artscapeレビュー

2018年08月01日号のレビュー/プレビュー

モネ それからの100年

会期:2018/07/14~2018/09/24

横浜美術館[神奈川県]

一昨年の「クラーナハ展」がそうだったように、最近クラシックな画家の展覧会に現代美術が介入してくる例が増えているが、この「モネ展」もそう。タイトルにあるように、これは「モネ展」であると同時に、モネに感化されたりモネと関連づけられる画家たちの約100年の流れを紹介する展覧会でもあるのだ。出品は、モネが初期から晩年まで29点。あとはデ・クーニング、マーク・ロスコ、サム・フランシス、モーリス・ルイス、リキテンスタイン、ウォーホル、ゲルハルト・リヒター、堂本尚郎、松本陽子、福田美蘭、丸山直文、鈴木理策ら内外26作家による67点。モネもその他も作品の大半が国内から出品されるので、「モネ展」としては比較的安上がりに済んだに違いない。それにしても国内にこれだけのモネ作品があるとは、ちょっとした驚き。

モネだけ見ていくと、基本的に時代順に並んでいて、最後のほうは睡蓮のシリーズのみ。モネの影響を受けた画家たちの大半は睡蓮以降の錯綜とした色彩と奔放なタッチに着目している。その最初の例がデ・クーニングをはじめとする抽象表現主義だ。一般に20世紀のモダンアートの流れは印象派に始まり、ポスト印象派が受け継ぎ、フォーヴィスムキュビスムが発展させ、構成主義ダダシュルレアリスムと広がり、第2次大戦を境にアメリカに移って抽象表現主義に結実するといわれているが、ここではモネの晩年の筆づかいがいきなりニューヨークの抽象表現主義に接続されているのだ。といっても、必ずしも彼らがみんなモネを参照したというわけではなく、抽象表現主義の激しい筆づかいにはモネという先駆者がいたということだ。この「再発見」によって、晩年の作品の評価が低かったモネの「再評価」が進んだのだ。

こうしたモネの筆づかいに感化されたサム・フランシス、ルイ・カーヌ、堂本尚郎、松本陽子といった画家たちのほか、モネのモチーフやスタイルを参照したリキテンスタインや福田美蘭らポップ系の画家たちも選ばれている。とりわけ福田の新作2点は、高層ビルの上階に位置するレストランの窓から見える都会の夜景と早朝の風景を、店内のテーブルとともに描いたもの。点々と白く浮かぶテーブルが睡蓮の葉、その上のロウソクの明かりが花に見えるというだけでなく、ガラス窓の反映、室内と屋外のダブルイメージ、そして夜と朝の時間差など、「睡蓮」シリーズの特質を巧みに採り込み、さらにタッチまで模倣している。いつもながら見事。

2018/07/13(村田真)

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太陽の塔リニューアル記念 街の中の岡本太郎 パブリックアートの世界

会期:2018/07/14 ~2018/09/24

川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]

この春、東大の食堂を飾っていた宇佐見圭司の壁画がいつのまにか処分されていたことがわかり、問題になったが、それで思い出したのが旧都庁舎にあった岡本太郎によるレリーフの連作だ。丹下健三設計の旧都庁舎の壁にはめ込まれていたこれらの陶板レリーフは、91年の都庁の新宿移転に伴い解体されたからだ。このとき残そうと思えば残せたはずだが、いくら第三者が努力しても、工事の責任者にその気がなければ残すのは難しい。美術評論家の瀬木慎一氏が保存する会を立ち上げたものの、経費は何億円かかるとか1カ月以内に撤去しろとか難題を吹っかけられ、あきらめざるをえなかったという。

太郎の手がけたパブリック・アートは140点以上といわれるが、はたしてそのうちどのくらい残り、どのくらい解体してしまっただろう。そんな興味もあって見に行った。同展で紹介されているパブリック・アートは、テンポラリーなショーや記念メダルなどを除いて69件(墓碑、壁画、緞帳、建築も含む)。そのうち現存するのは41件で、移転したり再生したもの12件、解体されたもの16件となっている。とくに50年代のものは大半が現存せず、70年代以降のものは大半が残っている。これはパブリック・アートが土地や建物に付随するため、64年の東京オリンピック以前のものは再開発ブームで取り壊されたに違いない。

