artscapeレビュー

2010年06月15日号のレビュー/プレビュー

秦雅則「シニカル」

会期:2010/05/04~2010/05/09

企画ギャラリー・明るい部屋[東京都]

秦雅則は昨年来、自身もメンバーのひとりである企画ギャラリー・明るい部屋で「ネオカラー」「キーキーなく悪魔」「角死」「死角」といった個展を次々に開催して来た。これらを元にして、東京都写真美術館の「写真新世紀2009」の会場で開催された「幼稚な心」展の成果を加えて会場を構成したのが、今回の「シニカル」展である。
会場の中央に机が置かれ、そこに写真の束がいくつか置かれていて、それぞれの束には、以下のようなキャプションが付されている。「他人」「数多くの他人の中から選択された44名の他人」「知人と友人」「愛してると言ってほしそうな知人と友人(その人の目は本人のもの)」「知人と友人と私が混在している知人と友人と私(私、もしくは他人の身体の一部が移植されている)」「知人と友人によって撮られた私」。写真には着色されたり、合成などの加工が施されたりしたものはあるが、おおむね何の変哲もないスナップ写真の集積である。だが、写真の束を手にとって、めくりながらつらつら眺めていると、何かしら吐き気のようなものがこみ上げてくる。その「実存主義的」な感情がどこに由来するのかはわからないが、写真と写真の間からこみ上げてくる気持ち悪さはただ事ではない。
秦の写真作品は、今回の展示もそうなのだが、一見荒っぽく、雑なものに思える。だが、写真展のタイトルや作品に付されたキャプションを見てもわかるように、緻密な思考と丁寧な作業工程によって練り上げられている。そのユニークな仕事ぶりは、もっと注目されてもよいのではないだろうか。

2010/05/06(木)(飯沢耕太郎)

須田一政「風姿花伝」

会期:2010/05/03~2010/05/09

Place M[東京都]

須田一政の名作中の名作『風姿花伝』(朝日ソノラマ、1978年)におさめられた作品が、当時のヴィンテージ・プリントで展示されるというので、ワクワクしながら見にいった。おそらく写真集の印刷原稿なのだろう。フェロタイプという金属板に圧着して、ピカピカの光沢紙に仕上げたプリントの迫力はやはりすごいものだった。いま手に入る印画紙では、まずここまでの黒の締まりとコントラストは無理だし、いかに性能が急速にアップしているとはいえ、デジタルプリンターではこの画像の厚みや質感を出すのは不可能だろう。若い写真家は、ぜひこのようなプリントのクオリティを、視覚的な記憶として保ち続けていってほしい。そのための教育的な価値を備えた写真展といえるのではないだろうか。それにしては会期が短すぎるのが残念だが。
もちろん、作品の内容にもあらためて感銘を受けた。このシリーズを撮影していた1970年代は須田にとっても多難な時期で、「将来性などゼロに等しい。さりとて写真以外に取り柄もない」という状態だったという。だが、作品にはそのような気持ちの濁りはまったく感じられず、むしろ吹き渡る風のような開放感がみなぎっている。むろん、闇や翳りの方に引き寄せられていく作品も多いのだが、それらもまた「闇の輝き」を発しているように見えてくるのだ。祭の踊り手が奇妙なポーズで佇んでいる写真や、ヌラリとした大蛇が、壁にコの字型に這っている写真など、背筋がぞくぞくしてくるような素晴らしさだ。

2010/05/06(木)(飯沢耕太郎)

アートフェア京都

会期:2010/05/07~2010/05/09

ホテルモントレ京都[京都府]

アートマーケットは東京に集中するが、京都はこれまで伝統産業や文化を守るだけでなく、最先端の美術も育んできた。その土壌を足がかりに今後、美術の市場、ひいては地域経済の確立を目指すことをコンセプトに京都で初めて開催された現代美術アートフェア。33画廊が参加していた。ゴールデンウィーク中でもあり混雑を予想していたのだが、初日の午前中は大雨のせいもあってか会場は空いており、思いがけずゆっくりと見て回ることができた。全部見終わるのに4時間ちかくもかかってしまい我ながら驚いたが。翌日も、アートに接する機会は日頃はほとんどないという知人を案内。ある画廊で気に入った作品を購入し、どこに飾ろうかとつぶやくその人の少し嬉しそうな顔を見て私まで良い気分に。ホテルを会場にしたアートフェアは以前からあるが、公式ブログでは、会場周辺の観光名所や近隣の飲食店が紹介されるなど、京都の町歩きのための情報が発信されていたり、アートフェアというよりも京都の滞在時間自体を楽しむイメージづくりが開催前から工夫されていた。アートへの興味のきっかけにつながれば良いと思う。次回以降の動向も気になる。

2010/05/07(金),05/08(土)(酒井千穂)

國府理 展

会期:2010/05/04~2010/05/16

アートスペース虹[京都府]

國府理の新作展。数年前、事故で重症を負ったアーティスト、永井英男氏との関係から、革張りソファでつくられた電動車椅子、のこぎりがついた松葉杖など特殊器具という実用性をもつ今回の作品が制作された。8日には、ヤノベケンジ、名和晃平、永井英男をゲストに「A.A.A.Project:アーティストは自立し得るのか」というタイトルのアーティスト・トークも開催。作家の制作意欲と身体の不自由、制作スタンスなどのジレンマに接して、同じ作家としてどのような関わりが可能か、そもそも制作手段や方法、その技術において他人の力を借りることを前提にした表現活動では、身体的な障害をもつこともたないことの差はどれほどあり、なにが問題になるのか。問題提起はいろいろあり、ひとつの答えが出たわけではないが、自らの言葉で考えを語る国府とゲストアーティストの、それぞれの誠実な姿勢が印象に残る興味深いトークだった。

2010/05/08(土)(酒井千穂)

渡邊晃一「テクストとイマージュの肌膚」

会期:2010/04/28~2010/05/08

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

渋谷・宮益坂上のZEN FOTO GALLERYは、普段は中国の写真家の作品を中心に展示しているのだが、今回の渡邊晃一の個展は日本人作家というだけでなく、写真作品にドローイングも加えたものだった。渡邊は福島大学文学・芸術学系の准教授で、絵画、写真、彫刻、パフォーマンスアートなどにまたがる複合的な領域で仕事をしている。たとえば、今回の舞踏家大野一雄、大野慶人とのコラボレーション作品では、彼らの身体を石膏や発泡スチロールで克明に型取りし、その自分の分身というべきオブジェと生身の舞踏家とが絡み合うパフォーマンスを、写真とドローイングで記録している。大学・大学院時代に徹底して学んだ解剖学の知識と、卓抜なデッサン力を駆使した作品が、枝分かれをするように次々に展開していく過程は、展覧会と同時に刊行された同名の作品集(青幻舎刊)を見ればよくわかるだろう。
たしかに、その細部まで丁寧に仕上げられた作品群(特に1999年の大野一雄が自らの腕の型取りを抱いて踊るセッション)は質が高いものだが、発想がやや予測可能な範囲におさまっているような気がする。ドゥルーズ=ガタリ流にいえば、ツリー状のどこか整合性と秩序を保った構造ではなく、どこに伸び広がり接続するのかわからないリゾーム状の構造があらわれてくるといいと思う。笑いやエロティズムのような、思考を逸脱させ、攪乱するような要素をもっと積極的に取り込むと、この「まじめな」作品世界にひび割れが生じるかもしれない。

2010/05/08(土)(飯沢耕太郎)

2010年06月15日号の
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