2019年03月15日号
次回4月3日更新予定

artscapeレビュー

2018年12月15日号のレビュー/プレビュー

草野庸子『Across the Sea』

発行所:roshin books

発行年:2018

昨年3月に東京・池ノ上のQUIET NOISEで個展「EVERYTHING IS TEMPORARY」を開催し、同名の写真集も刊行した草野庸子が、新作写真集を出版した。その『Across the Sea』はロンドン旅行で撮影したスナップ写真で構成されている。

淡いオレンジが黄緑へと移ろっていく「空」の写真からスタートし、旅先で出会った人、モノ、光をちりばめながら進んでいって、再び「空」の写真で終わる写真集の構成は、センスがいいとしか言いようがない。前作と比べると、ロンドンという時空間に限定されていることもあって、かなり異質な写真がせめぎ合っているにもかかわらず、すっきりとしたまとまりを保って目に飛び込んでくる。見ること、撮ることの弾むような歓びが感じられるいい写真集だった。

ただ、その先を見てみたいという思いがどうしても強まってくる。草野がなぜロンドンに行かなければならなかったのか、なぜこの写真集をまとめなければならなかったのか、その切実な理由がまったく伝わってこないのだ。あとがきにあたる「彼方へ」と題する文章で、彼女はこんなふうに書いている。

「彼方へ、遠くへ行きたいような、/此処に居続けていたいような、いつだって何もかもを/捨てられる身軽さに憧れ、その反面じめじめとした/ねちっこい執着も持っていたい。同じところをぐるぐるまわっている。」

素直な感慨だと思うが、「同じところをぐるぐるまわっている」だけでは仕方がないだろう。センスのよさだけで勝負できる時期はそれほど長くはない。そろそろ気合いを入れて、「初期代表作」に取り組んでほしいものだ。

2018/12/06(木)(飯沢耕太郎)

『プロヴォーク 復刻版 全三巻』

発行所:二手舎

発行日:2018/11/11

『プロヴォーク(PROVOKE)』は、いうまでもなく、1968〜69年にかけて中平卓馬、多木浩二、高梨豊、岡田隆彦、森山大道(2号から)を同人として刊行された、伝説的な写真雑誌である。わずか3冊しか発行されなかったにもかかわらず、時代の息吹を体現した「アレ・ブレ・ボケ」の表現スタイルと、高度に練り上げられたテキストによって、同時代の日本の写真表現のあり方に決定的な影響を及ぼした。まさに現代日本写真の起点となった重要な出版物だが、発行部数が少なかったこともあって、古書価格が高騰し、普通にはとても手に入らない「幻の雑誌」になっていた。

今回、二手舎から刊行されたのは、その『プロヴォーク』3冊の復刻版である。じつは以前、カール・ラガーフェルドが企画した日本の重要な写真集をおさめた『THE JAPANESE BOX』(Steidl, 2001)でも、『プロヴォーク』の復刻が企てられたことがある。ところが、そこにおさめられたヴァージョンでは、同人のひとりである岡田隆彦のテキストが、著作権継承者の意向で全部抜け落ちていた。だが、今回はテキストと写真作品も含めて文字通り完全復刻されている。さらに大事なのは、収録されているテキストが、すべて英訳および中国語訳されていることである。そのことで、日本語が読めない読者にも『プロヴォーク』の革新性がより直接的に伝わるようになった。

近年、『プロヴォーク』の再評価は世界各地で急速に進みつつある。2015年には、アメリカのヒューストン美術館ほかで「For a New World to Come: Experiments in Japanese Art and Photography, 1968-1979」展が開催され、2016〜17年には、オーストリア・ウィーンのアルベルティーナ、スイスのヴィンタートゥール写真美術館などを大規模な「PROVOKE」展が巡回した。また、今年10〜12月に開催された香港国際写真フェスティバルでも「プロヴォーク特集」が組まれ、中平卓馬の個展やシンポジウムが開催された。『プロヴォーク』への関心は、今後さらに高まることが予想される。本書も基本的な文献資料として重要な役割を果たしていくのではないだろうか。

2018/12/06(木)(飯沢耕太郎)

中村ケンゴ「モダン・ラヴァーズ」「JAPANS」

会期:2018/12/04~2018/12/22

メグミオギタギャラリー[東京都]

ひとつの画廊で2人が個展を開くのはよくあるが、ひとつの画廊で1人のアーティストが同時に2つの個展を開くのは初めて聞いた。「モダン・ラヴァーズ」と「JAPANS」の2本で、どちらも「日本」がテーマ。「モダン・ラヴァーズ」とは近代的な愛人ではなく、近代を愛する人、つまり西洋近代に恋いこがれた日本人を指す。《日本アルプス(近代山脈)》は、7.5×546センチという極端に横長の画面にさまざまな山岳風景を稜線がつながるように描いたもの。タイトルにだまされて、洋画家が日本の山を描いた絵を連ねたものかと思ったら、実は西洋人による山の風景画をトレースしたものだという。そもそも「日本アルプス」の名称自体ヨーロッパのパクリだし。《お花畑》は3枚の縦長パネル(畳サイズ)にさまざまな花をぎっしり描き込み、上4分の1ほどを余白に残した作品。一見日本画的な印象があるものの、ゴッホやルドンらの花の絵をコラージュしている。どちらも元絵は西洋絵画なのに日本的な香りがするのは、支持体が絵巻や襖絵といった伝統的な日本絵画を彷彿させる形式である上、和紙に岩絵具や顔料など日本画材を使って油絵をなぞっているからだ。