解体された代表例が旧都庁舎の壁画だとすれば、残っている代表例は、1970年の万博のときに建てられた《太陽の塔》だろう。こんな実用性もないヘンチクリンな塔は真っ先に壊されるだろうと思ったら、ほかのパビリオンがすべて解体されるなか最後まで残ってしまった。移転・再生した代表例が《明日の神話》だ。長さ30メートルにおよぶ巨大な壁画は、メキシコのホテルのために現地で描かれたもので、その後ホテルが倒産して壁画も行方不明になったが、太郎の死後、養女の敏子の尽力により発見され、制作から約40年を経て渋谷駅の通路に安住の地を見つけた次第。ちなみに太郎自身はつくってしまえば後はどうなろうとあまり気にしなかったようだ。

ところで、パブリック・アートという言葉が日本に定着するのは90年代のこと。それまでは野外彫刻とか環境造形とか呼ばれていたが、太郎の作品はそのどれとも異なっていた。というのも、パブリック・アートも野外彫刻も環境造形も、耐久性があって危険性がなく、その場にマッチした造形が好まれたため、どれもこれも丸くてトゲがなく、最大公約数的な形態と色彩の作品が多かった。それに対して太郎だけは、あえて嫌われるようなトゲトゲの造形と極彩色をウリにしていたからだ。正直いって太郎のパブリック・アートが身近にあってもあまりうれしくないけど、しかし毒にも薬にもならないどうでもいいような作品より、はるかに存在意義はあるだろうと思う。

2018/07/13(村田真)

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日本・オランダ国際共同製作『雅歌(GAKA)』

会期:2018/07/13~2018/07/14

高知県立美術館・中庭[高知県]

オランダ在住のピアニスト・美術家・演出家の向井山朋子がコンセプトと演出、振付家・ダンサーの山田うんが振付を担当した本作。「現代の儀式」は、遠い未来から過去たる現在を召喚するようで、私は自身のいる「今ここ」が確かに変質していくのを感じた。

土佐漆喰の土蔵がモチーフだという美術館の建物だが、その中庭は柱廊に囲まれ、どこか西洋の雰囲気も感じさせる。「儀式」はその4分の1ほどを占める石造りの舞台を含めた中庭の全体を使って執り行なわれた。客席は柱廊に設えられ、中庭を三面から臨む。夏の空は暮れつつもまだ青い。太鼓を打つ音がひとつ。と思ううちにそれは数を増し、中庭に音が渦巻く。柱廊の2階部分に現われた女たちは中庭へと移動し、手にする楽器は瓢箪型の笛(フルスという中国の楽器らしい)へと変わる。振りを共有しつつも集合離散を繰り返す鳥の群れのような舞は奏でられる音楽とどこか似ている。

舞台奥から真っ白な何かに覆われた人型のモノが現われる。死の先触れだろうか。女たちが次々と倒れていく。動きを止めた白い何かから、ずるりと脱皮するようにして現われる女の裸。死と再生。その姿は力強くもどこか禍々しい。空の色はこの世のものとも思えないピンク。やがて立ち上がった女たちは銀色の薄布で中庭を覆っていく。舞台奥から観客のいる縁まで届く長さの薄布が、一枚また一枚と緩やかに厳かに中庭を覆い尽くすころ、すべては宵闇にその輪郭を溶かし始めている。女たちは去る。儀式の進行を司るかのごとき和太鼓の鼓手(それは唯一の男でもある)が中央に進み出ると、神楽を舞い、祝詞を唱える。彼も去る。じりじりと夜が深さを増し──再び灯された館内の明かりが私を現実に引き戻す。

薄布と宵闇に覆われ、色も輪郭も失った中庭と柱廊の姿は、火山灰に埋もれた異国の遺跡を私に思わせた。それはこの中庭が、現在の痕跡となり果てる遠い未来の幻視だ。そこに私はもういない。

[撮影:丹澤由棋]

公式ページ:https://moak.jp/event/performing_arts/mukaiyamatomoko_gaka.html

2018/07/13(山﨑健太)

サンダーソンアーカイブ ウィリアム・モリスと英国の壁紙展─美しい生活を求めて

会期:2018/07/07~2018/08/26

群馬県立近代美術館[群馬県]

「役に立つのかわからないもの、あるいは美しいと思えないものを、家の中に置いてはならない」。英国を代表するデザイナー、ウィリアム・モリスの言葉である。やや原理主義とも取れる強い言葉だが、それに納得させられるくらい、モリスがデザインした壁紙の数々は美しかった。猛暑のなか観に行ったかいがあったと思えた。モリスといえば、産業革命により粗悪な大量生産品があふれた世の中を嘆き、伝統的な職人の手仕事を賞賛した「アーツ&クラフツ運動」の先導者として知られる。この運動を語るとき、モリスは世界中に多大な影響を与えた思想家というイメージがともなうが、そもそもは自身の生活空間を良くしたいという純粋な気持ちから、彼のデザインは始まっている。

