artscapeレビュー

2009年06月01日号のレビュー/プレビュー

梅田哲也 迷信の科学

会期:2009/04/25~2009/05/23

オオタファインアーツ[東京都]

アーティスト・梅田哲也の個展。照明を落とした空間に、既製品を組み合わせた作品がひそやかに点在していた。ゆっくりと回転する扇風機の羽が微かに散らす火花を見下ろしていると、工作に没頭していた幼少期の記憶が呼び起こされるかのようだった。

2009/05/01(金)(福住廉)

杉原邦生 演出『14歳の国』(キレなかった14才♥りたーんず)

会期:2009/04/21~2009/05/04

こまばアゴラ劇場[東京都]

宮沢章夫が書いた、神戸の児童連続殺害事件を基にした戯曲の上演。殺害事件後、疑心暗鬼になった教員たちが体育の時間に教室で生徒の荷物チェックをする話。犯罪防止のために行なわれる犯罪的な行為という矛盾が、教員が教員を殺害するという犯罪へとエスカレートする。杉原はこの話に、一台のビデオカメラを持ち込む。机をのぞき込むカメラが、机に置かれたノートにある「名探偵コナン」の落書きを映すと、脇の教師は、コナンぶって台詞を呟く。物語とは無関係のこうした演出が、杉原らしさというかこの世代らしい演劇への距離感「演劇でどんな遊びができるか」をめぐる実験的遊戯をあらわにしていた。カメラは、鬱屈がピークとなった教師同士の殺害事件を映し出し、やや出来事がうやむやになったままミラーボールが回り、まさに「キレ」たディスコへと舞台は変貌し、そこで終幕した。

2009/05/02(木村覚)

柴幸男『少年B』(キレなかった14才♥りたーんず)

会期:2009/04/21~2009/05/04

こまばアゴラ劇場[東京都]

36歳の男が、少年時代を振り返る話。少年というものはいつも興奮している。興奮は、現実を正しく計る余裕を奪う。漫才師に憧れ真夜中に友達と練習し、昼間はクラスの合唱大会や女の子に夢中になっている。戯曲は、妄想と現実の曖昧な少年の生活を丁寧に浮き彫りにした。演出も冴えている。強くて超面白いと自分を思いこむ、その思いこみ(空想)を再現フィルムのように演じ、その直後、現実の時間が演じられる。何度かあったそうした上演のアイディアがじつに楽しい。猫の殺害事件や殺人事件が少年の周囲で起きる。自分の仕業かどうか判然としない。そもそも自分の輪郭が曖昧模糊としているのだから当然と言えば当然。その曖昧さはそのままに、気づけば大人になってしまったということに対する辛さ、それがとてもリアルに感じられた。このリアリティは、36歳の主人公演じる同年代の男優を14歳くらいに見えるリアル女子学生と共演させたが故に引き出されたものだろう。

2009/05/02(木村覚)

カン・アイラン 鏡─ユートピアとヘテロトピアの間

会期:2009/05/01~2009/05/31

eN arts[京都府]

カン・アイランの作品といえば、書籍の形をした発光するオブジェ。半透明のプラスティック製ボディの中にLEDが仕込まれたものだが、技術の発展につれて作品の説得力が増していることを本展で実感した。なかには文章が表示される作品もあり、一瞬ジェニー・ホルツァーを連想したのだが、カンの場合は書籍の文章をそのまま表示しているのだった。これは、男尊女卑の気風が今なお残る韓国にあって、知性を得る手段であり、自身の内面を鍛えて自立するためのツールだった書籍に対するオマージュなのだとか。ただ、技術面の進化により発色が著しく向上しており、テキスト以上に色彩が主張しているようにも感じられた。かつて作曲家のスクリヤビンが音楽と色彩の融合を目指したように、彼女の作品も色彩による神秘主義的な表現が見込めるのかもしれない(本人がそれを望むかは不明だが)。

2009/05/02(土)(小吹隆文)

現代の水墨画2009 水墨表現の現在地点

会期:2009/04/21~2009/05/31

練馬区立美術館[東京都]

水墨表現の可能性を追求している美術家たちを紹介する展覧会。伊藤彬、中野嘉之、箱崎睦昌、正木康子、八木幾朗、呉一騏、尾長良範、浅見貴子、マツダジュンイチ、三瀬夏之介、田中みぎわの11名が参加した。これだけの人数がそろえば、たいていの場合、墨絵という同一性にもとづきながらも、それぞれ独自の異質性が際立つものだが、むしろ同一性のほうが前面化しているから不思議だ。それは、おそらく出品作品の大半が、山水画に代表される定型化された水墨表現の伝統を継承しているからだと思われるが、だからといってその伝統を刷新するほど高度な技術を達成しているわけでもないようだ。だから、ただ一人、異質性を発揮していた三瀬夏之介が突出して見えたのは、他の作品が凡庸な同一性に貫かれていたからなのかもしれない。(こういってよければ)「マンガ的に」過剰に描きこむ三瀬の絵は、濃淡やにじみ、かすれ、たらしこみといった墨絵独特の抽象表現の伝統にある程度依拠しつつも、同時にそれをはっきりと切断し、ジャンルとしての墨絵を同時代の地平にまで押し上げることに成功している。それが、今後「三瀬流」として新たに定型化される恐れがないとはいえないけれど、水墨表現の現在地点を確実に打ち込んだことはまちがいない。同時代の水墨画は、「マンガ」というジャンルに依拠しながら水墨表現の可能性を果敢に切り開こうとしている井上雄彦と、三瀬夏之介の2人によって力強く牽引されるだろう。

2009/05/02(土)(福住廉)

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