2018年04月15日号
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artscapeレビュー

2010年03月01日号のレビュー/プレビュー

市川孝典 murmur

会期:2010/01/15~2010/02/06

FOIL GALLERY[東京都]

線香画で知られる市川孝典の個展。線香の炎で和紙に穴を穿ち、その模様と焦げ目の色合いによって絵を描き出す。線香を用いて描く作家としてはすでに小川陽がいるが、小川が禁欲的で抽象的な画面を構成するのにたいして、市川はあくまでも写実的。本展では鬱蒼とした樹木などをモチーフとした作品、十数点を発表した。これまでの「絵画」には到底収まり切らない、写真や版画、工芸といった要素をそれぞれ持ち合わせながらも、「平面作品」としての強力な視覚経験を与えるところに大きな特徴がある。画面に余白を大胆に取り入れるなど、新たな展開も見せていた。

2010/01/22(金)(福住廉)

北山善夫 展 一期目 新作絵画

会期:2010/01/23~2010/02/20

MEM[大阪府]

粘土でつくった人型の彫刻をもとに描いたペン画と、宇宙空間を描きつつ星空のなかに動物や人間などの像がみえるようなペン画を出品。その驚異的な細密描を前にすると、ただただ呆然とするほかない。出品作のうち1点は10年間にわたって加筆し続けたとのこと。執念すら感じさせる仕事ぶりに感服した。

2010/01/26(火)(小吹隆文)

平(HEY!) 平成も二十歳を越えました

会期:2010/01/23~2010/01/31

元・立誠小学校[京都府]

変てこなタイトルの展覧会だと思っていたら、出品者11人の名前に必ず「平」の字が入っていることを発見。なんだ駄洒落じゃないか。出発点は駄洒落だが、それぞれがきちんと仕事をしていたので、展覧会としても十分楽しめた。仏様が授業を受けているインスタレーションを制作した鎌田祥平や、土器をモチーフにした作品を出品した綿引恒平など、元小学校というロケーションを意識した作品が目立ったのも印象的だった。ちなみに上記以外の出品者は、泉洋平、大久保vit's陽平、上硲一平、河合晋平、君平、佐野耕平、重本晋平、新岡良平、山田心平。キュレーターは唯一「平」がつかない奥田真希だった。

2010/01/27(水)(小吹隆文)

NO MAN’S LAND 破壊と創造@フランス大使館

会期:2009/11/26~2010/01/31

在日フランス大使館[東京都]

取り壊しが予定されている在日フランス大使館の旧庁舎内を会場とした展覧会。事務室や廊下、階段、地下室、中庭など、ありとあらゆる場所に70人ほどのアーティストによるサイト・スペシフィックな作品が展示された。謎に包まれた大使館に立ち入るという非日常的な経験も手伝って、そこで展示されるアート作品への期待が否が応でも高まったが、残念ながら目ぼしい作品はほとんどなかった。唯一、見応えがあったのは、「竹島」「対馬」「尖閣諸島」「北方領土」など、政治的な文脈に拘束されている文字を白いレースで編み上げた黒沼真由美。「日本の中の外国」という穴に、「日本の外の日本」をねじ込むことで、空間を水平的にとらえる地図的な想像力を強く刺激していた。さらに、黒沼は時間を垂直的にとらえる歴史的な想像力を働かせる仕掛けも忍ばせていた。それは、空間の壁面を深い青で塗り上げ、そこに毛糸で編みこんだ電気クラゲなどを置くことによって、展示室を広大な海の中に変貌させてしまったこと。この建造物が1957年にジョセフ・ベルモンによって設計されたという歴史的背景を考慮したのかどうか、いくつかの作品が「フランス」という記号を過剰に意識していたのとは対照的に、黒沼はそのはるか先の歴史を見通していた。そもそもフランス大使館が建造される前、この土地には尾張徳川家17代当主の徳川義親(としちか)の邸宅があったのだし、もっと時間をたどればそもそも海の底だったのだ。サイト・スペシフィックというのであれば、地球規模の歴史的な射程を用意しなければならないのではないだろうか。人がいないというより、アートが見当たらない展覧会だった。

2010/01/28(木)(福住廉)

5th Dimension

会期:2010/01/21~2010/01/31

フランス大使館旧事務所棟4F[東京都]

「noman’s land」展とほぼ同時期に同じ会場内で催されたグループ展。吉祥寺のArt Center Ongoingのディレクター小川希のキュレイションによって、有賀慎吾、小川格、小林史子、柴田祐輔、早川祐太、東野哲史、山本篤、和田昌宏、SONTONの9組がそれぞれ作品を展示した。階下のぬるい雰囲気とは対照的に、いずれの作品も「イカレタ表現」ばかりで、おもしろい。しかも、フランス大使館という場の特性など端から無視した姿勢が潔い。なかでも際立って飛び抜けていたのが、東野哲史、柴田祐輔、山本篤。東野はみずからの鼻毛を水栽培で成育させようと試みる、現在進行形のプロジェクトを発表した。毎日の気温と全長を計測しながら記録した写真日記を見ると、基本的には全長1.1cmの鼻毛がそれ以上生長することはなく、むしろ黴が生えたり、水が変色したりと、周囲の環境の変化のほうが目につくが、この作品の醍醐味は「心なしか成長したかのような感じ」を追体験できる点にある。それは、実在的には錯覚以外の何物でもないにもかかわらず、感覚的にはひじょうに豊かな幻であり、それこそがアートの働きだったということを、東野の作品は静かに物語っているのである。一方、柴田祐輔と山本篤の映像作品は、2人が扮する駐輪監視員による支離滅裂な物語だが、これはタイトルに示されているように、「つながらない」ナンセンスストーリーというより、むしろ監視するという単調な仕事に隠された、ドラマティックな物語への欲望を極限化させた映像として見ることができる。山にハイキングに出掛けた柴田と山本は、その道中でなぜか巨大な落石に襲われ轢死するわ、弁当に盛られた毒で暗殺されるわ、挙句の果てにどこからともなく飛来してきた矢に背中を貫かれて悶絶しながら絶命してしまう。過剰に説明的な演技がおもしろい。だが次の瞬間、シーンは自転車をほんの数センチ動かして空間をこじ開ける、駐輪監視員の日常的な業務に切り替わり、仕事を終えたのだろうか、軽やかに歌を謳いあげながら自転車で帰宅する柴田の姿で唐突に映像は終わってしまう。一見すると、脈絡に欠けた断片的な映像にしか見えないかもしれない。けれども、駐輪監視員にかぎらず、およそ警備や監視といった、なんとも非人間的な労働の質を思い返せば、そうした労働者たちは、おそらくは柴田と山本が演じたような、じつに劇的でスペクタクルに満ち溢れた妄想を頭のなかで繰り広げながら楽しんでいるにちがいないと思わずにはいられない。ベタな撮り方でそう思わせる映像は、極端な妄想に具体的なかたちを与える、アートのもうひとつの働きにほかならない。ここに、アートがあった。

2010/01/28(木)(福住廉)

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