝統行事に着目したのだという。須藤はこれまで30年以上にわたり、日本全国の産地に足を運んでは、日本の工場で実験的なテキスタイルづくりを行なってきた。日本の工場にこだわるのは、日本の織物産地を元気にするためである。つまりこいのぼりの大群は、日本の高い織物技術を伝える媒体でもあったのだ。

公式ページ:http://www.nact.jp/exhibition_special/2018/koinoborinow2018/

2018/04/26(杉江あこ)

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The Original Comes from Vitra

会期:2018/04/26~2018/05/29

リビングデザインセンターOZONE[東京都]

スイスの家具メーカー、ヴィトラの2代目社長のロルフ・フェルバウムは自らをチェアマンと呼んだ。まるで聖書のような赤い布張りの装丁で、かつて自著を出版した際のタイトルが『CHAIRMAN』だったのだ。チェアマンとは議長や司会者などを指す言葉だが、彼が言うチェアマンとは文字通り「椅子の男」。つまり椅子に情熱を傾ける男の物語である。

ヴィトラが世界中から注目を集める家具メーカーとなったきっかけは、1953年に創業者のウィリー・フェルバウムが米国旅行でチャールズ&レイ・イームズがデザインした椅子に出会い、その後、彼らと厚い友情を育んだことによる。1957年にはイームズが契約を結んでいた米国の家具メーカー、ハーマンミラーの欧州工場としてライセンス生産を開始し、1988年には正規メーカーとなった。そうした経験を通して、ヴィトラは本物の椅子生産を学んだのである。本展は家具メーカーにとっての本物=オリジナルとは何かを問いかける展覧会で、ドイツ、フランス、イタリア、シンガポールと世界を巡回したあとに日本にやってきた。

美術品の場合、版画は別として、基本的には1点しか存在しないため、本物と偽物の違いは明確だ。しかしメーカーが量産する製品となると難しい。最初に開発し発売したメーカーの製品が「本物」となるが、産業財産権で保護されていなければ、他のメーカーがそれを真似て製造し発売することが簡単にできてしまう。そんな世の中だからこそ、ヴィトラはあえて本物の価値を訴えるのではないか。本展ではカンチレバー式のプラスチック一体成型の椅子、ヴァーナー・パントンの《パントン チェア》、表面をパンチングして軽量化したアルミニウム製の椅子、ハンス・コレーの《ランディ チェア》など、8脚の歴史的名作椅子とその背景が展示された。名作ゆえにどれも知っている椅子ではあったが、デザイナーをオーサー(著者)と呼び、彼らと協働して、持てる技術を尽くして本物を開発し製造し続ける、ヴィトラの理念に改めて敬服する機会となった。ロルフのチェアマン精神はずっと健在のようだ。

展示風景 リビングデザインセンターOZONE 3階ウェルカムプラザ[撮影:Kentaro Kakizaki]

公式ページ:https://www.ozone.co.jp/event_seminar/event/detail/501

2018/04/26(杉江あこ)

文字の劇場『ドキュメンタリー』

会期:2018/04/28~2018/04/29

SCOOL[東京都]

マレビトの会の周辺が面白い。近年のマレビトの会の作品はほとんど何もない舞台空間と大雑把なマイムを特徴とし、両者の間にフィクションが立ち上る瞬間、あるいはフィクションからふと現実が顔を覗かせるような瞬間に焦点をあてる。主宰の松田正隆はそれを「出来事の演劇」と呼び、プロジェクト・メンバーとともにその思考/試行を展開している。文字の劇場を主宰する三宅一平もそのひとりだ。

『ドキュメンタリー』は映像上映と演劇作品の上演の二部構成。前半の映像(橋本昌幸が担当)は演劇/映画における演技に関するインタビューで構成されたドキュメンタリーで、松田のほかにアートプロデューサーの相馬千秋やダンス批評家の桜井圭介、劇作家・演出家の犬飼勝哉、後半の演劇作品に出演する俳優の生実慧、桐澤千晶、西山真来など、さまざまな立場の人間がインタビューに答えている(ちなみに私もそのひとりで、その縁で今回はゲネプロを拝見した)。

後半の演劇作品は娘が幼いころに離別した父親に会いに行く話だ。娘はドキュメンタリー映画を撮っており、父との再会もドキュメンタリーとして残そうとカメラマンの友人を同行する。前半の映像が演技に関するさまざまな思考の種を用意し、後半の演劇作品を観る観客は自然と演技に関する、あるいは目の前で演技をする身体に関する思考へと誘われる。戯曲にあらかじめ記された登場人物の言動とそれを演じる現在の俳優の身体。それは一方で未来のドキュメンタリーにおいて定着される、確定された過去を現在進行形で生成していく。過去と現在、現在と未来、確定性と不確定性。それらの間で揺れ動く俳優の身体のあり様が興味深い。

映像を媒介とした身体をめぐる試みには思考が刺激されたが、原理的な取り組みについても物語とのバランスや関係性についてもさらに思考を深める余地があるだろう。試行錯誤を共有する場所があることは強い。今後のさらなる展開を楽しみに待ちたい。

公式サイト:https://note.mu/mojigeki

2018/04/27(山﨑健太)

国吉康雄と清水登之 ふたつの道

会期:2018/04/28~2018/06/17

栃木県立美術館[東京都]

