artscapeレビュー

2009年04月01日号のレビュー/プレビュー

井手茂太「コウカシタ」

会期:2009/03/14~2009/03/20

あうるすぽっと[東京都]

まるで巧みなDJプレイに乗せられているようだった。東南アジアのダンサーたちとイデビアン・クルーのメンバーは、異文化や男女の間、また個人の間の接触、そこに生じるズレを引き出し、そのありさまを推進力に舞台を生成させてゆく。それぞれの「間」を生む境界線、例えば、グループAとグループBあるいはレイヤーAとレイヤーBを分かつ線をどこに引くかといった課題は、いまやDJプレイのごときセンスの問題であって、社会をどう認識しているのかといった作家の態度や姿勢を明示する類の事柄ではなくなっているようだ。「それ」が「どうである」といった結論は重要ではなく、「それ」「それ」「それ」と矢継ぎ早に、結論なしにひとがあらわれ、別の誰かと交差する。「賑やかな交通の交点にある高架下だからさ、ここは」と言われればそれまでなんだけれど、交差して、互いにイライラして、最後は、飛行機の爆音のごとき騒音が空間を支配して終幕、というのが井手の描く現在のぼくたちであるとすれば、それはなんとも切ない。
イデビアン・クルー:http://www.idevian.com/

2009/03/14(土)(木村覚)

李演 LI YAN “Snippet”

会期:2009/02/21~2009/03/21

山本現代[東京都]

常日頃、マスメディアの報道写真で見かけているような戦争のイメージを粗いタッチで描いた油彩画。一点一点のサイズが小さいため、まるでスナップ写真を眺めているかのようだが、精緻な写真とは対照的に、細部をはっきり認識できないからこそ、逆説的に想像力が大いに刺激される。とくに、顔がただれたように見える戦傷者のイメージは、油彩のタッチが効果的だったように思う。

2009/03/17(火)(福住廉)

畑正憲 展──ムツゴロウ世界をまわる──

会期:2009/03/16~2009/03/28

ギャラリーGK[東京都]

ムツゴロウこと、畑正憲の個展。いわずもがな動物の絵だが、数々の動物を熟知したムツゴロウならではの描写かと思いきや、意外と凡庸な絵であることにびっくりした。

2009/03/17(火)(福住廉)

八田淳 展

会期:2009/03/09~2009/03/28

東邦画廊[東京都]

美術家・八田淳の個展。いくつもの紙を並べて展示することによって、下鴨神社のパノラマティックな光景を描いた作品が圧巻。太い鉛筆で一気に描いていくスピード感とダイナミックな運動性が、狭い壁面に広がりと奥行き感をもたらしていた。

2009/03/18(水)(福住廉)

演出 蜷川幸雄、作 清水邦夫:さいたまゴールドシアター「95kgと97kgのあいだ」

会期:2009/03/18~2009/03/29

にしすがも創造舎[東京都]

60人は優に超える役者たち全員が砂袋を担いで賑々しく行進する。タイトルの意味は、その砂袋の重さである。行進は「奴隷労働の演技」などではない。舞台は稽古場、したがって役者の演じるのは「役者」であって、彼らは「重いものを担ぐという演技」を演技する。ほぼ全編がこの劇中劇というか劇中稽古に費やされる本作は、演じさせる支配者と演じる被支配者の関係の物語である。冒頭の場面で寡黙に行列する若者たちをちゃかし続けた不良男は、スモークにせかされ老人たちが登場すると、鬼演出家へ変貌する。さいたまゴールドシアターの老役者たちは、ほぼ同数のNINAGAWA STUDIOの若い役者たちとシンプルな対比を見せる。老体をさらし、若者たちはそれをひやかす。鬼演出家の厳しい指令に応え担ぐ砂袋は、次第に重くなる。100kgは担げなくとも95kgはぎりぎり可能。ならば、そこにさらに2kg足してみよ。「重さ」をイメージし、体で感じてみよ。なぜできない? そんなこともできないでそれでも経験を積み重ねた老人か! 演技は想像力を刺激し、「重さ」=「苦しさ」のメタファーはさまざまな個人的・歴史的出来事を想起させる。だとしても、あまりに類型的なキャラとその演技、あまりに一様な身体性を現実の演出家・蜷川が現実の役者に課している以上、すべては蜷川と役者たちのリアルな物語にしか見えない。「世界の巨匠」に本公演という砂袋を担がされた苦しみと喜び。照明や音響はそれらをスペクタクル化する。役者たちのカタルシスのために舞台があったのなら、これは劇中稽古ではなく稽古中劇だったのかもしれない。

2009/03/18(水)(木村覚)

2009年04月01日号の
artscapeレビュー