artscapeレビュー

2009年11月01日号のレビュー/プレビュー

戦争と芸術IV ─美の恐怖と幻影─

会期:2009/09/28~2009/10/12

京都造形芸術大学人間館1Fギャルリ・オーブ[京都府]

恒例となった「戦争と芸術」展。今回は草間彌生や横尾忠則、杉本博司、ヤノベケンジなど9名による作品を集め、これまでのように戦争画こそ展示されなかったものの、これまでにはないほど厚みのある展示になっていた。なかでもその厚みに一役買っていたのが、Mr.。美少女たちがサバイバル・ゲームで奮闘する様子を描いた映像作品《誰も死なない》をはじめ、その映像世界を構成する小道具や絵コンテなど、大量の資料も同時に発表した。その圧倒的な物量が他の作家による作品をはるかに凌ぎ、来場者にもっとも大きなインパクトを与えていたように思う。美少女の身体部位を執拗にとらえる映像は、美少女を偏愛する文字どおり変態的な嗜好性を如実に物語っていたが、同時に戦争というリアリティが現実の空間からゲームの遊戯性に拡散してしまった事態も指し示していた。戦争への好奇心ないしは欲望。かつて大友克洋は『気分はもう戦争』のなかで「ぼくたちだって戦争がしたいんだ!」と叫んだが、Mr.が暗示したのは、そうした戦争への欲望がみずから戦場へ赴き参戦するという段階を超えて、「美少女」という記号を操作することで戦争をさせるという段階に転位した事態である。「する」ものから「させる」ものへ変容した戦争は、現在の戦争の論理とまったく合致する。そのことに、戦慄を覚えるべきだろう。

2009/10/10(土)(福住廉)

岡本光博 skin

会期:2009/09/29~2009/10/11

GALLERY はねうさぎ[京都府]

岡本光博の新作展。表象批判のアーティストとして知られているが、今回の傑作はヴィトンのバッグの柄で作られたバッタの立体作品。3種類のパターンを中国の工場に発注し、日本に帰国後に組み立てたという。壁に貼りついたバッタたちは、いったいどこへ飛び立とうとしているのだろうか。表象批判というアートならではの作法が忘れられつつある今だからこそ、こうした作品は今以上に評価されるべきだと思う。

2009/10/10(土)(福住廉)

ある風景の中に

会期:2009/09/15~2009/10/18

京都芸術センター[京都府]

梅田哲也、岡田一郎、鈴木昭男、ニシジマアツシ、藤枝守、矢津吉隆、6名による展覧会。日常的な風景や音を別の角度から見直すことで新たな風景なり音を見出そうとしていたようだ。ワークショップルームを全面的に使った梅田哲也は、洗濯機や扇風機といった日常用品を巧みに連結させ、有機的な世界を構築した。水を湛えたシンクに浮かべられたおびただしいアルミの小皿は、水中ポンプからエアーが吐き出されるたびに、お互いがこすれあい、風鈴のような、ヒグラシのような、心地よい音を発していた。

2009/10/10(土)(福住廉)

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一蝶リターンズ ~元禄風流子 英一蝶の画業~

会期:2009/09/05~2009/10/12

板橋区立美術館[東京都]

元禄の画家、多賀朝湖(たが・ちょうこ)、後の英一蝶(はなぶさ・いっちょう)の展覧会。近年新たに発見された作品も含めて50点が一挙に公開された。さまざまな身分の人びとが同じ門の軒下で雨宿りをする光景を描いた《雨宿り図屏風》のように、一蝶の絵には清濁併せ呑む度量の大きさと、滝浴びをするお不動さんが背中の炎が消えないように剣と一緒に脇へ置くしぐさを描いた《不動図》のように、茶目っ気のある可笑しさがある。そのほかにも、盲人の坊主が茶をひいているところに、紙をぶらさげた棹で背後からくすぐる《茶坊主》、鳥居に千社札を貼るのではなく直接筆で書いてしまおうとして、長い棒の先に筆をくくりつけて人の背中によじ登って手を伸ばす《社人図》など、滑稽で悪戯心に満ちた作風がなんとも魅力的である。

2009/10/11(日)(福住廉)

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水都大阪2009

会期:2009/08/22~2009/10/12

中之島公園・水辺会場、八軒家浜会場、水の回廊・まちなか会場[大阪府]

大阪・中之島エリアを中心に、約7週間にわたって多数のワークショップ、展覧会、各種イベントが開催された「水都大阪2009」。しかし、終了後に改めて思ったのは、果たしてこの催しにアートは必須だったのかという疑問だ。もちろん、ヤノベケンジは奮闘したし、今村源が適塾で行なった展示は見応えがあった。ワークショップのなかにもきっと素晴らしいものがあったのだろう。でも、私が何度か会場を訪れて感じたのは、アートと言うよりも文化祭的な狂騒ばかりだ。いや、最初からアートは脇役で、私が勘違いしていただけなのかもしれない。結局、最後まで意図を理解できないまま「水都大阪」は終わってしまった。

2009/10/12(月)(小吹隆文)

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