artscapeレビュー

2010年03月15日号のレビュー/プレビュー

高須健市 展──SURFACE

会期:2010/02/02~2010/02/14

neutron kyoto[京都府]

芸術センターからneutronで開催中の高須健市展へ。誰の目にも明らかな有名ブランドのモノグラムの型が張り巡らされていた。床にはそこらじゅうに破砕したチラシや雑誌などの印刷物がまるで落ち葉のように散らばっている。素材にしたものは拾ってきた「ゴミ」なのだそう。素材の性質のせいか一見するとサラッとした軽薄な印象もあるのだが、よくみると、そのパターンの色彩や配置間隔のバランスがすごい! 地道な仕事ぶりと展示の徹底ぶりが消費社会の構造と虚しさをいっそう鋭く突きつける。その皮肉はじつに解りやすくも痛快でチャーミングだった。

2010/02/09(火)(酒井千穂)

建築系フォーラム2010

会期:2010/02/11

広島国際大学呉キャンパス1号館2階会議室[広島県]

広島国際大学の学生企画団体scale主催のシンポジウム。「地方建築家のロールモデルを考える」というテーマのもと、筆者を含む四人の30代建築家が、地方で建築家として活動するための四つの異なるロールモデルを提示して、議論を進めた。土井一秀は「アトリエ・モデル」、松岡聡は「往復モデル」、北川啓介は「プロフェッサー・モデル」、筆者は「メディア・モデル」という位置づけから、それぞれのモデルの可能性について語った。シンポジウムを通し、筆者は大きく二つのことを考えた。ひとつ目。おそらく地方都市で建築家として活動することには、東京に比べてさまざまなデメリットがあると考えられているかもしれない。しかし、単純にそう結論づけるのではなく、地方都市からの具体的な活動の可能性をさまざまに検証するべきだと、ポジティブな議論ができたことは、大きな成果だといえよう。二つ目。四者はそれぞれ海外経験を経ており、そのことと地方都市での活動の関連性も討議された。おそらく、日本における東京の存在感を相対化できるのが、海外という場所であり、特に欧米での滞在経験は、個々の都市の可能性に目を向けさせるのではないか。地方都市と海外都市というとやや距離があるように思われるかもしれないけれども、いわゆるグローバル・シティを介さない都市間ネットワークに注目が集まり始めたともいえよう。このシンポジウム自体が、地方都市からの一つの発信ともなっていた。

http://event.telescoweb.com/node/11033

2010/02/11(木)(松田達)

谷口吉生《広島市環境局中工場》

[広島県]

竣工:2004年

谷口吉生による清掃工場。巨大なヴォリュームに対して、長手方向側面に直角に入り込む吉島通りを延長した道路上部の二階部分が、エコリアムと呼ばれる貫通通路となっており、この部分が一般市民に開放されている。エコリアムとは、エコとアトリウムを組み合わせた造語であり、ガラスを通して見る清掃工場の巨大でメタリックな焼却装置は、恐ろしく美しいオブジェと化していた。谷口は豊田市美術館など、多くの美術館建築の設計で知られるが、清掃工場の機械までも美術品のように見せてしまう手腕にうならされた。プランの構成も圧倒的な説得力を持っている。吉島通りの行き止まりを延長して海につなぐのがこの通路であり、最短距離の公共通路によって、建築全体が、最大限に公共化されているように感じた。海に向かって突き出す通路の少し手前から下に降りる階段の存在感が絶妙で、ここでは入口部分での行き止まりを延長する感覚がリフレインされていたと感じた。

2010/02/12(金)(松田達)

三分一博志《WoodEgg お好み焼館》

[広島県]

竣工:2008年

広島の建築家、三分一博志による、お好み焼きに関する展示・情報発信施設。特徴的な卵型の形態はすべてセランガンバツのルーバーで覆われ、日射量調節のため、方位ごとに方向が変えられているという。特に興味深かったのは、おそらく建築家の意図とは独立して、建築が都市におけるある種のアイコンとしても機能しはじめているように見えた点である。モニュメントが何らかの別の事象を記念する建造物であるのに対して、アイコンは自分自身を記念している建造物だといえるだろう。レム・コールハースの言葉を借りれば自己モニュメント、チャールズ・ジェンクスによれば異なるイメージを圧縮しつつ、わかりやすさを持った建築である。実は日本において、アイコン的な建築をあまり見ることがないと思っていたところに、この建築を見て、アイコン建築のイメージの強度を感じた。現在、アイコン建築そのものには賛否が入り交じっている。けれども、特に平板に見える日本の地方都市の風景には、このWoodEggのような、良質なアイコン建築がとても馴染み易いことを実感した。

2010/02/12(金)(松田達)

今井智己「光と重力」

会期:2010/02/06~2010/02/28

リトルモア地下[東京都]

今井智己の『真昼』(青幻舎、2001)は鮮烈な印象を残す写真集だった。風景を、そこに射し込む光が最も強い存在感を発揮する状態でフィルムに定着しようという意志が画面の隅々まで貫かれており、一枚一枚の写真がぎりぎりの緊張感を孕んで写真集のページにおさめられていた。それから10年近くが過ぎ、彼の第二写真集『光と重力』(リトルモア)が刊行されたのにあわせて開催されたのが本展である。
展示を見て感じたのは、今井の姿勢が基本的には変わっていないということ。森や公園の樹木を中心にして、道路、橋、カーテン、窓などの被写体を、8×10インチの大判カメラで、静かに、注意深く引き寄せていくような撮影のスタイルもまったく同じだ。だが、どうも微妙なゆるみが生じてきているように思えてならない。光がそのピークの状態で定着されていた『真昼』と比べると、画面に拡散やノイズがあり、テンションを保ち切れていないように感じるのだ。もちろん完璧に近い構図、光の配分の写真もある。つまり、今井の写真のあり方が、見かけ上の同一性にもかかわらず、いま少しずつ変わりつつあるということだろう。そのことを、必ずしもマイナスにとらえる必要はないと思う。以前のように研ぎ澄まされた、尖った雰囲気だけではなく、風景と柔らかに溶け合うような気分の写真もある。「光と重力」の組み合わせ方を、いろいろ試行錯誤しながら確認しているということではないだろうか。

2010/02/13(土)(飯沢耕太郎)

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