モリスは結婚を機に新居「レッド・ハウス」を建て、そこで快適な生活空間には壁紙が欠かせないと気づき、木版(ブロック・プリント)による壁紙を生み出した。「部屋に何を置くにしても、まず壁をどうするか考えよ。壁こそが家を本当の住まいにするからだ」という言葉をモリスは残している。最初にデザインした壁紙《トリレス(格子垣)》は、新居の庭にあったバラの生け垣がモチーフとなった。満開に咲き誇る真っ赤なバラ、生い繁る葉、いかにも鋭い棘、バラの蜜を吸う虫、その虫を狙う鳥……。生け垣のワンシーンを切り取り、写し取った壁紙からは、バラと虫と鳥たちの密やかな物語が感じられる。新婚生活を送るかたわら、その生け垣をじっと見つめたモリスの温かな気持ちまで伝わってくるようだ。

ウィリアム・モリス《トレリス(格子垣)》(1864)サンダーソン社蔵 ©Morris & Co.

鋭い観察力をもとに、動植物の曲線的な美しさを存分に生かし、それを完璧な構成でパターンに起こしたモリスのデザイン力にはあらためて感心した。当時はまだ木版が主流の時代である。版と版が連続した際の全体像を想定してデザインを起こさなければならない。と同時に、装飾は何のためにあるのかをあらためて考えさせられた。家の中を美しく飾るという目的だけでなく、モリスはおそらく何かしら物語のあるモチーフをパターン化し、その物語を人々と共有したのではないか。だからこそ、時代を経たいまもモリスがデザインした壁紙に多くの人々が惹きつけられるのだ。

本展、欲を言えば、壁紙が空間に収まった様子をもう少し観たかった。二つの空間が再現されていたものの、まだ物足りない。壁紙は絵のようにして観るものではなく、壁に張られて眺めるものなのだから。

展示風景 群馬県立近代美術館

公式ページ:http://mmag.pref.gunma.jp/exhibition/index.htm

2018/07/14(杉江あこ)

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没後50年 河井寬次郎展 ─過去が咲いてゐる今、未来の蕾で一杯な今─

会期:2018/07/07~2018/09/16

パナソニック汐留ミュージアム[東京都]

力強い、そんな印象だった。これまでに河井寬次郎の作品は日本民藝館でしか観たことがなかった。同館のコレクションは柳宗悦の目によって選ばれたものということもあり、どこか品の良さを湛えた作品が多い。ところが、本展で作陶初期から後期までの作品、さらに木彫やキセル、家具、言葉などを併せて観ると、河井へのイメージがずいぶん変わった。おそらく器用ゆえにいろいろな作風ができてしまうのだろうが、そこに通底するのは、河井の人間力とも言えるどっしりとした力強さのような気がした。

まず、河井が、初期に中国や朝鮮の古陶磁に倣った作品を焼いていたことには驚いた。しかしその後、柳や濱田庄司とともに民藝運動を推進するようになり、自身の作品にも「用の美」を追い求めるようになる。戦争を挟んで作陶をいったん中断し、戦後には自身の内面から湧き出る創作意欲を次々と形に表わしていく。河井の作品が輝きだすのは、このころからだ。素朴だけど重厚な形状に、色鮮やかな釉薬を巧みに使った独特の模様。この色鮮やかな釉薬使いは、東京高等工業学校窯業科を卒業後、京都市立陶磁器試験場で技手として研鑚を積んだたまものであろう。焼物はある意味、化学だ。同試験場で身につけた化学的知識が、河井の表現の幅を広げたに違いない。

なかでも特に目を引いたのは、木彫である。そもそもは自邸を建築した際に余った木材を使って彫り始めたもので、仏師にイメージを伝えて下彫りをしてもらい、河井が仕上げ彫りをしていたという。木彫りは焼物のように色鮮やかな釉薬を使わない分、彫りによる造形がじかに伝わってくる。しかも焼物よりも複雑な造形が可能だ。それゆえ何とも言えない力がみなぎっており、圧倒された。また、作陶を中断せざるをえなかった戦中にこつこつと書き溜めたという、短い詩句も心に響いた。「暮らしが仕事 仕事が暮らし」「新しい自分が見たいのだ──仕事する」「此世は自分をさがしに来たところ 此世は自分を見に来たところ」など独特の言い回しから、河井の人間性が伝わってくる。こうした焼物以外の作品に触れることで、河井の焼物も初めて理解できたような気がした。

《木彫像》(1954ごろ)河井寬次郎記念館[撮影:白石和弘]

展示風景 パナソニック汐留ミュージアム

公式ページ:https://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/18/180707/index.html

2018/07/14(杉江あこ)

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2018年08月01日号の
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