2018年12月01日号
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artscapeレビュー

2009年07月01日号のレビュー/プレビュー

After School:放課後の展覧会

会期:2009/05/23~2009/05/31

元立誠小学校[京都府]

1+1が2でなく5や10になるのがグループ展の魅力だとすれば、本展はまさにそれを地で行く展覧会だった。言いだしっぺの木内貴志以下11人の美術家が、元小学校の教室や講堂などをひとり一部屋ずつ使ってハイパフォーマンスを披露。なかでも碓井ゆい、木藤純子、宮永甲太郎の作品は非常に見応えがあったことを強調しておきたい。キュレーター主導の企画展ではなく、意識の高いアーティストが集えばそれだけで質の高い展覧会ができるはず。本展にはそんな隠れテーマもあったのだが、彼らは見事にそれを実証した。

2009/05/23(土)(小吹隆文)

「日の丸」を視る目 石川真生 展

会期:2009/05/23~2009/06/12

GALLERY MAKI[東京都]

石川真生の写真展。さまざまな人たちに日の丸を使って自己表現をしてもらう「日の丸を視る目」シリーズをおよそ10年ぶりに再開し、モノクロを中心とした旧作とカラーで撮影された新作をあわせて数十点発表した。被写体となったのは、右翼から左翼、運動家からノンポリ、在日からアイヌまで、有名無名、老若男女を問わず、文字どおり多種多様な人たち。たとえば歩道橋の上から眼下の「豚ども」をライフル銃で狙撃する構えを見せる見沢知廉など、写真としての完成度が高いものももちろんあるにせよ、このシリーズの醍醐味は石川による写真の質というより、むしろ被写体の人びとによる豊かな自己表現にある。左右を問わず、いずれの写真にも見受けられるのが、誰にとっても等しく該当するはずの「日の丸」という象徴にたいしてどのように自己を位置づけるのか、その態度を世間に表明する厳しさに耐える彼ら自身の強度である。それが、いわゆる「一般人」では到底なしえない類稀な特質であることはいうまでもないが、しかしそれを個人が引き受ける強さがなければ(逆にいえば個別の身体を欠いた抽象的なレベルだけでは)、日の丸をめぐる議論は何も生産しないことを石川は鋭く見抜いている。撮影者である石川と被写体である人びとが、ともに責任を負った写真は、だから安易なイデオロギー闘争の道具としてではなく、写真を見る者にとっての「日の丸」を問い返すメディアとして、「見る責任」をこちら側に突きつけてくるのだ。甘ったるいだけの自己表現に完結しがちな昨今の写真とは対照的な石川真生の写真こそ、まことの意味で社会に開かれている。まさしく、「日本の自画像」である。

2009/05/23(土)(福住廉)

山本太郎 展~ニッポン画物見遊山~

会期:2009/05/22~2009/06/14

美術館「えき」KYOTO[京都府]

日本画ならぬ“ニッポン画”を提唱し、伝統的画題と現代の風俗がハイブリッドした独自の絵画世界を創造する山本太郎が、30代にして活動10周年を記念した回顧展を開催。といっても大上段に構えたものではなく、「歌手がベストアルバムを出すような感覚」(本人談)らしい。とはいえ、過去の代表作が一堂に会した現場を見て、思う所が幾つかあった。まず画題の変化。パロディ色が前面に出た初期作品に対し、近年の作品では謡曲に題材を取るなど、作風に渋みが増している。次に技量。私が言うのも僭越だが、新旧作品を見比べると明らかに腕前が向上している。そしてホスピタリティ。残念ながら私は見られなかったが、会期中に数々のイベントが催され、何度も自身の言葉で作品が説明された。山本は以前から、芸術家ではなく“絵師”として生きることを意識的に選択した旨語っていたが、本展により初めてその言葉をリアルに受け止められた。百貨店の美術館という微妙なロケーションも、彼にとっては格好の場と言うべきである。

2009/05/26(火)(小吹隆文)

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室伏鴻×ベルナルド・モンテ×ボリス・シャルマッツ『磁場、あるいは宇宙的郷愁』

会期:2009/05/27

慶應義塾大学日吉キャンパス 来往舎イベントテラス[神奈川県]

昨年も同じ時期にこの会場でソロ作品『quick silver』を上演した室伏鴻が、今回はメキシコとフランスのダンサーをともなって現われた。室伏の真骨頂は即興にある。またしばしばそれは1人ないし2人のパートナーとのバトルである場合が多い。恐らく「舞踏はハイブリッド」を標榜する室伏にとって、共演者とのバトルには、思いもよらない〈複数性に満ちた場〉に自分をそして観客を誘いうるといった計略があるのだろう。タイトルの抽象性に対して、舞台空間はじつにダイナミックかつめりはりのあるものだった。テーブルに座る男三人がティッシュを引き出しながら顔に詰めてゆくシーンなどコミカルな場面が目立った。ずんぐりむっくりなモンテや若さと背の高さで凶暴に見えるシャルマッツにまじって、室伏はいつも以上に自分のフレームを変形させ、より幼児的な振る舞いを見せてゆく。そう、シャルマッツはじつに危なっかしくて、実際、室伏を蹴り飛ばしたり、テープでぐるぐる巻きにしたりしたのは印象的だった。そんななかでぼくのなかに浮かんだのが「エモーショナル」という言葉で、強烈な仕方で肉体の現前をアピールしようとするのは、最近よくみかけるあり方だな、と思うのだけれど、とりわけ即興的な空間に現われる「エモーショナル」な振る舞いは、パフォーマーの暴走振りについていけないという気持ちを観客に起こさせる。ぼくはそう思う。乱暴に振る舞うパフォーマーたちにいわば母親のような心持ちで見つめてあげられればよかったのかもしれないのだけれど、ぼくにはそれができなかった。

2009/05/27(木村覚)

聴竹居との出会い 栗本夏樹 漆芸展

会期:2009/05/22~2009/05/31

聴竹居[京都府]

聴竹居とは、建築家の藤井厚二が昭和3(1928)年に京都府大山崎町に建てた自宅兼実験住宅。西洋のモダニズムと日本の伝統が絶妙に調和したデザインで評価が高く、近年は通風と採光に対する工夫からエコ建築の先駆としても注目されている。この建築遺産を舞台に、漆芸家の栗本夏樹が個展(というより建築とのコラボ展)を開催した。作品は、客室、居間、読書室、寝室、縁側等に配置されたが、出色だったのは縁側の隅に置かれた2点の作品。竹の根を素材にしたオブジェで、まるで最初からそこに置かれていたかのように空間と馴染んでいた。作家が声高に個性を主張するのではなく、空間に寄り添うことで、むしろ互いの魅力が際立ったのだ。そこには理想的なコラボレーションの姿が凛として感じられた。

2009/05/27(水)(小吹隆文)

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