若くしてアメリカに渡り、苦労しながら絵を学んだ国吉康雄と清水登之。このほぼ同世代の2人の画家の作品を比較する展覧会。同世代の画家の比較展示という点では、先ごろ兵庫県立美術館で見た「小磯良平と吉原治良」とよく似ているが、小磯・吉原の場合アカデミズムvsアヴァンギャルドという対照性が見どころだったのに対し、国吉・清水は同じような道を歩みながら戦争で決定的に袂を分かった点、さらに同時代に渡米して活躍した芸術家たちの作品も加えた点が異なっている。もともと栃木県立美術館は同県出身の清水の作品収集と研究で知られており、そこに岡山県出身の国吉をぶつけることで清水の画業と人生を浮き立たせる狙いもあっただろう。

清水と国吉は20世紀初めに相前後して渡米し、西海岸で労働しながら糊口をしのぎ、ニューヨークに移ってアート・スチューデンツ・リーグで本格的に美術を学んだ。2人が出会ったのはこの学校でのこと。ともに都市に生きる人々を素朴なタッチで描いていた。同展には、同じころニューヨークで活動していた石垣栄太郎や古田土雅堂の作品も出品されているが、とくに人のあふれる大都市の雑踏を描いた古田の作品は、デュシャンの初期の未来派的な絵画を思わせとても新鮮だ。清水はその後パリに2年ほど滞在し、元号が昭和に変わって間もない1927年に帰国。国吉は病床の父を見舞うため1度帰国したきりで、日米開戦が近づいてもアメリカにとどまった。ここが2人の運命の分かれ道となる。

清水は満州事変の翌年、いち早く従軍志願して中国の戦場を取材。初めのころは比較的のんびりしたもので、戦場を抽象画とも見まがうほどデフォルメして描いたり、敵であるはずの中国人難民を大作に仕立てるなど、異例の戦争画を残した。おそらく彼は愛国精神より、新しい絵のモチーフとして「戦争」に惹かれたのかもしれない。だが、日米が開戦してからはそんな悠長なことをやってられなくなったのか、写真を参考にした写実的な記録画に徹し、藤田嗣治や小磯良平らと並ぶ代表的な戦争画家のひとりとして名を馳せていく。一方の国吉はアメリカで反ファシズム運動に身を投じ、開戦後は「アメリカ人画家」として、日本人を貶めるための対日プロパガンダのポスターなどを手がけ、自由と民主主義の国アメリカへの忠誠を誓った。国吉のこの姿勢は戦後も貫かれ、美術家組合を設立して会長に収まり、アメリカ美術専門のホイットニー美術館で回顧展を開いたり、国別参加のヴェネツィア・ビエンナーレに出品するなど、アメリカを代表する画家のひとりとして認められていく。

それに対して晩年の清水は悲惨だ。ニューヨーク滞在中に生まれた長男の育夫が海軍に入隊し、戦艦乗組員として出動したものの、敗戦の2カ月前に戦死の報が届く。以後、清水は取り憑かれたように育夫の肖像を何枚も描き、半年後に病死。同じような道を歩んだ両者だが、最後は戦争によって正反対の方向に歩まざるをえなくなった。まるで長編小説でも読むかのようなドラマチックな展示構成だ。

2018/04/28(村田真)

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渚・瞼・カーテン チェルフィッチュの〈映像演劇〉

会期:2018/04/28~2018/06/17

熊本市現代美術館[熊本県]

〈映像演劇〉の鑑賞者は劇場に足を運ぶように美術館に足を運び、舞台上の俳優を見るように等身大の俳優の映像と対峙する。背景が欠落した映像は、それゆえどこか別の場所にいる俳優を映したものとしてではなく、俳優の分身を観賞者のいるその場所に存在させるものとして機能する。鑑賞者は厚みを持たない映像としての俳優の分身と、しかし確かに空間を共有することになる。この両義性が〈映像演劇〉の特徴のひとつだろう。

《第四の壁》はそのタイトルからして象徴的だ。「第四の壁」という言葉は大まかには演劇において舞台上と客席との間に存在すると仮定される壁を指す。観客はその壁を透かすかたちで舞台上で展開する物語を覗き見ているというわけだ。

《第四の壁》はアーチ状の枠の中に投影される映像演劇作品。男が登場すると、ここは門で、侵入者がやってくるのを阻止しようとする芝居をこれから上演するのだと言う。さらに二人の男が登場し三人は門を塞ぐかたちで土嚢を積み始める。無駄口やそれに対する叱責を挟みつつ、ところどころでこれがどのような芝居であるかが改めて説明されるが、あるときスタスタと女が登場すると、ハート型に切り抜かれた紙や風船でアーチを飾り付け始める。土嚢の作業と並行して進む飾り付け。やがてアーチの上部にはwelcomeの文字が──。

《第四の壁》
[撮影:宮井正樹/提供:熊本市現代美術館]

土嚢と風船は一見したところ拒絶と歓待の両極を示しているように思えるが、事態はそう単純ではない。向こう側とこちら側を隔てるはずの第四の壁は男の観客への呼びかけによってはじめから壊されており、一方で「そこ」が土嚢を積み上げるまでもなく壁であることは自明だ。観客だろうが侵入者だろうが、壁の中へと入っていくことはできない。にもかかわらず、そこは門だと宣言され、向こう側への一歩が可能性として示される。

作品ごとに形を変える問いを通して、観客は自らの立ち位置を測り続けることになる。その移動がやがて、境界のあり方を変えていく。


《働き者ではないっぽい3人のポートレート》
[撮影:宮井正樹/提供:熊本市現代美術館]

《The Fiction Over the Curtains》
[撮影:宮井正樹/提供:熊本市現代美術館]

《A Man on the Door》
[撮影:宮井正樹/提供:熊本市現代美術館]



公式サイト:https://www.camk.jp/exhibition/chelfitsch/

2018/05/01(山﨑健太)

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2018年06月01日号の
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