artscapeレビュー

2010年08月15日号のレビュー/プレビュー

冨倉崇嗣 展

会期:2010/07/19~2010/07/31

O gallery eyes[大阪府]

冨倉崇嗣の新作展。断片的な記憶のイメージを巡って表現されるその世界には、物質の存在や風景が混じり合い、時間を追って意識と無意識の境界が交錯していくような印象を受ける。本展では、目に見えない透明なもの、感情や自然現象など、表現をさらに追究した作家の試みがうかがえた。百合の花や天使のような人物が描かれた《それぞれの教え》は油彩画だったが、色彩の重なりに透けるようなモチーフの浮遊感があり、画面に空間的な奥行きが生まれていた。不可視の存在がふわりとたち現われるような時間性も感じさせる。発表ごとに表現方法の研究や「見る」ことを丁寧に観察する作家の眼差しがうかがえて次も楽しみだ。

2010/07/25(日)(酒井千穂)

飯沢耕太郎 森重靖宗を読む

会期:2010/07/25

Sound café dzumi[東京都]

森重靖宗は1963年大阪生まれ。普段はmori-shigeという名前でチェロ奏者として即興演奏を中心に活動している。写真を本格的に撮りはじめたのはここ10年あまりだが、5月に写真集『photographs』(パワーショベル)を刊行した。今回はその出版にあわせて、「プロの写真の読み手の話を聞いてみたい」ということで実現した企画であり、北里義之プロデュ─スによる「混民サウンド・ラボ・フォーラム」の一環として、吉祥寺の音楽カフェで開催された。森重の写真はとりたてて気を衒ったり、特別な被写体にカメラ(ライカM3だそうだ)を向けたりしたものではなく、基本的には日常の場面をスナップしたものだ。ただ、ものを見る角度に音楽家らしいセンスのよさがあり、写真の並べ方にもリズム感があってすっと目に馴染じんでくる。ただ、何げなさそうに見えて、ところどころに落とし穴が仕掛けられている。例えばかなりの枚数が収録されている入院中の年配の男性の写真があって、その中の一枚を見ると右足の膝から下がないのがわかる。あるいは下着姿の女性の背中にカメラを向けた写真があり、彼女が横たわるベッドのシーツの血の色が、それ以後も何度も反復して繰り返される。このような微妙な手つきから浮かび上がってくるのは、薄皮一枚下に何かしら不穏な気配を抱え込む日常のあり方だ。それらの場面には、さまざまな引力や斥力がせめぎあっていて、ちょっとした刺激で破裂しそうな緊張感を覚えるのだ。今回のイベントでは、トークに加えて、写真集におさめた写真を2倍以上に拡張した200枚あまりの映像によるスライドショーと、チェロによる即興演奏がおこなわれた。音楽を聴いていても、写真と同様に薄い皮膜を少しずつ引き伸ばしていくような印象は変わらない。森重の作品のような「異種格闘技」的な試みはとても貴重なものだと思う。僕自身も普段とは違った感覚が覚醒してくる気がした。

2010/07/25(日)(飯沢耕太郎)

オノデラユキ「写真の迷宮へ」

会期:2010/07/27~2010/09/26

東京都写真美術館 2階展示室[東京都]

東京都写真美術館でのオノデラユキ展のプレビューに出かけてきた。作家本人にもひさしぶりに会ったし、いつものオープニング以上にいろいろなジャンルの人たちが集まっている印象を受けた。それにしても、彼女が1991年に第一回の「写真新世紀」で優秀賞(南條史生選)を受賞してデビューした時、今日を想像できる人は少なかったのではないだろうか。そのセンスはいいが線の細い作品が、1993年に渡仏し、パリを拠点にして活動しはじめてから大きくスケールアップした。海外に活動の場を求めた写真家は多いが、オノデラはその中で最もめざましい成功例といえるだろう。オノデラの作品の発想の源になっているのは、日々の暮らしや記憶の宝箱から取り出され、集められた断片である。影絵(「Transvest」)、古いカメラ(「真珠のつくり方」)、郊外の一戸建ての家(「窓の外を見よ」)、ラベルを剥がされた空き缶(「C.V.N.I.」)など、そして近作の「12 Speed」では文字通り身の周りの雑多なオブジェがテーブルの上に寄せ集められている。だがこれら日常の事物の断片が、彼女のイマジネーションの中で熟成し、発酵していくなかで、奇妙に謎めいた「迷路」として再構築されていくことになる。この悪意と官能性とユーモアとをブレンドした「ひねり」の過程こそが、オノデラの真骨頂と言うべきだろう。そのことによって、ヨーロッパのとある国のホテルで起きた失踪事件が、ちょうどその地点から見て地球の反対側の島で18世紀に起きた「予言者が西欧人の来訪を告げる」という出来事と結びつくといった、普通ならとても考えられないような発想の作品(「オルフェスの下方へ」)が生まれてくるのだ。とはいえ、その「ひねり」は決してわざとらしいものとは感じられない。普通なら複雑骨折しそうな思考の過程を、軽やかに、ナチュラルに、どこか懐かしささえ感じさせるやり方でやってのけるのが、オノデラの作品が多くの観客を引きつける理由でもあるのだろう。この人の繊細で丁寧な手作りの工芸品を思わせる作品は、杉本博司、米田知子、木村友紀などとともに日本人による現代写真に独特の感触を備えているように見える。

2010/07/26(月)(飯沢耕太郎)

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オノデラユキ 写真の迷宮へ

会期:2010/07/27~2010/09/26

東京都写真美術館[東京都]

90年代の「古着のポートレート」から最新作まで、9シリーズ60点の展示。うち6シリーズはこれまでに見てきたが、初見のシリーズも含めて彼女の作品はいずれも、写真というものの常識的な思考・技術をウィットに富んだ方法でずらし、その異相から写真を問い直す試みといえる。なかでもぼくの好きなのは、群集の頭上に光の玉が写ってる「真珠のつくり方」というシリーズ。種明かしすれば、カメラの内部にビー玉を仕込んで撮ったものだが、ミクロな異物の光があたかも核爆発のように群集の頭上に降り注ぐ不穏な写真だ。ただこの展覧会では、十分に広いとはいえない1フロアに9シリーズを各数点ずつ押し込んでいるため、さまざまな試みを行なっていることは伝わるけれど、それぞれのシリーズについてどこまで深い理解が得られるか。

2010/07/29(木)(村田真)

碓井ゆい 個展「泣く前」

会期:2010/07/24~2010/09/04

studio J[大阪府]

ベニヤ板にアクリル絵の具で描いた作品やお菓子の包み紙を使った小さな作品など、さまざまな素材を用いて作品を制作してきた碓井の新作が並ぶ。今展では、素焼きの皿に絵付けをしたものを割って構成した陶器の破片の作品を発表。色褪せ、廃れていく物質と記憶の関係が作家ならではの感覚で表現されていて、いくつもの物語を想起させる。モチーフはいろいろあるが、なかでも掃除前の排水溝を描いた作品が印象に残る。日常的な場面と、ふとした時に込み上がる感傷的な気分が、ひとつのイメージのなかでつながっていく。

2010/07/29(木)(酒井千穂)

2010年08月15日号の
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