「JAPANS」のほうは「日本のかたち」を日本画を通して探る試み。2点の正方形の画面のうち1点は《スピーチ・バルーン・イン・ザ・ヒノマル》。大きな赤い円のなかに白抜きのフキダシがびっしり描かれたもので、これはクール・ジャパンのシンボルマークにぴったりではないか! もう1点には100個の歪んだ赤い楕円が描かれていて、なんだろうと思ったら、風になびく日の丸の旗の赤い円を採取したものだそうだ。タイトルは《風に吹かれて》。ボブ・ディランのプロテストソングと日本の愛国心のシンボルを重ねている。ほかにも、日本列島の島々とかつて植民地化した東アジアの地域をコラージュした《キュビスム(東アジア)》、南鳥島、沖ノ鳥島、与那国島、択捉島という日本の東西南北端の島を描いた4点組《within borders》など、日本の地理と歴史が学べるタメになる展覧会だ(笑)。中村は日本画を伝統的な日本の美を表わすためのメディウムではなく、現代日本のシビアな現実を表現するための最適な手段として捉え直そうとしている。日本画ゆえの限界と可能性をみずから示した個展。

2018/12/07(村田真)

小さいながらもたしかなこと 日本の新進作家vol.15

会期:2018/12/01~2019/01/27

東京都写真美術館[東京都]

この展覧会のタイトルを聞いた時に「またプライベート・フォトが並ぶのか」と思った。日本の現代写真において、私的な領域にこだわる写真がかなり多くの部分を占めていることは否定できない。「私写真」「日常写真」などと称される写真群は、たしかに身近な他者や日々の出来事を思いがけない角度から照らし出す新たな視点をつくり上げていった。だがそれらがいま、特に若い写真家たちのなかで、ある種のクリシェと化しつつあることも否定できない。本展もその流れのなかで企画されたのではないかと、やや危惧していたのだ。

ところが写真展に足を運び、森栄喜、ミヤギフトシ、細倉真弓、石野郁和、河合智子の作品を見て、それが杞憂だったことがわかった。ゲイにとっての家族のあり方を、セットアップした場面を設定して掘り下げていく森、やはり同性愛者の視点で、暗い部屋の中でひとりの男性と向き合う経験を視覚化するミヤギ、さまざまな階層、国籍、年齢の人々が入り混じって住む川崎という地域にスポットを当てた細倉、居住するアメリカと日本人という出自のギャップを、巧みに構築されたモノたちの写真であぶり出していく石野、ベルリンという都市の歴史・文化を、建築や彫刻をテーマに浮かび上がらせる河合──彼らの作品は、むしろ日常を支える社会的構造をしっかりと見据えて制作されていたのだ。個の領域は、歴史や社会との緊張関係を踏まえなければ明確には見えてこない。彼らには、その認識がきちんと共有されている。

石野以外の出品者が、写真とともに映像(動画)を展示に組み込んでいることも興味深い。流動化しつつある現実をつかみ取り、定着するのに、静止画像だけではもはや間に合わなくなってきているということだろうか。

2018/12/07(金)(飯沢耕太郎)

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霧の抵抗 中谷芙二子

会期:2018/10/27~2019/01/20

水戸芸術館[茨城県]

1970年の大阪万博ペプシ館で初めて発表して以来、中谷は人工的に霧を発生させる「霧の彫刻」を世界各地で80回以上制作してきた。その「霧の彫刻」を中心とした展示。万博のペプシ館での映像を見ると、霧がパビリオンを包み込むように広がり、知らない人が見たらまるでボヤみたい。ところが森のなかで霧を発生させた記録映像を見ると、自然の霧となんら変わりなく見える。一方、芸術館広場の巨石を吊ったカスケード(人工滝)で発生させた霧は、子供たちが喜ぶ遊びの道具になっていた。時と場所によってこれほど印象が異なり、役割が変わる作品も少ないだろう。

館内で行われた霧のインスタレーション《フーガ》は、かなりシビアな体験だった。細長いギャラリーの一番奥の部屋で30分ごとに上演(ていうのか?)されるのだが、部屋に通されて紗で仕切られた向こう側にズラリとノズルが並ぶのを見て、ちょっと不安になる。あのノズルから気体が噴出するのか……。1年前のメゾンエルメスでの個展のときも不謹慎ながら感じたことだが、今回は部屋が四角くて狭いうえ密室性が高く、壁も床もグレーに統一されているため余計ナチスのガス室を連想させるのだ。背後のドアが閉じられ、水蒸気が噴き出す瞬間、緊張してしまったのはぼくだけだろうか。でもこのインスタレーションはただ霧を出すだけでなく、鳥の映像を向こう側から霧の上に投影することで、あたかも雲の上に昇る朝日のなかを鳥たちが飛び回っているように見せるポジティブな仕掛けがあるのだ。もちろんこれが天国に昇る途上の光景だとは思いたくないが。

2018/12/09(村田真)

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2018年12月15日号の
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