artscapeレビュー

2009年03月15日号のレビュー/プレビュー

ライト・[イン]サイト──拡張する光、変容する知覚

会期:2008.12.6~2009.2.28

NTTインターコミュニケーション・センター [ICC][東京都]

さて帰ろうとオペラシティから初台の駅に向かったら、ばったりICCの四方幸子さんに遭遇。「ICC見てくれた?」と聞かれたので「いやあの今日はその」とごあいさつしたら、「見なきゃダメよ」といわれてムリヤリ引きずり込まれた。引きずり込まれていうのもなんだが、ここまで彼女が強引になれるのは自分のつくったものに自信があるから。やっぱりキュレーターはこうでなくっちゃ。展覧会は光と知覚をテーマにしたもの。強烈な発光で体験者の影を壁に残すインゴ・ギュンター、スモークを焚いた部屋で光の彫刻をつくるアンソニー・マッコール、ストロボ光で「LIGHT」の文字を網膜に残像させる藤本由紀夫、それに空っぽのテレビにロウソクを灯したナムジュン・パイクの《キャンドル・テレビ》や、レモンに黄色い電球をつないだヨゼフ・ボイスの《カプリ・バッテリー》まで、新旧メディアアートの佳作が並ぶ(そういえば昔「ライトアート」なんて呼び名もあったな)。でもスタッフがあれこれ誘導したり、1時間待たなきゃ見られなかったりする作品もあるのがウザイ。メディアアート展というのはおしなべて「注文の多い展覧会」だ。
ライト・[イン]サイト:http://www.ntticc.or.jp/Archive/2008/Light_InSight/index_j.html

2009/02/15(日)

コレド・ウィメンズ・アート・スタイル

会期:2009.2.16~2009.3.8

コレド日本橋[東京都]

商業空間のなかでアートを見る楽しさと見せる難しさを同時に感じさせる展覧会。出品は若手女性アーティスト8人。金子奈央は油絵をそのまま展示しても埋没してしまうと考えたのか、それともキュレーター上田雄三の入れ知恵か、自作を巨大な布にプリントして吹き抜け空間に吊るした。これはよくめだつが、かえって広告のように見えてしまい埋没しかねない。もうひとり油絵の福島沙由美は、自作をショーウィンドーのなかに閉じ込めた。これならオリジナルを見てもらえるが、はたしてどこまでじっくり鑑賞してもらえるか。同様のことはほかの立体のアーティストにもいえる。こうしたオープンな場所で見せる場合、美術館やギャラリーとは違って安全性や通行人の反応も考えなければならい。その結果、作品のもっていた魔性や攻撃性がそがれたり、ショーケースに押し込まれて商品みたいにディスプレイされかねない。そんな危険性から唯一免れていた(かもしれない)のが奥村昂子のインスタレーションだ。中空に吊るされた白い糸のかたまりは幻の城のイメージだが、このような空間でゆらゆら揺れるさまは正直いってみすぼらしい。まるで幽霊かクモの巣みたいな……と連想してハタと気づく。そうか、実はこの作品、きれいに制御された商業ビルへの痛烈なアイロニーかもしれないぞ。本人がどこまで意図したか知らないが。

2009/02/16(月)(村田真)

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アジアとヨーロッパの肖像

会期:2009.2.7~2009.3.29

神奈川県立歴史博物館[神奈川県]

アジア人の描いたアジア人とヨーロッパ人、ヨーロッパ人の描いたヨーロッパ人とアジア人の肖像を、東西の「接触以前」「接触以降」「近代の眼」などに分類整理した展覧会。接触以前の勝手な想像で描いた怪物的な肖像もおもしろいが、接触まもないころの東西混淆した異様な肖像画に惹かれる。なかでも、工部美術学校の教師ヴィンチェンツォ・ラグーザと結婚してイタリアに渡ったラグーザ玉が、望郷の念にかられて描いた《故国の思い出》という作品は、なかば西洋人と化した日本人が記憶をもとに日本の情景を油絵で描いたという、三重にも四重にも反転した構造をもつ実に味わい深い絵。でもここでの展示は一部なので、残りは葉山で見なくては。

2009/02/17(火)(村田真)

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石川直樹『最後の冒険家』

発行所:集英社

発行日:2008年11月21日

第6回開高健ノンフィクション賞を受賞した話題作。写真家以上に文章家としての才能が期待されている石川直樹が、その実力を発揮した面白い読物になっている。ただ、これも彼の写真と共通しているのだが、どうも詰めが甘いというか、最後の最後に宙ぶらりんのまま放り出されたような気分になるのはなぜなのだろうか。
この作品に関していえば、肝心の「最後の冒険家」である神田道夫の人間像が、もう一つ書き切れていないように感じてしまうのだ。神田は2008年1月31日に、巨大熱気球「スターライト号」で太平洋単独横断飛行を成し遂げようと栃木県岩出町を飛び立ち、翌2月1日未明に日付変更線を超えたあたりで消息を絶つ。その4年前には石川自身が副操縦士として乗り込んだ「天の川2号」で太平洋横断を試みているが、無残な失敗に終わってゴンドラごと海面に落下し、たまたま通りかかった船に助けられて九死に一生を得ている。たしかに熱気球は、神田にとって命と引き換えにしてもいい夢だったのかもしれない。だが、その最後の飛行はどうみつくろっても無謀としかいいようがないもので、とても「冒険」には思えないのだ。神田はなぜ飛び立ったのか、その答えはどうも石川自身にもはっきりと把握されていないように感じる。そのあたりがすっきりしない読後感につながっているのではないだろうか。
特筆すべきは祖父江慎+cozfishによる造本の見事さ。カバーと表紙との関係、本文用紙の選択、巻末の「写真集」の部分の構成・レイアウト──プロの業がきちんと発揮されている。

2009/02/19(木)(飯沢耕太郎)

『「新しい郊外」の家』

発行所:太田出版

発行日:2009年1月25日

東京R不動産のディレクターにして建築家の馬場正尊による自伝小説的な要素も含んだ本。住宅を持つなら都心か郊外かという選択肢──前者は職場に近いが高くて狭く、後者は高くないがほとんど寝るための場所として選ぶ──に対し、例えば早朝、湘南でサーフィンしてから都心の職場に向かうといった、目的意識を持って住む郊外を「新しい郊外」と名付け、その可能性を語る。そして馬場氏自らもさまざまな経緯で「新しい郊外」としての房総半島に土地を買い、自分の設計で家を建てた経緯が語られる。分かりやすい語り口で、また数々の失敗談を前向きに捉えて書かれているのが引き込まれる。建築家が自邸を建てようとすることではじめて直面する問題、特に住宅ローンをめぐる経験なども書かれており、設計者はもちろん、これから家を建てようと考えている人にとって、とても示唆的な話が多い。特に建築家に住宅を頼む場合に、必要性の高まるつなぎ融資の話など、とても役立つ話である。一方、終章では、馬場の都市・建築論が語られる。既存の都市論への違和感が表明され、イアン・ボーデンなど身体から考える都市論への共感が語られる。東京における設計が頭を使うのに対して、房総に置ける設計は身体を使うのだという。その可能性が、馬場の生き方にも掛け合わされつつ、問われている。あとがきの一言が心に残っている。設計がクライアントへのインタビューからはじまるということ。クライアントとの関係で言えば、設計とはインタビューであるといいきることもできるかもしれない。それはクライアントの意図を翻訳することでもあるだろうし、再解釈し、誤読から新解釈することにもつながるかもしれない。そういったさまざまなことを想起させる、とても明るい本だった。

2009/02/19(木)(松田達)

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